第28話 「妹再び」

 階段は3階で終わっており、飛び込めば足が砕けるだけでは済みそうになかった。


 わたしたちはまた別の階段へと向かうことにする。


「誘導されてる……?」


「だとしたら、そんなことをしているのはどなたでしょうね」


 そいつはきっと、校舎を巨大なユリの花に占拠せんきょさせているやつに違いない。


 最初の迷宮で見つけたユリのようなバケモノを考えるに、この迷宮すらその誰かさんによってつくられたのではないか。


 だとしたら目的はなんだろう。


 そんなことを考えながら、荒廃した廊下を歩いていく。


 道すがらに3年生の教室が見えてくる。だけど、廊下と同じくらいかそれ以上に荒れ果てていて見る影もない。机や椅子はバラバラになり、そこらじゅうに破片が飛び散っている。窓ガラスは割れているかさもなければ黒いもので汚れていた。


 中で何かが暴れたようだと感じたのは、人体模型の七不思議が頭の中にあったからかもしれない。


 ここに来る道中に人体模型は見ていない。生きている人の姿だって。


 わたしは窓の外へとひょいと顔を出す。中庭には悪臭が充満していて、耐え難い。それでもなにか見えるんじゃないかと目を走らせる。


 空間を埋め尽くす、罠のような葉っぱたち。


 その間をすり抜けるようにして歩く人間の姿があった。


 人体模型じゃない。リアルな人は黒い服を着ている。一瞬、頭の中に理事長の姿がよぎった。


 よく見るとそれはうちの制服で高砂たかさご理事長の着ていたスーツとは違った。


 その背格好はわたしよりもちょっと大きくて、その後ろ姿にはどこか見覚えが――。


 その子が振り返る。


 見覚えがあるのは当然じゃないか。


 だって、あの子はいなくなったはず。


綺華あやか……」


 綺華がそこには立っていた。わたしの記憶の中にだけ存在している、あの時一緒に過ごした時のままの姿で。


 黒い制服を着こなし、わたしの隣にいつだっていてくれた時の姿で。


 食い入るように見つめていたら、綺華が微笑んだ。まわりの別世界のような光景なんて目に映っていないような穏やかな笑み。


 その口がゆっくりと動いていく。


 ――地下で待ってるね。


 遠くにいるというのに、耳元でささやかれたかのように声が響いた。


「外を眺めてどうしました?」


 高砂さんの言葉に、わたしは我に返る。途端、ゴホゴホと咳が飛び出した。悪臭が鼻腔びくう蹂躙じゅうりんしていたことに、ようやく気が付いたみたいだった。


「今、妹が――」


「どこですか」


 涙のにじむ目を拭い、綺華がいた場所を指さそうとした。


 でも、そこには誰もいない。煙のようにその場から消え去っていた。


「あそこにいたのに」


「行ってみます?」


「ううん……地下で待ってるって」


「地下ですか」


 高砂さんは目を丸くさせた。


 ここは迷宮。それも学園の地下にあると噂されていた地下迷宮だ。その下にさらに何かあるんだろうか。


 それとも、妹の言ったことは嘘なんだろうか。いや、そんなことがあるわけない。


 わたしを騙すようなことをする子じゃない。


「1階に入口があると思う……?」


「どうなんでしょうね。そもそも本当に妹さんだったんですか」


 わたしは高砂さんを見る。いや、たぶん睨むような目線になっていたに違いない。高砂さんが手をブンブン振った。


 綺華は確かにあそこにいた。わたしのことを見ていたんだ。


 でも、高砂さんが疑問に思うのももっともだった。いないはずの女の子がそこにいて声まですると言われたら、真っ先に疑うのはわたしだ。


「もしかしたら偽物かもしれませんよ」


「偽物」


 鏡の世界で高砂さんが言っていたことだ。偽物がいて、わたしたちをバラバラにしようとしてきた。その企みは成功に終わり、七夕ちゃんは血だまりに沈むこととなった。


 誰からも認識されない、消し去られた存在となってしまった。


「私たちを罠にかけようとしているのかも。例えば、見つけた場所に行ったら、あの花が襲いかかってくるとか」


