第2話 朱満月と爆炎

 案内された寝床は、清潔な匂いがした。

「僥倖、だな」

 久しぶりの布団に熟睡し、暁光と共に起きた。

 純白の包帯は赤黒くなっていて、まだ痛くて仕方ない。


 無駄に広い部屋を、布団の中から眺める。

 緑色の畳は良い匂いをさせていて、柔らかい布団はまだ眠りへ誘う効力を持っている。天井は木目。左手の隣室へ続く欄間には恐らく玄武。右手は障子で廊下が続いている。


 その廊下に小さな少女がちょこんと座っている気配。障子越しに気配を窺うが、一ミリも動かない。

 根負けして障子を開け放った。


「……」

 昨夜の少女より幼い。十歳頃だろうか。

「おはようございます。良く眠れましたでしょうか」

 玲瓏とした声で問われ、俺は廊下の外を見た。


 この城は小高い丘の上にあり、廊下はそのまま街と海を一望できる。城は和の国の仕様だ。


 俺は幼女に視線を移す。

「俺はどういう扱いになる?」

 紺色の瞳が真っ直ぐこちらを見つめていて、心地悪い。

「姫様のお客様です。朝食を摂られましたら、ご案内するよう申しつかっております。苦手なものはございますでしょうか」

「……ない。名前は?」

 彼女は姿勢を整え、床に手をつき優美な仕草で挨拶をしてきた。

「申し遅れました、わたくし天海あまみ瑠衣るいと申します。畏れながら、御名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「……オキヤ」

 妹の背が暗闇の中に消えていく——それは。それは、ただの、過去だ。

 俺は左手から手を離し、目の前に少女を見据えた。

「俺は、賢木さかき熾矢おきや

「賢木様でございますね。お召し物はどうなさいますか。お洗濯させていただく事も可能ですが」

「洋服は借りれるか? 汚いものしか持ち合わせがない」

「構いません。ですが、今すぐにお貸しできるものは全て和服でございまして」

 すっと差し出された和服に、俺は仕方なく着替えた。




「……ぷへ」

 どこかの大名みたいに一段上に座っていた少女が変な声をあげて笑い出した。

 俺は仏頂面になる。黒い着物は、無駄に着心地がいい。……ただ、波の模様は気に入らない。

「あはっ、あはははははっ! 全く、瑠衣の野郎! 笑わせやがって!」

 まったくだ。『』に『』を合わせるなんて。

 部屋の隅に、濃紺の着物を着こなした長身の男が目を閉じて柱に寄りかかっている。昨日の〈怜〉の気配だ。

「……姫」

 彼は静かに嗜めた。

「はいはい。……あー、ウケる」

 姫は涙を拭って俺を見た。

 アルビノのような、綺麗な顔だった。



「本題に入ろうか。……お前、いつどうやってこの街に入った?」

「四日前。港から」

「ふうん。〈神渡かみわたり〉で誰も居なかったから侵入して来たのか。……ったく、監視カメラは見とけって言ったのに」

 溜め息を吐き、姫はすっくと立ち上がった。

 思ったより、背が高い。

 すっきりした鼻筋に、くっきりとした瞳が良く似合う。その瞳は天をそのまま区切ったような蒼穹の青だ。

「何しに来たんだ? こんな、機械の楽園に」

 片耳に、桜の耳飾りをしている。桜色から、先端だけを澄んだ薄青へ色を変えている紐が添えられている。


 俺はそれから瞳を剥がした。


「妹を、探しているんだ」




 この街には夜に出歩く人はいない。

 だから、この街の夜は、とても寂しい。

 この街の夜は寒くて、冷たくて……シニタクナル。

「怜」

「なんでしょう」

 この男は、冷たい声をしている。

「妹って、どんな存在なんだろーな」

「……私はあなたの式神ですので」

 赤い月の光に、少女は振り返る。

「判りかねるって?」

「……えぇ」

 怜は追及されるかと身を硬くしたが、姫は興味を失ったように袖から手を引き抜いた。

 その白い手には刀が握られている。鞘は袖に縫い付けられ置き去りだ。

「ホント、お前はいい従僕だよ、シキ

「——お褒めに預かり光栄です」

 その言葉は、黒い鬼の断末魔に掻き消された。

 袴の鬼斬りは獣の如く鉄パイプの群れを駆け上がる。たちまち煤のような粒子になって逃げる鬼に追いつき、斬撃を加える。

 トタンの上に躍り出た蝶は、振り返りざま刀を投じる。

 ギャ、と言う声と共に鬼は瓦解した。


 怜の目の前に、少女は猫のようにストンと着地する。


「行こうか」


 この街の王は、そう言った。




「……暇だ」

 俺は、布団の上で身を起こした。

 外は闇。近辺には何者の気配もない。

 障子を開け放つと、赤い月光が目に刺さった。

「……二つ目の、月が」

 昨日は、蒼月が満月だった。今日は、朱月が満月。


 オォォォォン——。


 今日も狼が鳴いている。だが、その姿は見えない。


「暇だ」


 俺は、欄干を蹴った。




「流石、〈朱満月しゅまんげつ〉だ……」

 はそう呟いて、背後の式に尋ねた。

「〈朱満月〉と〈青満月せいまんげつ〉が揃うのは、次の朱満月だな?」

「……はい」

 闇に紛れるはずの紺色の着物は、赤い月光に晒されて、血の色に見える。


 前方の鬼を一瞥もせず、姫は殺す。

 少し広い場所には、少し大きい鬼が待ち構えていた。


 鬼は、まるで煤が自我を持ち集まって固まったような存在だ。人間と同じ方法で殺害できる。

 日本刀を式から受け取り、姫は袴の裾を踊らせて殺戮を開始した。


 姫は、この工場の守人。

 武器を持ち夜な夜な殺戮を行う。

 鬼は朱満月をピークに街中に出現する。ただ一度、狼が姿を現す青満月の日だけは現れない。

 ただ、二十九日周期である青満月と七日周期である朱満月が被れば——。


 血の臭いと、断末魔の残響が街に消えていく。



 姫は刀を重そうに持ち上げて、抜き身のまま駆けていく。

 式も消えかけの血溜まりの上を駆け抜けた。

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