第26話 「変化」
「グッモーニング!」
片言の英語が降りそそいできて、わたしは目を覚ました。
閉じようとするまぶたをこじ開け、声をした方を見れば、
高砂さんはこっちにやってきてわたしのベッドに座る。紙袋がベッドを占領してきたから、わたしは子犬のように端へ逃げる。
「なにそれ……」
「お土産」
紙袋からお土産を次々取り出す高砂さん。
マカダミアナッツ、メープルシロップ、紅茶缶とどこのかわからないチョコレート、カレー臭のしみついたスパイスなんかもあった。
そんな多国籍なお土産の数々がベッドの上に並べられていく。その数は、両手じゃ数えられないほど。
「多くない?」
「本当はもっと買ってこようと思ったのですが、止められてしまいまして」
高砂さんが頭をかく。
わたしはお土産の1つをひょいと取ってみる。既製品だからそれほど高くはないんだろうけど……。
「買いすぎだよ」
「お金はありますから」
「それ、ほかの人に言ったらぶっ飛ばされるよ」
首を傾げる高砂さん。そんな野蛮なことをする人がいるわけがないと言わんばかりに。
「こんなこと、
命。
わたしの名前を高砂さんが発した。
名前を呼ばれただけ。そう、呼ばれただけだ。
だというのに、どうしてこんなにも動揺してるんだろう。
「命さん? 顔が赤いですが」
「別に何でもないから離れてっ」
こっちに来ようと身を乗り出してきた高砂さんを押し返す。平気ならいいんですが、と高砂さんは引いていく。
「時に、1人で寂しくはありませんでしたか」
「むしろ清々してた」
少なくとも、最初の方はそう思っていた。
わたしの机の上に置いているメガネは、ねじられたみたいに歪んでいる。
なぜあの時、あんな言い方をしたのか。
もっといえば、あの迷宮に入ってからの高砂さんはいつもと違っていた。いや、はっきり言っておかしかった。
今の高砂さんはどうなんだろう。突然、名前呼びに切り替えてきたけれど。
「どこ行ってたの」
「旅行ですってば」
「それにしては荷物が多いけど」
わたしは不思議な国から飛び出してきたような紅茶の缶を手に取ってみる。
「それだけの国を回ってきましたからね。弾丸になった気分」
1週間でこれほどの国を滞在したとなれば、ほとんど観光なんてしてないんじゃないか。海外旅行なんてしたことないからわからないけど。
「命さんもリフレッシュできた?」
「わたし……?」
「うん。気分転換になるかなと。だって、私、怒らせたみたいですから」
手をこすり合わせ、指と指とをぶつけ合いながら、高砂さんは言った。声もいつもより弱々しい。
「だからって急に旅行する、普通」
「お土産があれば許してくれないかなと」
わたしの前に並べられたものは、打算によって用意されたものらしい。
聞くとなーんだと思っちゃう。でも、その方が高砂さんらしいとも思った。
「なんであんなこと言ったの」
「そうした方がいいと思ったからです。隠す方が問題でしょう」
「言い方ってものがあるよ」
「ストレートに言った方がいいと思いましたので」
「じゃあ、別のことを聞かせて。わたしにくっつく理由を教えて」
今みたいに、お土産を
高砂さんが目を丸くする。そわそわとしはじめ、腕をさすりはじめた。視線はキョロキョロ揺れていて、見たことのない姿だった。
「……言わなくてはいけませんかね」
歯切れの悪い答えが返ってきてちょっと驚く。
――貴女のことが好きだからですよ。
いつもなら、こんな感じの冗談めかしたことを言うはずなのに。
今の高砂さんは、朗らかな陽気の下に1つだけ咲いている花みたいに揺れている。
「言いたくないなら別にいいけど」
「そうですか」
ぱったりと会話が止まってしまう。
エレベーターで知らない人と2人きりになってしまったときのように居心地が悪い。
この人は本当に高砂千夜なんだろうか。
そう思ってしまうことがほかにもあった。
朝食を食べているのに、あーん、と
やっぱりおかしい。
わたしが話しかけると、ピクンとまっすぐな体が揺れた。こんな反応だって見たことないし。
「何か変なものでも食べた……?」
「どうしてそう思うのでしょうか」
「変だから」
「変?」
「ただでさえ変なのに、いつも以上に変になってる」
「そんなつもりはないのですが」