「襲いかかってくるの……」


 あの巨大なユリが覆いかぶさってきて丸のみにされる。想像するだけでも身の毛がよだち鳥肌が立った。


「でも、妹が待っているなら行かなくちゃ。高砂さんは――」


「私も行きますよ」


「危ないかも」


「今更でしょう。それに、どのようなものが待ち受けているのか、私は楽しみなのですよ」


 心から楽しみなのだろう、高砂さんは真っ赤な舌で薄い唇を舐めていく。


 これまでの迷宮の中でもとびきり異様だっていうのに、高砂さんは平常運転だ。いや、いつもより不気味に見えた。


 歩き始めた高砂さんのあとに続く。


 窓から差し込める世紀末めいた赤い光によって、暗い廊下に赤みがかった影が差す。高砂さんのそれは、奇妙に歪んでいるように見えて怖い。


 わたしもそうなっているのではないか。自分が、この世のものではない異形へと変わっているんじゃないかとペタペタ触ってみたけれど、どこも変わってない。


 廊下の突き当りの階段は、2階までしか続いていなかった。


「あっちに行けば1階にたどりつく……?」


 わたしが指さしたのは「口」で言うところの左上。これで時計回りに降りてきたことになる。誘導されているという感覚はやっぱり気のせいではない。


 でも、人体模型が待ち受けているわけでもなければ、妹がいるわけでもない。モンスターだっていなかった。


 あるのは建物よりも巨大なユリの花。


 2階では、割れた窓から侵入した葉っぱが手を振るように揺れている。葉っぱはシンメトリーでそれだけ見ると美しい。トラップのように動きさえしなければよかったんだけど。


「なんであんな生態してるんだろ」


「そうでもしないと生きられないのではないでしょうか」


 不意にピューっと笛のような音が鳴った。窓の外、赤い空の彼方から響いてきたその音とともに現れたのは、空を横切る黒い影。


 鳥だ。


 軽くカールしたくちばしまで真っ黒なその鳥は、たぶんカラス。だけど、その頭はハゲワシのごとく禿げ上がっている。いや、人間の反り上げられた頭がそこにはあった。黒々としたどこを見ているかもわからない目は、人間のそれ。なのに、唇はなく歯もなかった。


 そんな異様な鳥がユリのまわりを旋回する。1回2回3回と。それから上空へと飛び上がろうとしたその鳥は、おそらく自分がどうなったのかわからなかったに違いない。わたしにもその瞬間は見えなかった。


 気が付けば、カラスのような何かはいなくなっていて、その場所にはユリの頭が揺らめいていた。


「行きましょうか」


 ショーでも見たかのような気軽さで高砂さんが言う。歩き出した足音は天使のように軽やか。今まさに行われた捕食が楽しかったと言わんばかりに飛び跳ねている。


 わたしは、後を追いかけることができなかった。


 目の前でお化けみたいなユリが満足そうに体を揺らしている。


 ぞっとするような気持ち悪さが胃の中をチクチク痛めつけてくるけれど、同時に、見るのをやめられなかった。


 高砂さんが、わたしの名前を呼ぶまでずっと。


 慌てて階段を駆け下りたどりついた1階は、上階よりもさらにひどいありさまだった。


 廊下にはガラス片開けではなく、ガレキやら葉っぱらやらが複雑に絡みあっている。地震と竜巻とが同時に起きてもこんなひどいことにはならないだろう。


 こんな中では葉っぱも成長できないらしく、ほとんど生えていない。その代わり、窓は一面緑に覆われている。そのせいで光はほとんど入っていなかった。


「どこに地下への入り口はあるのでしょうね」


 高砂さんが言う。


 わたしに聞かれたってわかるわけがない。むしろ高砂さんなら知ってるんじゃないのか。


「どうしてそう思うのですか」


「……理事長の娘だから」


「私の母が迷宮を作ったと?」


「そういうわけじゃないけど」


 じゃあ、どういう意味なんだろうと自分でもそう思う。


 このにこやかに笑みを浮かべる同級生は、母が疑われていてもちっとも傷ついていないらしい。妹を疑われたとしたら、わたしだったら激怒しちゃって手が出るかもしれないのに。


