第5話「奈落のふたり」

 空中をただようような感覚が、永遠に続くかと思った。

 だが、落下には終わりがある。


 ――ドン、と身体が何か柔らかいものに叩きつけられ、衝撃と痛みが一気に押し寄せてきた。


「ぐっ……!」


 ボクは咳き込みながら、土と埃の味のする空気を吸い込んだ。

 背中に走る痛みとともに、意識がようやく戻ってくる。


「……い、生きてる?」


 ゆっくりと目を開けると、そこは――見たことのない空間だった。



 高く積み上がった石の壁。岩盤の裂け目からかすかに差し込む光。

 地面には苔のようなものがうっすらと生えていて、地下であるにもかかわらず、わずかに湿った風が流れていた。


 天井を見上げても、先ほどまでいた地上の気配は見えない。


「……落ちた、のか。奈落に……」


 そう呟いた瞬間、近くで微かに衣擦れの音がした。


「ヨルト君、大丈夫ですか?」


 見れば、すぐ横にアルベルトがいた。

 衣服の袖が破れ、杖を片手に立ち上がろうとしている。


「うん……なんとか。そっちは?」


「軽傷です。骨には異常なし。魔力も問題ないです」


 まったくもっていつも通りの返答だった。


 ――落ちて、真っ先に現地状況の確認。さすがというか、もはや安心するというか。


 でも、ここがどこなのか分からない。戻れる保証もない。


「これ、どのくらいの深さまで落ちたんだろ……。地上とは完全に分断されてるよね」


「はい。少なくとも垂直に百数十メートルは落下しました。途中、幾つかの岩層をすり抜けています。仮に上へ戻る手段があっても、登攀は困難でしょう」


「……じゃあ、登るのは無理か」


 ボクは肩からリュックをおろし、背中を伸ばした。

 身体のあちこちが痛むが、歩けないほどではない。


「とにかく、ここがどこなのか調べないと。何か手がかりがあればいいけど……」



 アルベルトは無言で頷き、杖の先を掲げた。


 次の瞬間――杖の先から放たれた魔法の光球が、周囲を淡く照らし出した。

 その光に照らされた壁面を見た瞬間、ボクは思わず息を呑んだ。


「な……これって……建物?」


 崩れかけた石柱。瓦礫の中に埋もれた扉のようなもの。

 自然の岩ではない、人工的な構造物――それが、この場所に確かに存在していた。


 まるで、そこに“誰かが暮らしていた”かのような……そんな痕跡。


「これは、かつての……遺構ですね」


「遺構?」


「はい。記録にはほとんど残っていませんが今から千年前、魔法文明期の地下に存在した実験都市の一つですね」


 アルベルトの口調がわずかに熱を帯びていた。


「つまりここは……千年前の“失われた時代”の遺跡ってこと?」


「正確には、私が育った場所です」


「――えっ?」



 意味がわからなかった。

 あまりに唐突すぎて、アルベルトの言葉が頭に届くのに数秒かかった。


「ちょ、ちょっと待って! それどういう――」


「説明は歩きながらでお願いします。先に進みましょう。まず、この空間の安全を確認するのが先です」


 ボクが言葉を続ける前に、アルベルトは歩き出していた。


 まったく、そういうところなんだよな。


 奈落の遺跡は、どこまでも静かで、そして寒かった。

 壁の至るところに、古びた魔法陣のようなものが刻まれていて、かすかに淡い光を放っている。

 その光に照らされながら、ボクとアルベルトは足音を潜めて進んでいた。


 暗がりの中、アルベルトの小さな光球が淡く辺りを照らし出す。


 足元は崩れかけた石畳。壁は苔むし、空気は湿り気を帯びて重い。

 ボクはそっと呼吸を整えながら、崩落した天井を見上げた。


「……やっぱり、完全に閉じ込められた、か」


「落下地点からの距離と方角、崩落の規模から推測するに、脱出に要する時間は……」


 隣で静かに呟くアルベルトは、既にこの状況を“検証対象”として処理していた。

 ボクが焦るよりもずっと冷静だ。


「ここはどんな場所だったんだ?」


「かつて数万人の人々が暮らし、高度な魔法文明を駆使した一大都市でした」


 目の前を歩くアルベルトの背中は妙に寂しくも語り続ける。


「現代に残る資料は有りません。残っているのはこの無惨なまでに転がる瓦礫と私たちに残る記憶だけです」


「それでも、何か残ってたりしないのか?使えそうな武器や書物……高度な文明だったら強力な魔道具だったり!ルーシーが喜びそうだな」


 アルベルトは壁に手を当て、静かに目を細める。


「残ってはいるでしょうね。しかし、使い物になるかわかりませんよ。ここは実験都市……良くも悪くも半端な物が溢れる場所。私と同様に……」


 ボクは躊躇しながらも、聞かずにはいられない疑問をアルベルトに投げ掛ける。


「君は何者で、何がしたいんだ?」


 静寂があたりを包み込む。

 どこかで水の滴が落ち、その音は空洞全体に広がり反響する。


「ご心配無く、私はただの人間ですよ」


 アルベルトは笑顔を浮かべて答える。


「良かった。てっきり魔族や化け物の類だと思ったよ。ははは」


「化け物ですか……。あながち間違いではありませんね」


アルベルトの発言にまたも静寂が帰ってくる。


「この地の破滅と共に、私の肉体の時間はとまりました。永い時を生き、私の精神だけが終わりを迎え今の私を形成しています」


 ボクは言葉に詰まった。


 アルベルトの“強さ”は、努力や才能だけじゃなかった。

 彼自身が、既に“特別な何か”の延長線上にいる。


 ボクたちと、根本が違うんだ。



「……でもさ」


 気づけば、口が勝手に動いていた。


「それでも、アルベルトさんは今、ここにいる。あの戦闘でボクを助けてくれたし、こうして光も灯してる。ボクにとっては、それだけで十分なんだ」


 沈黙。


 アルベルトは、少しだけ目を見開いたようだった。


「……面白いですね、ヨルト君」


「え?」


「私は他者に“必要とされる”理由をいつも論理的に求めてきました。でも、あなたの言葉は違う。曖昧で、主観的で……なのに、否定できない」


 彼はふっと目を伏せ、どこか柔らかい声で言った。


「……私はきっと、“共に歩く理由”を、ずっと探していたのかもしれません」


 その言葉が、ボクの胸に静かに響いた。



 その時だった。


 突如、遺跡の奥から鈍い音が響く。地面が揺れ、埃が舞う。


「……これは、来客の予感ですね」


 アルベルトが、そっと杖を握る。


「行ってみようか。ここで何か掴めるかもしれない」


 ボクも剣を手に取り、彼の横に立った。


 狭く冷たいこの空間で、ボクたちははじめて――“並ん

で”立っていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る