人間と

「んー」

 お昼休み。晴天の空に昇った太陽を見上げながら、鈴鳴澄香は大きく伸びをする。伸びをした腕に当たって、癖の付いた髪が揺れる。それが気になって、手でいじる。子供のころは可愛いと言われていたぴょっこぴょこ跳ねるこの髪は、さすがに高校生になると、子供っぽすぎで少し恥ずかしい。一度はまっすぐな髪で過ごしてみたい、とは思うのだけれど、高校生になったばかりの澄香にとって、それは大きすぎる冒険だった。

 まだ少し肌寒い春の風が、体になじんでいない制服の隙間から肌を撫でる。昨日入学したこの学校は、小高い山の中腹に立っていて、屋上からは木の緑と家の城が半々くらい見えた。始めてきた学校の、全く人気のない屋上は、初めて見る景色ばかりで、どう受け止めたものかと戸惑ってしまう。

 入学式の翌日。簡単なオリエンテーションだけで授業は終わってしまったけれど、部活動の見学等含め、帰宅は各々の判断に任せることとなっていた。

 つまりは今日の授業はもう終わりで、先ほど出てきた教室も、出てくるころには澄香ともう一人の影を残すばかりになっていた。

 その、教室から一緒に出てきた友人が言う。

「どうしたの」

「いや、友達出来なかったなって」

 ため息交じりに言うと、その友人、瀬尾昴は一瞬固まった後、私じゃ不満か、こいつめー! と言いながら澄香の頭をわしゃわしゃと撫でた。身長150センチに満たない小柄な澄香は、180センチ近くある彼女にそうやってじゃれつかれると、もみくちゃになってしまう。ぐわぐわと視界が揺れて、お互いの膝の上に置いたお弁当箱も揺れる。

「タンマ、タンマ! 落ちちゃう、お弁当落ちちゃうよ、昴ちゃん!」

「いーーや、今のは聞き捨てならないぞ、こんちくしょうめ!」

「違うの!!」

「何が違うの、じゃい!」

 彼女は同じ中学から進学した友人だ。お互い共通の趣味というか趣向というかが合い、それで知り合って仲良くなった。澄香は勝手に親友だ、なんて思っているけど、昴ちゃんがどう思っているのかは知らない。

 まあ、でも。つまりは彼女が言いたいのは。

「私は友達じゃないってえ!?」

「いや、違くて! 高校で話すような友人が欲しいなって思ってたから!」

 一日同じところにいて、そういう友人ができなかったのが、ちょっと落第点だな、と思っただけで。

「………」

「それだけだよ」

「…………」

「昴ちゃん?」

「こーんな美人を侍らせておいて、私じゃ我慢できないって言うか!」

「きゃーーーーー!!!」

 再びじゃれついてくる昴ちゃんは、でも目はにやけているし、口元は緩んでいる。澄香よりもさらにくせっけの強い、なんというか、もこもこした動物の毛のような薄色の髪の彼女がそうすると、なんだか大型の犬を思い出すような人懐こさがある。ハスキーというよりは、レトリバーやサモエドのような雰囲気。一緒に居て、居心地がいいなと思う。そういう所が、なんだかんだ一緒に居る理由なのかもしれない

「まったく」

「ごめんって」

「別に初日からべたべたしあうのが友人ってわけでもないじゃない。そんなことで落ちこまないの」

「うん、まあ、そうなんだけど」

「……。相変わらず生き急いでるねえ」

 ごもっともな指摘にうつむいた澄香の頭を、くしゃりと昴ちゃんが撫でる。それは先ほどとは違う、柔らかい手つきで、彼女が言葉尻ほど怒っているわけでも、呆れているわけでもないことが分かる。気を遣わせてしまっているだろうか、と思った。

 別に生き急いでいるつもりはない。

 ただ、なんとなく不安なのだ。

 目の前にいる人間を、知らないままでいるのが。

「それに、あれはちょっと難しいでしょ」

「なに?」

「前の席の奴じゃないの?」

 ぼそりと呟いた昴ちゃんの言葉に問い返すと、こともなげに昴ちゃんはそう言った。よく見ているなあ、と苦笑する。今日一番目に仲良くなろうとした、自分の一つ前の席の子。志水つみきと呼ばれていた彼女に、もちろん話しかけようとしたのだけれど。

「私何かしたかなあ」

「いや、昔からあんな感じらしいよ」

 話しかけてもなんというか無反応で、終業のチャイムと同時に彼女は教室を出て行ってしまった。澄香とは違う、真っすぐな黒髪。真面目そうな無表情な顔と、その周りをふわふわと舞う髪の軌道が目に焼き付いていた。袖にされた、というのが正直な印象だ。

 というか。

「…………。昴ちゃんって、人たらしだよね」

「え!? なに、急に」

 じっとりとした目で睨むと、昴ちゃんはぱちくりと目を瞬かせた。昴ちゃんは、今日基本的に席から動いていなかったのに、澄香が全く知らなかったつみきの情報をばっちりと入手している。彼女の周りにいた、沢山の友人に聞いたのだろう。友達をたくさん作るぞ、なんて意気込んでいた自分が少し情けなくなってしまう。こういう所に自分たちのキャラクターが現われるのかな、なんて、澄香はため息をつく。視界の端では、昴ちゃんがわたわたと慌てている。