「もし仮にそうだとしたら、校長室に秘密の入り口があったりしてね」


「……お母さんのこと、嫌いなの?」


「はい。嫌いですよ」


 笑みを崩さず高砂さんは言った。それが当たり前で、どうして当然のことを言っているのだろう、とばかりに首をひねってさえいた。


みことさんはご両親のことを殺したいと思ったことはないのですか」


「思ってるの……」


 答えはやってこなかった。下手な答えよりも怖かった。


「それに、わたしの両親は死んじゃってるからさ」


 息を飲む音がした。


 先を歩いていた高砂さんがくるりと振り返って、わたしを見てくる。そこに浮かんでいるのは驚きだった。


「そうなのですか」


「事故でね。わたしと妹だけが生き残っちゃったんだよ」


 頭の中の妹が、わたしの言葉を即座に否定する。


 ――生き残っちゃったじゃなくて、生き残れたんだよ。


 言われるたびにダメだとは思いつつも同時にこうも思うんだ。


 父と母が生かしてくれたのか、それとも神様? どっちにしろ、離れ離れになるならば、生かしてくれなくてもよかったのに。


 そんなこと、誰にも言ったことはなかった。ましてや綺華に言えるわけがない。


「はじめて知りました」


 聞こえてきた言葉は小さいながらも喜びに満ちた言葉だった。


「やっぱり貴女は私が知るどなたとも違っていますね」


「どういうこと……」


「だから、好きになったのかもしれないということですよ」


「さっきも言ってたけど、好きって本気なの」


 わたしなんて好きになる要素がないじゃないか。


 高砂さんみたいに綺麗なわけではなく、綺華みたいに運動ができるわけでもない。勉強だって下から数えたほうが早いくらいだし。


 スタスタ近づいてきた高砂さんがわたしの手を取る。


 その手は死人のように冷たい。


「本気ですよ」


「……どうかしてる」


「かもしれませんね」


 高砂さんの指が絡みついてくる。タンゴでも踊るみたいにテンポよく、わたしの隣に高砂さんはやってきた。


「どちらだっていいではありませんか。さあて、母の部屋にでも行きましょう」


 高砂さんがウィンク。


 目線を下へと動かせば、指は野バラのようにがっちりと組みあっていて、振りほどけない。


 手から送られてくる冷気がわたしの心を揺らがせてくる。そこはかとない恐怖がこみあげてくる。


 まわりの異様さと、その中でも手をつないでくる高砂さんが恐ろしいものに感じられた。


 なすがままになりながら先へと進めば、すぐに理事長室が見えてくる。


 理事長室の前は不自然なくらい綺麗なままだった。今まさに誰かが開けたみたいに、扉が奥へと開いていく。


「妹さんかもしれませんね」


「行こう」


 そうっと中へと入る。


 はじめて入った理事長室は教室の半分くらいの広さがあった。床には赤い絨毯じゅうたんが敷かれていて、壁にはトロフィーやら賞状やら偉そうな人の写真やらが並べられている。


 奥の方にはデンと高そうな机があって、これまた高そうな革張りの椅子があった。


 ぱっと見た感じ誰もいない。


「隠し扉でもあればいいのですが」


 高砂さんがするりと手を放して、向こうの棚へと近づいていく。トロフィーが飾られた棚をしげしげと眺め、


「ここだけ埃が少ないですね」


 えいやっと、高砂さんが持ち上げれば、ガゴンと何かと何かが噛み合う音がして、きしみながら何かが動きはじめる。


 壁の向こうから何かの駆動音がする。ゆっくりゆっくりと壁の一部がせりあがっていき、そこに現れたのは闇への入り口。


 怪獣の口のような縦穴がそこにはあった。


「まさか、一発で正解を引き当てるだなんて。庭白にわしろさんは運がいいですねえ」


 わたしは何もしてない。したとすれば、高砂さんだ。


 まただ。また、誰かに誘導しているという感じがする。それは、隣にいる高砂さんが裏で手ぐすね引いているのではないか――そんな考えがふいに浮かんできた。


 行きましょうか、と言う彼女は何者なのか。


 ヒトか悪魔か、あるいはまた別の存在なのか。


「この奥にあなたが求めているものがありますよ」


 その言葉は、わたしが夜の校舎にはじめてやってきたときに聞いた言葉。


 高砂さんに非常に似た存在から投げかけられた言葉そのもの。


 こうなることはすでに既定路線だったのか。


 わたしは高砂さんを見る。心の中に浮かんできた問いに対する答えではなく、不気味なほど晴れやかな笑みが返ってくる。


 覚悟を決めて、闇の中へと歩みを進んでいく。


 狭くて長くて暗い階段をひたすらに降りる。もしかしたら、赤ちゃんはこんな気分なのかもしれないと漠然と思った。でも、わたしたちは降りているわけで、むしろ胎内たいないへ戻っていることになる。


 階段の終わりには扉があった。


 その銀色の扉は今までに見たどの扉よりも異質で、何よりわたしたちを出迎えるように勝手に開いた。


 向こうから光が差してくる。


 今までのそれよりもずっと強烈で、刺すような光がわたしの頭蓋ずがいを痛めつけてくる。


 そこに広がっていたのは、真っ白な廊下だった。

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