工業国の相剋物語——朱と蒼の二律背反

深水彗蓮

Where are you?

第1話 工業の街

 そこは、機械の群れ。

 鉄の塊がうねり、機械音が唸り、煙が立ち昇る。

 機械の街。

 絶えず密集した工場が、汚い音と煙を立てて稼働し続けている。


 外界へ続くのは三本の鉄道。それはこの街の三方を塞ぐ山を貫いている。長い長いトンネルの向こうへ人間は行けない。やってくる事もない。無事に通れるのは無機物だけ。


 だから俺は、海を通った。


 この街は北だけを海に向けている。原材料や燃料がそこから運ばれ、出来たものは鉄道で内陸へ運ばれていく。

 ここは工業の王国だ。



 そして、魔が溢れ出す場でもある。




 俺は無人の港を見回す。

 灰色の空に、灰色の港。港は八月の潮の香りを漂わせつつ、どことなく未使用のような、奇妙な清潔感がある。

 てっきり、部外者に襲いかかってくるかと思ったが、誰もいない。

 その代わりのように、機械が右往左往していて不気味だ。

 機械は命令を繰り返すだけのようで、突き飛ばそうが進路に飛び出ようが、無視するだけだった。


 貿易船から船員は降りることを許されていない。補給だけを終え、俺が三ヶ月世話になった船は、ゆっくりと離岸していった。



 もう、それから三日が経った。一隻、船がやって来た時、わらわらと機械が倉庫から飛び出して来て、大きな箱を幾つも担ぎ込んでいった。その後、円形の清掃ロボが全て掃除して、また港は静寂と潮騒に包まれた。


 港と街は、一つの門で区切られている。時々、無人の車が出ていく。

 俺は、その関所に似た門が無人になる時か、街への突破口を探し続けていた。

 俺は拳銃片手に門が窺える位置まで走る。

「……?」

 思わず、柱の陰から出た。


「……いない」


 三日絶えることのなかった人間の気配が消えている。


 時間は深夜の少し前。


 俺は喉を鳴らし、そっと街へ忍び入った。




 街も、機械音に満たされた静寂の中にあった。

 猫の子一匹すら通らない道を、排水溝に足を取られないようしながら走る。


 相変わらず変な街だ。

 入り組んだ鉄のパイプ。妙な臭いが漂う道。小さなランプが常時点灯し、警戒を促している。

 だれも、いない。

「……」

 俺は腰のナイフに手をやる。

 グリップを一瞬しっかり握り、鞘へ手を滑らす。冷えた感触が、不安を払拭していく。

 俺は、また一歩踏み出した。その時。



 オオオオォォォォン——



「っ⁉︎」

 思わず右手にあったシャッターを潜り、機械の陰に隠れる。

 あれは、機械の駆動音ではない。生き物の。


 ——咆哮。


「まさか」

 声が震える。


 あれは、狼の声。

 森を抜けた時に何度か脅かされた。間違いない。


 だが、なぜこんな工業団地に——?



 オオオオォォォォォォン——!



 俺は、ハッとして空を見上げた。


 青暗いそらに、ソレはいた。


 ソレは銀の狼だった。

 天を駆け、上空を緩やかにびながら、時折吼えている。


『なんて、キレイ。』



 目を見開いて見上げていた俺の頭を、激痛が襲った。殴られたような酷い痛みだった。

 思わず構えていたナイフを取り落とし、床の上でのたうち回る。



 幼い頃の幻影。

              『——見たくない』

 両親。

 恐ろしい男。

 斬撃。

 ナイフ。

 血溜まり。

 初めて殺しをした時の様子。

              『——忘れて、いたい』

 その感触。

 走る。

 スラム街。

 妹。



「や、めろぉ……っ……!」


 左手に激痛が走った。

 俺は左手からナイフを抜く。

 ぜいぜい言いながら、空を見上げる。


 狼はまだ飛翔を続けている。

 その振る舞いはどこか寂しげで。

 常世のものではないようで。


 なんて、不気味。


「おれは、忘れ、ない」


 ブレる視界に血溜まりが重なる。


 塩辛い水がそれを模る。


 覚えていたくない過去だって、


「抗って、やる」


 ズキズキ痛む左手だって、


 あい された事ないこの俺だって、


 奪われた全て、


「赦さない……——」



 俺はゆらゆら立ち上がって、闇と機械の中に声を掛けた。

「おい。……誰だ?」


 少しの間をおき、一つ、影が出て来た。

 着物、いや袴姿の女だ。腰に日本刀を佩き、紺の袴に白い二尺袖着物を合わせている。着物の袖には仄かに桜色。

「……」

 少女と俺は睨み合う。

 薄青の白髪が、少し揺れた。彼女のブーツが硬い音を立てる。


夜夜中よるよなかの狼を、見たな」


 澄んだ硬い声だった。

「……空を飛んでる馬鹿げた狼なら、見た」

 少女は袖の中に手を入れて、微かに笑う。

「そうか。だが、記憶は失っていないのか」

「……やっぱ、〈そういう系〉か?」

 少女は蒼い瞳を上空へ向ける。

「当たり前だ。神という異形は、触れるだけで代償を奪っていく。……それが本人の意思であろうとなかろうと」

 少女は背後を振り返った。

 肩の高さで適当に切られた髪に、今更ながら気が付いた。

れい。連れて帰る」

 どこからともなくため息が響いた。

「……姫がお望みなら」

 男の声に少女は堂々と答える。

「ああ、私の望みだ」

 肩越しに振り返り、ニヤリと笑う。

「よう、新参者。歓迎するぜ」


 何故だか、酷く左手が痛んだ。

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