 彼女には、なんというか、カリスマとでも言うべきものがあって、よく人の目を集めた。ただ、昴ちゃん自身はあまりそれを気に入ってはいないという。

 前に一度、その理由を聞いたことがあった。

『私、人狼だからね』

 と彼女は言った。

 だから、身を隠さなきゃいけないんだと。

 夜の町で、にこやかに笑いながら。

 人狼。

 狼男。いや、彼女の場合は狼女か。

 突拍子もない、何かの暗喩であろうその言い分を、彼女は澄香にしか言っていないらしい。

 それは、彼女の秘密を共有した中だからなのか。或いは何か別の理由があるからなのか、澄香にはわからない。それでも、自分しか知らない彼女のそんな、少し不思議な面を自分だけが知っているのは、少しだけ気持ちよかった。

 ちらりと横を見る。彼女はまだ、あわあわとしている。彼女の弁を信じる訳ではないけれど、こうしていると本当に大型犬そのものだな、なんて思う。

「別に怒ってないよ」

「絶対怒ってるやつじゃん」

「そんなことないよ?」

「怖いよ!!」

 失敬な。こんなかわいい笑顔を捕まえて。

 機嫌直してーと、言う昴ちゃんを無視してお弁当をつまむ。ちょっと騒がしくて、でも苦にならないこの関係は、中学の頃と変わっていない。環境が変わっても同じように接してくれるのには、少しだけ感謝していた。

 と。

 こんこんこんと、屋上のドアがなる。

 澄香と昴ちゃんは顔を見合わせた。

 一応担任の教師に確認をとったので悪いことをしているわけではないけれど、その教師も全くもって使うことのないと言っていた場所だ。ここに来る人間にまったく心当たりはない。しかも丁寧にノックまで。誰だろう。そう小首をかしげると、蹴破られるようにドアが開いた。

「たのもーーーー!!!」

 静まりかえった屋上をつんざくようにそう声を上げたのは、昴ちゃんよりもさらに背の高い女子生徒だった。スリッパの色から、3年生だと分かる。澄香がちらりと昴ちゃんを見上げると、彼女は顔を引きつらせてそれを見ていた。だろうな、と思う。目の前の彼女は、ぴっちりとした半袖半ズボンを身につけており、右脇に黄色と青のボールを抱えている。

 つまりはバレー部の先輩のようだった。

「君が瀬尾昴くんだね!」

 初めまして、と元気のいい声が晴天を貫く。

 昴ちゃんは運動も目立つのも苦手なのだが、何せ身長が高く、何なら結構肉付きもいい。運動部から見るとすごくうらやましい体格のようで、中学の頃から運動部には引っ張りだこだったりする。

「オリエンテーションで顔を見てね。いや、すごい恵まれた体だなって」

「ああ、ありがとうございます……」

「何かスポーツはやっていたのかな?」

「いや、はは……」

 ぐいぐいと迫られた昴ちゃんは、すでに手を両腕で握られていて、キラキラとした明るい目で見つめられてたじたじだ。助け船を出してあげたいところだけれど。

「あの……」

「? ああ、ごめん。ご友人も一緒だったか。君もどうだい。バレー部」

「すいません。運動とか苦手で……」

「そうか。マネは募集しているし、うちは文化系の部活も盛んだ。吹部なら友人もいるから必要なら頼ってくれ。私は3年の江崎という」

「はい、ありがとうございます」

「どうだ、瀬尾君。とりあえず見学だけでも」

 話しかけようとした澄香への、昴ちゃんへと明らかに違う露骨な態度に苦笑してしまう。昴ちゃんはそれを見て少し不満そうな顔をしたが、やがて大きくため息をついた。

「分かりました。いきますよ」

「おお、本当かい?」

「見学だけですよ? 私、ほんとに授業以外ではスポーツやってないんで」

「いいともいいとも。是非魅力を知ってもらえたら私もうれしい」

「じゃあ、私も……」

「いいよ、澄香」

 意気揚々と歩き出す先輩に、肩を落としてついて行く昴ちゃん。その後についていこうとしたら、昴ちゃんがそう言って澄香を引き留めた。

「澄香、本当に運動苦手じゃん。見てもつまんないでしょ」

「そんなことはないぞ、瀬尾君。バレーには彼女、ええと」

「鈴鳴澄香です」

「鈴鳴君でもできるようなポジションもある」

「あ、いえ、そういうことではなく」

 目を輝かせた江崎先輩をやんわりと制して、昴ちゃんは澄香を見る。

「気を遣ってくれるのはうれしいし、一緒に帰ろうとしてくれるのはうれしいけど、そう言うのは大丈夫だから」

 言葉はきついが、目は優しい。昴ちゃんはこういう人だ。他人から大切にされるのを嫌がる。まるで、何かにすがるのを嫌がっているように。

 それを澄香はよく知っているので、そう言い出した彼女には逆らわないことにしていた。

「そう?」

「うん」

「大丈夫?」

「うん。いや、澄香が一人で帰るのは心配だけど」

 巻き込めないよ、とくしゃりと昴ちゃんは澄香の頭をなでた。

「了解。じゃあ、また後でね」

「うん。また後で」

 短くそう答えると、昴ちゃんは膝上に乗った惣菜パンのゴミをさっさと片付けて立ち上がった。仲がいいんだな。と江崎先輩に言われてええ短く肯定する。そうして、二人は話しながら屋上を後にした。巻き込む、というと大袈裟に聞こえるが、実際のところ昴ちゃんが運動しているところは映えるのだ。運動は苦手、というのが本人の談だが、澄香に言わせればあれは苦手、というよりは嫌い、だ。50mを6秒代で走り抜ける人間は運動が得意と言って差し支えないと思う。ただ彼女は、かたくなに部活に入ろうとはしなかった。理由は聞いたことがない。きっと、とても乱雑にはぐらかされるだろうから。澄香は、ふう。とため息をつく。晴天の青空が、ただただ平和に、澄香を見下ろしていた。

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