第27話 「最後の迷宮へ」

 夜の校舎に忍び込むのは、これが4度目。でも、いっこうに慣れる気配がない。


 ひんやりとした空気をかきわけるように、闇の中を歩いていく。


 この前は、にぎやかな会話が星の光のようにきらめいていたけれど、それもない。


 なにより隣を歩く高砂たかさごさんとの間には空気という壁がある。この前まではその透明な壁を乗り越えてきていたのに、高砂さんは黙々と歩いていた。


「今日はどこに行けばいいの」


 わたしの言葉に返事はなかった。壁にでも跳ね返されたみたいに、高砂さんは反応しない。その横顔はこわばっている。


「高砂さん」


「な、何かな」


「どこ行くの」


「そうね、うん、今まで出会った七不思議を教えて?」


 わたしは指折り数える間に高砂さんの様子をうかがう。深呼吸している彼女は、何かをこらえるようにこぶしをギュッと握りしめている。ゆるりと首を振る姿は親の言葉に従わない子どものよう。


 今までに見たことのない高砂さんだった。


 旅行へ行って変わった? それにしては変わりすぎな気もするけれど。理由を考えてみてもトンと見当がつかない。


 わたしはこれまで見つけた七不思議を考えることにした。


 『地下に広がる迷宮』『動く人体模型』『夜の校舎に響く校内放送』『いつの間にか現れる花』『真実を映しだす鏡』『廊下から伸びる腕』『校舎を歩き回る女子生徒』……。


 この中でまだ出くわしていないのは『動く人体模型』だけ。


「人体模型以外は全部出くわした」


「じゃあ、理科室へ行きましょう」


 高砂さんが理科室へと歩きはじめる。その歩みはのろのろとしていてぎこちない。


「調子悪いなら行かない方が……」


「別にそんなことないよ。善は急げっていうしね。折角ここまで来たし」


「急がば回れとも言うよ」


 返事はなく、高砂さんは早歩きで理科室へと向かっていく。


 理科室のある2階廊下はシンと静まりかえっていた。


 これまで空に浮かんでいた月は分厚い雲に覆われているのか姿を見せない。廊下はいつも以上に濃い闇に覆われていた。火災警報器の赤い光が人魂ひとだまのように輝いているだけだ。


 理科室の扉は光っていなかった。


「鍵……開くのかな」


「やってみましょう」


 高砂さんが理科室の扉に手をかける。あっけなく扉は横へと開いていった。肩をすくめて入っていく高砂さんに続いて、わたしも理科室の中へ。


 理科室は廊下よりもずっと暗い。


 低いテーブルの上には背もたれのない椅子がずらりと並べられている。壁際には、アインシュタインやニュートン、マクスウェルといった有名な科学者の写真が並べられている。


 棚にはビーカーやらメスシリンダーが並び、流しは誰かが水を止めるのを忘れていたのか、ボトリボトリと雫の落ちる音が響いていた。


 暗い理科室を見まわしたものの、


「人体模型がない……」


「準備室にでもあるのでしょうね」


 わたしの言葉に、高砂さんが言った。


 正面の黒板の横には扉があって、その先が理科準備室となっている。塩酸をはじめとした、管理の必要なものがあると聞いたことがあるけれど、中に入ったことは1度もなかった。


 扉の向こうは薄く光っていた。


 わたしたちは顔を見合わせ、扉へ近づいていく。高砂さんがノブを回せば、ガチャリと扉が開いた。


 中は理科室の半分以下の狭い空間。壁には棚がいくつも置かれていて、廊下に面した扉と理科室へと続く扉以外には棚が並べられていた。


 棚と棚との隙間に人型の光が見えた。ちょうど、人体模型と同じようなかたちをしていた。


「人体模型……?」


「この中に入っていかなければならないようですね」


「迷宮がヒトの体内を模してるなんてことないよね」


 グロテスクな肉のうごめく廊下が脳裏をよぎって、ぶるりと体が震えた。邪悪な胎内たいない巡りじゃないか。


 高砂さんが笑う。その時の笑みと言ったら、いつもの高砂さんが戻ってきたようなミステリアスなもの。


 何も言わず、すうっと高砂さんが光へと入っていく。


 彼女の姿が見えなくなって、わたし1人が残された。


 暗い部屋、わたしを照らす青白い光。


 それを見ていると、誰かに見られているような気がした。闇からではない、目の前の光から何者かがわたしを眺めているかのような……。


 強い感情を秘めた目線は隠れようともしていなかった。だから、わたしも見つめ返した。


「……こんなところで止まってられないの」


 予感がした。


 迷宮の旅はこれで終わる。


 妹がどうなったのかを知ることができる。


 どこからともなく現れた予感を胸に、わたしは光の中へと身を投じた。






 次の瞬間、眼前に広がっている光景にわたしは驚いた。


 そこは昼休みにパンを食べたあの屋上だ。


 だが、ベンチに座っていたわたしの前には巨大な花が鎮座している。


 それはたぶんユリなんだろう。ラッパのかたちをした真っ白な花弁には、返り血のような赤い模様が入っている。重たい頭をロケットのように天へと向けた巨大なユリの花が3つ咲いていた。


