第4話「スープ」

 風が止まった。

 森の奥で鳥が飛び立つ音すら、どこか遠くに感じられた。


 ダランの剣――その斬撃は、確かにアルベルトの首を捉えていた。


 けれど。


「……っ!」


 アルベルトは、寸前で身を捻り、斜め後方へ跳ねるように離脱していた。


 だが、完全には避けきれなかった。


 その首筋に、ひと筋の紅――

 細く、鋭く、真っ直ぐな“線”が浮かび、赤い滴が静かに零れ落ちる。



「ダランさん。今のは“試し”の域を超えてましたが?」


 アルベルトは傷口を抑えることなく、静かに尋ねた。

 声には怒気も困惑もない。ただ、事実を確認するかのような抑揚。


 それが、逆に場の空気を凍らせる。



「お主の強さゆえ、つい本気を出してしまった。……だが」


 ダランは、剣を下ろさぬまま言葉を続ける。


「お主にも、赤い血が流れているのだな。――安心した」



「リティア! アルベルトに回復魔法を!」


 ボクは焦って声を上げた。


 だが――リティアは動かなかった。


 腕を組んだまま、冷たい瞳でアルベルトを見据えている。


「……あんなもの、擦り傷でしょ。唾でもつけとけば治るわ」



 そのときだった。


 ダランが剣を構え直し、ふたたび地を蹴った。


「――次は、本気で仕留める」


「そうは行きません。上位魔法ライトノヴァ


 澄ました表情のアルベルトは詠唱なしで、杖から巨大な閃光を放つ。


 流石のダランも受け止めるのを諦め回避する。


 放たれた巨大な光は勢いよく地面に衝突し、あたり一面が土煙に包まれ視界が奪われる。


 土煙の中、目を凝らすと素早く動く黒い影がアルベルトに向かって行く。


「!? 横から……!」


 アルベルトの視線が揺れる。


 その煙の中から、音もなく加速してきたのは――リティアだった。


「私をただの回復担当だと侮ったわね。女神よ、光の名のもとに――悔い改めなさいッ!《ルミネイズ》」


 彼女の掌から放たれた光線は、天を裂く雷撃のように放射され、大地すら焦がす勢いだった。


 アルベルトはとっさに杖を振り、空間に障壁を展開。

 光がぶつかり、爆ぜる。


 轟音と閃光が、森を揺らした。


 こんな状況で不謹慎だって分かってる。でも、言わずにいられなかった


「リティアは肉弾戦も出来るんだ。こえぇ……」



 定刻の三分は疾うに過ぎ去っていた。


 魔法と剣が交錯し、土と光が飛び交う。

 足元の地面が割れ、木々がなぎ倒されていく。

 

 当たり一面、さながら環境破壊のような光景が広がる。


 それでも――三人は止まらなかった。



 戦闘が長引き、さすがに頃合いと見た。


「皆んな、そろそろいいだろ。互いの実力もわかったことだし、あとは――」


 ボクが言い終える前にダランが割って入る。


「――仕方あるまい。出させてもらうぞ」


 ダランが息を吐き、構えを変える。

 剣を逆手に持ち、地を蹴る体勢を低く取った。


奥義獅斬・天穿……!」


 ダランに呼応するようにリティアが最上位精霊召喚の祈りを唱える。


「世界を照らす光の精霊王よ、我が呼びかけに応えよ――《リュミエール・ルクス》!」


 リティアの声が、森の上空に響く。


 光の粒が宙に舞い、大気がきらめいたかと思えば――

 空から、女神のような光の存在が降り立つ。



「――仕方ありませんね……」


 アルベルトは呟くと、杖を前に掲げる。


 呼び先から、禍々しいほどに黒く、禍々しい魔力が渦を巻きながら凝縮していく。


「漆黒の闇、黒き神が化身。神級魔法冥滅核


 その黒く巨大な黒球は、光を吸い、音を飲み、空気さえ震わせる。



 これは流石にまずい。


「もうやめなよ!!」


 ルーシーの叫びは、まるで音そのものが飲み込まれるように消えていった。

 彼女の声が届いたのかどうか――それは分からない。


 ほんの一瞬、時が止まったように感じた。

 三人の動きが静止し、空気だけが震えていた。

 そして次の瞬間――全てが解き放たれた。


 放たれた斬撃は鋭く地面を抉り突き通す。


 召喚された精霊は太陽の如き閃光を放って。


 アルベルトの手から離れた黒球は無音のまま全てを飲み込む。


 これら全てがぶつかった際の衝撃は計り知れない。


「待って!! やめろ!!」


 ボクは、たまらず駆け出した。

 止めるなんてできるわけがない。だけど、それでも――



 光と闇、閃きと轟音。


 それらが交錯した瞬間――


 大地が揺れ地面が、崩れた。



「ヨルト君!? 危な――」


「うわッ――!」


 地鳴りとともに、ボクとアルベルトの足元が裂けた。

 バランスを崩し、そのまま奈落へ――


 落ちていった――




 轟音が収まったあと。

 ルーシーが見たのは、ぐつぐつと煮えていたスープの鍋だった。


 鍋は横倒しになり、中身はすでに地面に吸い込まれていた。

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