第7話「それぞれの選択」

 暗く湿った奈落の空洞を、三人で歩いていた。


 魔法の光球が足元を照らすたび、岩肌に浮かぶ古代文字や、崩れかけた柱の影がうごめくように見えた。

 その光は心許なく、頼りない。だが、それでも前に進むには十分な道しるべだった。


 冷たい風が背中を撫でるたび、どこか異質な“気配”がまとわりついてくる。空気の中に、声にならない何かが混ざっているようで、思わず肩がすくむ。


「……なんとか、落ち着いたな。あのネクロマってやつ、また出てくるのか?」


「可能性は高いです。奴は退いたのではなく、“退いたふりをした”に過ぎません。あの性格からして、次はもっと悪趣味な登場を仕掛けてくるでしょう」


 アルベルトが平然と分析する。さっきまで戦闘をしていたとは思えない冷静さだった。


 この人、いつも通りすぎる……と思ったが、そんな態度が逆にありがたくもあった。地に足がつく感覚、というか。


「……そんなにヤバい奴だったの……?」


 ルーシーが少し怯えたように言いながら、背負ったリュックを軽く揺らした。ぎゅうぎゅうに詰められた荷物は、彼女の小さな背にはちょっと重そうだったが、本人は気にしていないようだった。


「ま、でも……とりあえずヨル兄もアルベルトも無事でよかったよ。ほんっとに……!」


 その一言が、なんだか妙にあたたかかった。


「ありがとう、ルーシー」


 ボクは笑って返しながら、ふと思った。


「……あのさ、ルーシー。なんで君がこの場所に? ていうか、ダランさんとリティアは……?」


 その問いに、ルーシーの足がピタリと止まる。


 彼女はふいに頬をふくらませ、ぷいっと顔をそむけた。


「……あんな人たち知らない! バカ! 冷血! 鉄仮面!」


「えっ!? ちょ、なにがあったの!?」


 返ってきたのは予想を遥かに超える怒気混じりの反応だった。


 リュックのベルトをぎゅっと引き直すその手にも、いつになく力がこもっている。


 ルーシーの目に宿る怒りが、奈落の薄明かりの中ではっきりと見えた。



 時は遡り、ヨルト・アルベルト落下直後――


 あの瞬間、ルーシーは怒っていた。


 ヨルトとアルベルトが奈落へ落下したというのに、誰も――正確には、ダランもリティアも――その事実に取り乱す様子はなかった。


 奈落の縁に立ち尽くしたルーシーは、ただひとこと叫んだ。


「早く助けに行こうよ! ヨル兄もアルベルトも、まだ下に――!」


 風が奈落の底から吹き上げ、彼女の髪を揺らす。視線の先には、ぽっかりと開いた深い暗闇。落下したあの二人の気配は、もう感じられなかった。


 ダランは沈黙を保ったまま、落下した場所をじっと見つめていた。リティアは目を閉じ、深く息を吐いた。


「…………」


 答えが返ってこない。ルーシーの胸が、かっと熱くなる。


「ねえ、聞いてる!? すぐに下りる方法を考えようよ! あたし、道具もあるし、魔導具でロープとか――!」


「……リティアよ。この大穴をこのままにするのは危険だ。魔法でなんとかならんか?」


 ダランがようやく口を開いた。しかし、その内容は救出の話ではなかった。


 ルーシーが目を見開く。背筋を冷たいものが走る。


 リティアは冷静な声で返す。


「大地の精霊に働きかけてみます。崩落の危険がある地盤には、精霊の加護で封印を施すのが最善でしょう」


「っ……」


 ――違う。それは今する話じゃない。


「ちょっと! 何言ってんの!? 今は“あの二人をどう助けるか”でしょ!?」


 叫んだルーシーに、リティアは冷たい目を向けた。


「感情で動いては、事態を悪化させるだけです。ヨルトとアルベルトが無事かどうかも分からない状況で、私たちが飛び込むのは――判断として愚かです」


「愚か……?」


 ルーシーの喉が詰まりそうになった。


「あなた、本気で言ってるの……?」


 何かが切れた。


 彼女は背負ったリュックを下ろし、必要な道具だけを詰め直し始める。


「……いいよ、あたし一人で行くから」


 ダランもリティアも、その手を止めようとはしなかった。



 ルーシーが消えてしばらく経った後、夜が更ける中で、焚き火の前に二人の影があった。


 ダランは黙って炎を見つめている。リティアは膝を抱えて、何も言わない。


 風が吹くたびに、焚き火の炎がゆらめき、二人の顔を照らしたり、隠したりしていた。


 しばらくして、ダランが呟いた。


「二人になってしまったな」


「ええ。でも、まだ終わっていません」


 リティアの声には迷いがなかった。


「私たちには、成さねばならぬことがある。神託と王命を受けた以上、魔王討伐という目的を忘れてはならない」


「……止まる訳にはいかん、か」


 ダランは腕を組み、背後の深い闇を見つめた。


「アルベルトの強さは確かだったな。ヨルトにはすまんことをした」


 リティアは目を伏せながら、ぽつりと呟く。


「でも……ヨルトは、ただ“信じた”だけなのよ。仲間を。あの場で」


 その声には、かすかに悔しさの混じった響きがあった。


「ならば、我らは我らで証明しよう。彼の“信じた先”が間違いではないと」


 焚き火の炎が、二人の影を長く伸ばしていた。




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