第5話 「ユリとユリモドキ」

 地平線まで続いているかのようなそのユリ畑は、風が吹くたび波のように揺れていた。


 そのカラフルな色彩はモザイクアートのよう。うちの高校にもユリは咲いてるけれど、目の前のはスケールが違う。これと比べたら、高校の花壇かだんなんて公園の砂場みたいなものだ。


「絶景ですね」


「うん……」


「何か不安なことでも? あるのでしたら、ペアである私に教えてくださいな」


 高砂たかさごさんがじっと見つめてくる。黒々とした瞳は寒々としていて、言葉ほど心配しているようには思えなかった。


 同時に、瞳の奥で輝く光を凝視していると、話したくないことだって話したくなってきてしまいそうで。


 わたしは顔を背ける。クスクス笑い声が耳に入ってくる。


「何を恥ずかしがっているのですか。私と貴女の仲ではないですか」


「……どのくらいの仲なの」


「入学してかれこれ1年?」


 違う。


 わたしは綺華と一緒だったんだ。入学してからずっと。


 でも、それを覚えているのはわたしだけ。わたしだけがなぜか覚えている。


 クラスメイトも部活の生徒も先生だって覚えていない。


 目の前にいる高砂さんだって覚えてないんだ。


 それでも、うちの妹はいた。


 ギュッとこぶしを握りしめて前を向けば、視界いっぱいに高砂さんの顔があった。


 コツン、お互いの鼻先がぶつかる。


「妹さんのこと、考えていますね」


「別に……」


 わたしは高砂さんの横を通って、ユリ畑に沿うように歩いていく。


 今は、あの人から距離を置きたかった。


 ふうと深呼吸をすれば、ユリの甘ったるい香りが肺いっぱいに広がる。


 色とりどりのユリたちは楽し気に揺れている。どれもこれも元気に鼻を咲かせていた。


「誰が育ててるんだろ」


「勝手に育ったのかも」


 背後から高砂さんの声。彼女は隣へとやってくるなり頭を下げた。


「ごめんなさい。余計なことを聞いちゃって」


「……別に」


 みんな、妹のことを知ってて隠しているわけじゃないんだ。


 知らないだけ。


 ある日、庭白にわしろ綺華あやかという人間の足跡をそっくりそのまま消されたみたいな。そんなことがあり得るのかはわからないけれど、これまでの反応を見る限り、そうに違いない。