高砂さんが腕を組んで考えこむんだけど、彼女の視線はしきりにこっちを向いている。
わたしのことばかり考えてる気がした。
「命さんが言うとおり、変な食べ物を食べたのかもしれませんね」
「休んだ方がいいんじゃない」
「熱はありませんしだるくもありませんから」
「ならいいんだけど」
わたしは自分の席に戻る。
隣から熱っぽいオーラが太陽光のように降りそそいで、わたしをこんがり焦がしていく。
これじゃ授業に集中できないじゃないか。
昼休み。
わたしは
ベンチに座ると高砂さんが隣にやってくる。こぶし2つ分くらい距離を開けて。
いちいち言っててもしょうがないし、レジ袋の中から購買で買ったあんパンを取り出す。
「高砂さんは何を買ったの」
「カレーパンとアップルパイ、それから、チョココロネにクリームパン」
袋の中から次々出てくるパンたちが、高砂さんの膝の上に並んでいく。
「1人で食べるの……?」
「そうですがおかしいですか」
「おかしいっていうか太らないのかなって」
わたしは自分のわき腹をつまんでみる。つきたての餅のようにぷにぷにだった。部活に入らないからだよ、と
妹はオカルト研究会だけではなく弓道部にも所属していた。それも、次期主将が決まっていたんだから、かなり熱を入れていたんだろう。スタイルだってわたしと違って引き締まっていた。
――賞とか主将とかどうでもいいんだけどね。
なんて、他の部員が聞いたら狂いそうなことを言っていたっけ。なんでも、弓を持たずにして
とにかく。
「高砂さんって部活とかやってる?」
「やってませんが」
「運動もしてないのにスタイルいいんだ……」
わたしが高砂さんのことをジロジロ見れば、ピンと伸びた背中が鉄の棒みたいにガチガチに固まった。
前だったら、クネクネ揺れていたに違いないのに。
じいっと見つめていたら、高砂さんのロウソクのように真っ白な顔に赤みが差してくる。
「なんですか。早く食べましょうよ」
いただきます、と高砂さんがそそくさ手を合わせる。わたしも同じようにして、パンを食べることにする。
なんで、屋上でパンを食べているのか。
「話とは何ですか」
わたしは
「
七夕鹿子ちゃん。
彼女のことを聞くために、わたしは高砂さんとともに人気のない屋上までやってきた。食堂で話をしていたら、
あの一件以来、わたしの噂は大変なことになっている。
妹だけではなく、浮野ちゃんの友達さえも探している――どっちもいないのに。
危険人物であるというものを通り越して、不思議ちゃん扱いである。クラスメイトも茶化してくるくらいには。
今度は誰を探しているの。
そう言われるたび、わたしの胸はビリビリに引き裂かれていく。
本当にいたんだ。
みんなと話して笑って悲しんで、共に生きていた存在なのに。
わたしは高砂さんの言葉を待った。
高砂さんはじっと空を見てから、ゆるゆると首を振った。
「ごめんなさい」
「……そっか」
「その方も妹さんみたいに……?」
「みんな覚えてないんだ。わたしだけがなんでか覚えてる」
なぜ、みんなの記憶から消えたのか。そもそも、その存在さえもなかったことになっているのはどういうことなのか。
下駄箱にも名前はないし、浮野ちゃんの相手も他の人になっている。わたしの妹だってそうだ。弓道部にそんな生徒はいないし、次期部長候補も別の生徒になっている。大会で賞を取ったというネットの情報さえ消えていた。
まるで、はじめからこの世界にいなかったように。
「特殊能力とか」
「マンガじゃあるまいし」
そんな能力があって、一体なんの意味があるんだ。
失われていく人たちをわたしだけ覚えてろってことなのか。何もできずに、消えていくのを指をくわえてみてろと。
そんなのやるせないじゃないか。
ぎゅっと握りしめた拳がギリギリ悲鳴を上げた。
その手に、手が覆いかぶさってくる。
高砂さんがにっこりと笑う。
「何かに使えますよ、きっと」
「ならいいんだけどね」
そもそも、そんな能力なんてあるならば、の話だけど。
高砂さんがじっと見つめてくる。何かを言おうとしているかのように薄い唇がプルプル震える。
「迷宮に行ってみませんか」
覚悟を決めた目で高砂さんが言った。
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