Ⅰ-3.ブリンク注意報①
今日はブリンク注意報が出ていた。
『ブリンク』は私たちにとって自然災害のようなもので、抗いようがない、生活が不便になる現象だった。
その状態を、ある有名な俳人はこう詠んだ。
――ブリンクや土くれ積んだ瞬きの日々
ブリンクが起こると、私たちの視界に搭載されているWRシステムが全て機能不全を起こす。つまり、街並みもヒトも食べ物も、ありとあらゆるオブジェクトに設定されたビジュアルデータが見えなくなり、私たちの社会は土くれまみれの荒野と化す。
家はごつごつとした岩壁の集合体になるし、食べ物だって岩だ。私たちはそれら岩石に付随したWR情報から、食感や味を読み解き、美味しいと感じる。実際は岩石を囓り、体内に搭載された小型核融合炉にそれら岩石を送ることでエネルギーを取り出しているに過ぎないのだが、ビジュアルやテイストの情報は私たちに幸福で楽しい食事の機会を与えてくれる。翻って言えば、WR情報さえあれば、家の壁を囓ることだってできるし、物理的に起きていることは壁だろうが食べ物だろうが変わらない。
ヒトだって同じだ。私たちは①魂石、②肉体となる岩石、③WR情報で付随されたビジュアルイメージで出来ている。③が機能不全を起こせば、見た目は②の人型岩石だ。
本来はブリンク(瞬き)の名の通り、一瞬の出来事だった。しかし、最近ではブリンクの時間は徐々に延び、ついには六〇分もの間、ブリンクが観測される日も出始めた。
そんなブリンクの起こったある日――
トン、トントン。
「ねぇ、オパエツ。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど、今いい?」
マレニはノックをした岩の扉越しに訊ねた。
しかし、部屋主のオパエツからの返事はない。
トン、トントンとリズムよく叩き、マレニはもう一度訊ねる。
「ねぇ、オパエツ。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど、今いい?」
それでも返事はないが、マレニは三分ほど前、ブリンクが起きる直前にオパエツが部屋に入ったのを見ていた。ヘッドホンで耳を塞いでいるのか、それとも意図して無視をしているのか。どちらにせよ、マレニの行動は決まっていた。
トン、トントン。トン、トントン。
「扉を叩く四拍子ぃ♪ ねぇ、オパエツ? ちょおっと聞いて欲しいことがあるのぉ♪ 開けていい? 開けるわよ? 私は訊いたわぁ♪」
くるっと廊下で一回りして、マレニはオパエツの部屋の扉を開けた。
笑顔で歌うマレニに対して、扉のすぐ前に立っていた岩――オパエツは、顔こそ見えないがマレニを睨んでいるように思えた。
「マレニ、おまえは歌えばなんでも自分の思い通りになると思っているだろ」
「いいえ、オパエツ。それは逆よ。歌は心からの響きなの♪ 歌は心♪ 行動は心から♪ そうしたら世界はきっと素敵に輝くわぁ♪」
「……俺は今、PCがまともに動かなくて虫の居所が悪い。用件を早く話せ」
オパエツは呆れた声音でマレニを部屋の奥に招いた。
オパエツの部屋にはいくつものPCだった岩が立っていた。足の踏み場は細く、入り口とデスクを繋ぐ一本道だけだった。
オパエツは椅子らしき岩に座り、マレニは床に座った。
「オパエツ、私、一ヶ月後のブリンクの日に歌劇を開催しようと思うの」
「ブリンクの日に? ちょっと面白いじゃないか。歌劇付き岩石博覧会はそんなに集客が見込めるのか?」
「いいえ。お客さんには岩石を見せるわけじゃないの。そんなときだからこそ、歌劇は輝くと思ってるの」
オパエツは少し黙ってから、肘をついてマレニに続きを促した。
マレニは喉に手を当て、立ち上がった。
「歌劇って凄いの! ここは古城♪ 吸血鬼の王が血を啜る恐怖の根源……王の口に合わなかった人民はこの墓石へと姿を変えた♪」
マレニはPCだった岩石に触れる。
「ここは図書館♪ 静謐な知の源泉……そこで出会うは語らぬアナタ♪ あっちの本棚? こっちの本棚? 私は翻弄される恋のサスペンス♪」
「なるほどな。おまえの言いたいことは――」
「そう! 歌は無限♪ 心は無限♪ 無限、無限、それが私の、私の歌劇!」
マレニは決めポーズをとって、満足げにお辞儀をした。
オパエツは三度拍手をして、それからマレニを見つめた。
「……」
「……」
「もう喋っていいか?」
「ええ。出来れば歌で伝えてくれると嬉しいわ」
「出来ない。諦めてくれ」
「分かったわ」
オパエツは顎を触りながら、言葉を選んだ。
「ブリンクの日にこそ歌劇をやる意味は分かった。WRが機能不全を起こしている間にこそ『見立て』の劇が輝くと言いたいんだな。それで、俺に何の相談だ?」
「無茶を承知でお願いするのだけれど、ブリンクの日だからこそね、クライマックスには素敵な光景をお客さんに見せたいの」
「どうやって?」
「だから、それをオパエツにお願いしたいの。ブリンク中でも、この岩だらけの世界に素敵な光景を映し出したい。そんな方法は何か思いつかない?」
「ない」
オパエツは即答した。
「大体な、俺が部屋を飾ったりできるのは、元のWRの技術基盤があるからなんだ。分かりやすく言えば、用意されたキャンバスの上に、俺は絵を描いているんだ。ブリンク中っていうのは、このキャンバスがない状態なんだ」
「不躾な質問で悪いのだけれど、そのキャンバスってオパエツには作れないの?」
「逆に訊いてやる。素敵な歌声のマレニさん、ちょっと『喉』ってやつを造れやしないか?」
「それは無理よ。あと一ヶ月よ? 次の私になってもできるかどうか」
「同じことだ。俺にできるのはせいぜい、ブリンクが終わる時間を予測するくらいだな。『ブリンクが終わるタイミングにクライマックスを持ってきて、世界を彩る』っていうのじゃ駄目か?」
「それって何パーセントの確率で当たるの?」
「高く見積もって三〇パーセントだな」
「三〇パーセントかぁ、素敵じゃないわね……」
マレニは少し上を見て、しばらく考えた。
元々考え込むタイプではないマレニが黙っていて、また剥き出しの岩の頭で表情も読めない分、オパエツは珍しく狼狽えた。
「何故一ヶ月後なんだ。もっと時間があれば、もう少し何かやりようはあるかもしれない。一年後では駄目か?」
「……うちの歌劇団の副団長が、耐用年数を迎えるみたいなの。ずっと隠していて、今日、『役場行きがブリンクのせいで一日遅れる』ってポロッと口にして。私、すごく副団長にお世話になったの。だから、副団長に見せられるのは一ヶ月後しかないの」
再びの沈黙。
やがて、マレニは黙ったまま立ち上がり、部屋の扉に手を掛けた。それからまた少し考え込んでから、オパエツの方へ振り向いた。
「難しい注文してごめんね。一日前倒しして、普通に歌劇やろうかな。やる日が決まったら、みんなと見に来てよ」
「一週間だ」
オパエツは手を前に出し、マレニへ強く宣言した。
「やり方を考える。確証はないが、一週間時間をくれないか。歌劇の稽古に詳しくないが、時間は間に合うか?」
マレニは黙って固まってしまった。
しかし、オパエツには徐々に明るくなるマレニの顔が見えた。
マレニは一直線にオパエツへと駆け寄って、くるりと回った。
「ありがとう! オパエツ!」
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