 見た瞬間、わたしは昔遠足で行った動植物園のことを思い出した。そこのガラス張りのドームでは世界最大級の花が咲いていた。


 傘を持ち手を持って地面へと突き刺したみたいなシルエットのその花は、ショクダイオオコンニャクと言ったはずだ。


 腐臭のような甘ったるい臭いをまきちらすその花と、この花は同じ悪臭がする。


 ツルもまた普通のユリみたいだったけれども、しめ縄よりもずっと太い。葉はわたしと同じくらいのものもあって、あたりはちょっとした森のようになっていた。


 最初のダンジョンで見たあのユリの花を、巨大化させたみたいだった。


 ベンチからそっと立ち上がって、街を見ようとした。


 だけど、何もない。火星の地表のような真っ赤な大地がどこまでも広がっていた。


 見上げた空はこれまた赤い。雲はどす黒く血の雨でも降ってきそうな気がした。


「なにこれ……」


「これもまた迷宮なのでしょう」


 お化けみたいなユリの向こうから現れた高砂たかさごさんは、葉っぱを華麗に飛び越え、わたしのそばまでやってくる。


「気を付けてください。あの花は捕食植物のようですから」


 高砂さんが葉っぱをちょんと蹴れば、葉っぱがバチンと勢いよく閉じる。トラバサミみたいに。


「足が粉々になりますので」


 にっこり笑った高砂さんに、わたしはガクガク首を振る。


 わたしたちはコンクリートの地面を埋め尽くす葉っぱをよけながら扉へ近づく。


 ステンレスの扉は、風雨にさらされたせいか錆びついている。ひん曲がったノブを回しても扉は開かなかった。


「ちょっと離れてください」


 わたしが高砂さんから離れると、腰をえる。


 フッとロウソクの炎が消えたような音がし、高砂さんの脚が伸びる。


 ベコンと衝撃音がしたかと思えば、扉はすでにない。少し遅れてガランガランと大きなものが転がる音がした。


「さて行きましょう」


 高砂さんは先へと進んでいく。


 ついていった先にはひしゃげた扉が転がっていた。


 今のを高砂さんがやったのか……。


「空手とかやってるの」


「いえ、格闘技はやったことがありませんよ」


 だよね、とわたしは返す。高砂さんの体は筋肉で引き締まっているというよりかは、痩せているって感じだ。同じスラっと体形でも妹とはそこが違う。


 どこからそんな力が出てきたんだろう。


「愛のパワーでしょうか」


「……いつもの調子が出てきたね」


「ええ。迷宮に来たからでしょうか」


 なんて、高砂さんがモンスターめいたことを言う。


 まるでこの迷宮が生まれ故郷みたいだ。


 光のない階段を下りて4階へ。


 さらに降りようとしたところ、高砂さんに止められる。


「どうしたの」


「崩落しています」


 高砂さんの指さす先を見ると、階段がなくなっている。下は闇と同化してよくわからないけれども、1階までの階段すべてがぶち壊されているみたいだ。


「あっちへ行きましょう」


 わたしたちのクラスがある方を指さす。「口」でいうところの右下の角にある階段へと向かうことにする。


 音楽室を横目に見ながら廊下の角を曲がる。まっすぐ伸びた廊下は幸いなことに崩落していなかった。


 黒々とした廊下に血のような光が窓から差し込んでいる。その光は飛び散ったガラスの破片にぶつかり乱反射して、あたりを真っ赤に染め上げていた。


 中庭の方からは甘ったるい臭いが風に乗ってやってくる。


 見れば、ジャングルが広がっていた。


 狭い中庭いっぱいに生い茂る植物は、屋上で見たユリの花をさらに大きくさせたもの。それが3階付近にまで葉っぱを伸ばし、天へと頭を突きだしている。


「ホント、何かが飛び出していきそう」


「何が飛び出てくると思いますか」


 わたしは見た目だけなら美しいその花を眺める。目に見えない悪臭を振りまきながら直立するその中心からあらわれるもの……。


 パッと頭の中に浮かんだものは。


「神様……とか?」


 わたしの言葉に、高砂さんが振り返る。


 その顔はかつてないほどの歓喜に覆われていた。今にも抱きつきそうなほどに体を震わせて、


「やはり、私は命さんが大好きですよ」


「……バカ言ってないで行こう」


 わたしは先へと歩く。


 こんな時に何ふざけたことを言ってるんだ。


 1番ふざけているのは、そんな言葉にちょっと喜んでいるわたしに違いない。

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