 なぜか、わたしだけが覚えている。


「迷宮のこと知ってる……」


「逆に聞きますが、何を知ってますか」


「迷宮の最奥にたどりつけば願いが叶う」


「それだけ?」


 わたしが頷けば、高砂さんは目を丸くさせた。


「流石に知らなさすぎではありませんか」


「……だって興味ないし」


「それでも少しくらい調べた方がいいと思いますが」


 綺華が物質的にも記憶的にも消えてしまった日から、まだ1週間も経っていない。生徒1人1人に聞いて回って、七不思議のことを思い出したのが、つい先日のこと。


 それから高砂さんに出会って今に至る――七不思議を調べる暇なんてなかった。


「迷宮については、いくつかの層があるらしいということはわかっています」


「妹はそんなこと言ってなかったけど」


「噂ですよ噂。それにディープなものでしたから、ほとんど知られていません」


「高砂さんはなんで知っているの」


 高砂さんは口元に指を当て、秘密です、と言った。


「そういうわけですから、この迷宮を突破する方法があるのです」


「敵を倒すとか?」


「あるいは、キーとなるものを手に入れるとか」


「RPGみたい」


「なら、ツボとかタンスとか見なくちゃですね?」


 言いながら高砂さんはまっすぐ歩いていく。そこにはユリの花の群れがある。だけども歩みは止まらない。


 ローファーが見目麗しい花びらを踏みつぶし、白い蕾を散らしていく。茎はひしゃげ、葉っぱは靴底にガムのように張り付いて、フラフラとちた。


 くるりとひるがえった高砂さんは、足元に広がる惨状には目を向けない。


 その瞳には、わたししか見えていないみたいで。


「どうですか、様になってます?」


「……ユリがなければね」


「残念です」


 そう言いながら、街に現れた怪獣のように高砂さんは進んでいく。


 できたばかりの焦土のような一本道を見ないようにしながら、わたしは高砂さんのあとに続く。


 ユリ畑はどこまで行ってもユリ畑だった。


 踏みつぶされた足元以外は華やかに咲きほこっており、花粉まじりのユリの香りが湯気のようにくゆる。花粉でくしゃみが止まらない、なんてことにならないといいけど。


 高砂さんが言うには敵かアイテムがあるらしい。……できることなら後者であってほしいな。門番めいたモンスターが待ち構えてるなんて、考えるだけでだるいし。


「そのモンスターを倒さなければ迷宮から出られないとしても?」


「そういうの大嫌い」


「私は大好きです」


 ……わたしたちってペアには向いてないんじゃないか。好みもそうだけど性格だって正反対。いや、だからこそ相性がいいんだろうか。


 わたしは高砂さんをチラッと見る。苦手だ。なんとなく距離を置いてしまう自分がいた。


 背中を追いかけるのがなんだか怖い。


 胸のうちからこみ上げてくる出所不明の感情から逃れるようにまわりを見ていたら、ユリのウェーブに目を奪われる。


 風が吹くたび花々はうねりを上げる。色とりどりなウェーブが生まれる中で、ウエーブをなしてない花が1輪あった。


 立派な花弁のそのユリは常にワンテンポ遅れて揺れているから、そこだけへこんでいるように見える。


 ぴょこんぴょこんと目立つさまは、隠れようとしてむしろ注目を浴びている合唱コンクールの生徒みたい。


「あの花……」


 わたしが指させば、高砂さんは迷うことなくそのユリめがけて進んでいく。そのたびに、純白のユリは踏みにじられ、真っ赤なユリは血しぶきのように散った。


 その不自然なユリへと近づけば、プンと甘ったるい臭いが鼻腔びくうをくすぐる。腐らせた卵をシロップに浸したような悪臭だ。


 いでいると吐き気がこみあげてきた。すきっ腹じゃなかったら胃の中のものをリバースしていたかもしれない。


「なにこの臭い」


「この花からですね」


 しゃがみ込んだ高砂さんが、まじまじとそのユリを見つめる。


 どこからどう見たって普通のユリだ。でも、顔を近づけると鼻がひん曲がりそうになる。


「ほかの花とは違う動きをしてますねえ」


 怪しい、という高砂さんの言葉を理解しているかのように、その花の動きがぎこちなくなる。職務質問を受けたみたいだ。悪いことは何もしていないのに、動揺しているみたいな。


 待って、とわたしは思わず口にしていた。何を待ってもらいたかったんだろう。


 この花に意思があるということを、高砂さんに伝える時間が欲しかったのか。


 わからないけれど、そんな時間はもらえなかった。


 高砂さんの両手がユリの茎に回される。首を絞めるようにギュッと。


 ごきゅり。


 そんな骨の砕けたような音がした気がする。でも、それはわたしの錯覚だったに違いない。植物に骨なんてないんだから。茎は細いように見えて実は太かっただけなんだ。そうに違いない。


