第3話 朱満月の夜明け

 朱い月。

 それは恐ろしいほど、この星に近い。

 月の表面ひょうめんは隕石によってボコボコになっている。

 その恨みのように、朱い月はその肌を見せてくる。

 蒼い月は裏面に隠して見せないのに。


 でも、それなら一番辛くて苦しいのは。


 熾矢は静かにナイフを抜いた。

 赤黒い闇に、ぼうと火が現れる。

 ゆらゆらとナイフの遣い手は城のある森から出て来て、街の屋根上を歩き出した。


「——殺してやる……」




 突如、姫は足を止めた。制止するために伸ばされた袖を見て、式は脳内で術式を構成する。

『前方に一人』

 袖から覗く指の数。それだけが『指示』だ。

 だから、用意すべき『式』は……。


「〈集まれ〉」

 袴姿が跳ねた。異常な月光に鋭く刀が光る。

「〈導け〉」

 鉄屑の群れが姫の足場を作る。

 姫の行く先へ鉄屑の大波が向かっていく。

「〈捕まえろ〉」

 獲物を取り囲む。

 今や鉄屑は式の手、そのもの。

「——っ⁉︎」

 その手が、焼き切られた。



「くっそ、なんだよこれ……」

 燃えたナイフが鉄屑を切り裂く。


 怜は慌てて式を立て直した。


「〈防げ〉‼︎」


 姫は鉄屑に埋もれた敵が、鉄屑によって庇われた事に気がついた。

「……あ? おい、式」

 何妨害してんだよ、と。

 細い路地から慌てた様子で式が出てくる。

「……お前、怜か」

 こくりと怜は頷いた。

が出て来てる間はお前も式でいろ——って、ああ」

 姫は炎上したナイフを片手に眉を顰めている客人を見た。

の客を危うく殺すところだったのか」


「あんたら……二重人格者か」

 オキヤの声はどこか非難がましい。

「……戦いに慣れたら、日常は送れないからな」

 姫は朱い月を見上げる。嘲笑うような満月に、姫は顔をしかめた。

「手を汚す人格と、汚さない人格を分けているのか」

「理解が早くて助かるよ。……この街にはね、〈裏〉がある。君たちみたいに〈表〉にしか居ない者は良いんだけど、私たちには〈裏〉に対応する存在がいる」

 もう一人の自分。またの名をドッペルゲンガー。

「〈裏〉は文字通り〈裏〉だ。穢れの世界そのもの。だから、〈表〉の私まで穢れれば、〈裏〉の私がこの私を喰ってしまう。喰ってしまえば、凶月朱月に関係なく〈表〉を荒らせる。だから——」

 姫の耳飾りが蒼くなる。


「〈俺〉がいる」


 式は飛び出していった姫を追う。熾矢もその背を追った。

「なあ、あんた、あの量の鉄屑を操ってたのか?」

「……」

 式はチラリと少年を見る。

 少年のナイフはまだ炎をあげている。

「……はい。俗に言う超能力の一種、念動力です。学術的にはpsychokinesis。PKと言われるものです」

 少年のナイフの炎は、魔法のもの。

「貴方の、それは……」

 少年はナイフの刃に触れた。

「魔法だよ。俺、炎しか使えないけど」

pyrokinesisパイロキネシス

 微笑んで、少年はナイフを投げた。それは鬼の塊に刺さる。

「〈爆発エラプション〉」

 煌々と燃えた鬼を見つめる横顔は、眩しそうに目を細めた。




 殺害。

 刃を振い、血肉を裂き、血花が咲き乱れる戦場を駆ける行為。


 俺はどうしようもなくそれを嗜好している。


 でも、俺はそれに飲まれるわけにはいかない。


 私はどうしようもなくこの街を愛している。


 殺して守る。


 そんな事ができるのか。


「殺して、やらなきゃ」



「〈噴火デフェール〉!」

 噴煙が視界を覆う。

 屋根の上に逃げた姫の下で、煙を裂きながら駆ける少年が見えた。

「式……! あいつはただの——」

 ただの、少年だろ?


 ナイフ一本で、十八の少年がこの世を渡れるわけないだろ?


「〈火柱フレア〉!」

 鼻先を掠める熱風に、姫は思わず身を引く。

「姫」

「……怜」

 怜の目に映る少女は、酷く弱々しい。

も、あんなに強かったら」

「……」

 瓦に手をつき、叶わぬ言葉を吐く。

「私にも、あんな力が……もし、あったならば」

〈妹〉の大切さも分かっていたのだろうか?


 式には、答えることも、その涙を拭うことも許されていなかった。



 式は姫を背後に庇って叫んだ。

「〈ねじれろ〉‼︎」

 鬼の手が見えぬ力と戦う。

 式は見えぬ力に右手を添えた。それでも足りず、左手で右手を支える。

「〈よじれろ〉……!」


「式、もういい」


 目に見えない速度の一閃が、鬼を殺す。

 式は思わず膝を突いた。玉のような汗が滴っていく。

「式、ご苦労」

 不意に優しい顔を見せるから。

 頼もしいその背中が格好良いから。


「——はい」


 式は思わず、この人が好きになってしまう。



「おいオキ! 鬼は死ぬ際に粉になる! 粉塵爆発でも起こしたくなかったら手を引くんだな!」

「殺したら火は消してるだろ! 俺にだって俺の火も牙を向くんだから! あと略すな!」

「ゴタゴタうるさい」

「はぁ⁉︎」

 姫は抜き身の日本刀を振り翳し、晴れ始めた噴煙の中に飛び込んだ。


「もう終わりだ」



 鬼たちがどこからともなく集まってくる。

「うわぁ……多い……」

 熾はナイフを構える。


「——殺す」

 鬼が動くより一瞬だけ早く。


 白と桜の袖が動いていた。



 オオォォォォォォォン——。


 狼の声が響く。

「……おそ、い」

 姫は刀を支えに立ち上がった。


 いつの間にか、東の山から清い光が上がってきている。


 オォォォォォォォ——ン。


 屋根の上に、銀の狼がいた。それはたん、とその場を離れて。


 天を飛ぶ。

 天翔る。


 月を追いやるように。朱い闇を祓うように。


 天を裂くような軌道を描き、太陽の出現と共に消えた。

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