「ほら」


 摘んだばかりの花を高砂さんがわたしへ見せつけてくる。立派な角をしたカブトムシでも捕まえた子どもみたいだ。


 でも、その手にあるのはカッコいいものじゃない。ましてや、美しいものでもなかった。


 ぽたりと雫が落ちる。それはローファーにぶつかり、パッと赤い火花となって大地にシミをつくった。


 したたる赤い液体。


 それはまばゆいほど真っ白な手をどろりと伝っては落ちていく。液体は茎にできた不揃いな切断面からではなく、花弁の中心からもあふれようとしていた。


 血の涙を流すかのように。


 そのしなびた花弁がくるりとこちらを向く。止めなかったわたしを責めるかのように――。


「どうかした?」


「……なんでもない」


 わたしは目をそらす。


 これ以上ユリなんて見たくなかったけれど、まわりにはユリしかない。一面のユリの中には、高砂さんの手の中にあるような奇怪なものは見当たらなくてホッとする。


 高砂さんは血のような赤いしずくを垂らすユリを観察していた。ふんふん言いながら鼻を引くつかせる姿はどことなく警察犬っぽい。


 じゃあわたしは飼い主か? 飼い犬に手を噛まれるような気しかしない。


「これがアイテムですね」


「それが……? なんか気色悪くない?」


「そうでしょうか。綺麗なお花だと思いますが」


「美的感覚が狂ってるから治してもらった方がいいよ」


「わかりました。考えておきますね」


 皮肉のつもりだったんだけど、通じなかったらしい。その上、死体じみたその花をわたしへと差し出してくる。


「アチーブメントです。いかがですか」


「い、いらない。高砂さんが持ってて」


「うーむ、こんなに綺麗ですのに」


 高砂さんは大幣おおぬさみたいに振り回せば、あたりのユリたちへ血がまき散らされる。白やピンクの花びらが赤く染まっていく。


 わたしだけが見えてるの……?


 綺華の件といい、何が起きてるんだろう。もしかしたらわたしだけがおかしいのかもしれないけれども、そうは思いたくなかった。


 妹がいないなんて信じたくないし認めたくない。


 ユリの花園を見回しても、それ以上気になるものはなかった。悪臭もいつの間におさまっている。


 モンスター。


 高砂さんはそう言っていた。ってことは、あの花がモンスターだったってことになる。


 赤い液体は彼女の体液。


 揺れていたのは彼女の意思で。


 わたしたちは襲いもしてこなかった怪物を殺したのではないか。


 ただ、ほかの花々にまぎれようとしていただけの、哀れな怪物の息の根を止めただけなのではないか。


 そう思えば、心の中がきゅっと冷たくなる。


 浮かんできた罪悪感へ群がるように、甘ったるいユリの香りが覆いかぶさってくる。意識がここではないどこかへと吸い込まれていきそうになって――。


 ぎゅっと抱きしめられる。


 まとわりつく冷気に、消えようとしていた意識がすうっと肉体まで引き寄せられる。


 ぼんやりとかすむ視界の中で、高砂さんが微笑んでいた。わたしは彼女に抱きしめられているらしい。ユリの花が近くなっている。


 違う、わたしが近づいていたんだ。


「急に倒れるものですから心配しましたよ」


「ありがと」


 わたしは高砂さんの体から離れようとする。でも、わたしを受け止めてくれたらしい両腕はジェットコースターの安全バーみたいにがっしりとしがみついてくる。


「もう大丈夫だから……」


「だめです。怪我されたら困ります」


 誰が困るというんだろう。わたしが怪我したとして心配してくれる人はもう誰もいない。


 綺華だってもう。


「私が心配しますよ」


「……それはペアだからでしょ」


「どうでしょうね」


 などと高砂さんが意味深に笑う。その笑みは、黒ユリみたいに美しくて背筋に寒いものを感じずにはいられない。


 さて、と高砂さんが手を叩く。


「迷宮はクリアしましたし、ここから脱出しましょう」


「どうやって?」


 近くにはユリの花しかない。今からあたりを探索するんであれば、今すぐにでも離れてほしい。じゃないと落ち着かない。


 そんなわたしの気分を読んだかのように高砂さんが体を揺らした。


「このアイテムを使うのですよ」


 高砂さんが、手にしていた花を優勝トロフィーのように掲げれば、生気を失った花が光を放つ。


 その真っ白な光に焼かれて、わたしは意識を失った。

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