第4話 「はじめての迷宮」

 目を開けると飛び込んできたのはどこまでも広がる青い空と白い雲。ちゅんちゅんと鳥の鳴き声が鼓膜こまくを揺らす。


 目線を下げていけば、さわさわと体をくすぐる雑草が目に入る。どうやらわたしは草原に寝ているらしかった。


 なんで……?


「ん」


 体を起こせばあたりは一面の緑。廊下もなければ校舎もない。グラウンドもなく、なだらかな平原がどこまでも広がっている。


 そばには森があり、木々は吹く風に身を任せている。小鳥たちは飛びかい、ハチはぶーんとやってきて咲きほこる無数の花々へと着地した。


 そんな夢の中みたいな世界にわたしはいた。


「ここは」


「迷宮ですよ」


 声がした方を見れば高砂たかさごさんがいた。真っ黒な制服は大自然の中だとすごく浮いている。わけもなく高砂さんのことを不気味だと思ってしまうのは、きっとそのせいに違いない。


「迷宮って七不思議の……」


「意外ですよね。迷路がグネグネ伸びているとばかり思っていたのですが」


 わたしも同じことを考えていた。


 迷宮にしては広いし、空気はジメジメしてない。さわやかな風が青々とした香りを運んでくる。半分ウシのバケモノだっていなかった。


 そんなわたしの気持ちに気が付いたかのように、高砂さんが笑う。


「バケモノがいてほしいのですか」


「そんなわけないじゃん。でも、意外というか」


「意外」


「うん。迷宮迷宮してないっていうか」


 迷宮迷宮ってなんだよって自分でも思う。でも、光を抜けたら草原でした、なんてファンタジー映画の導入みたい。


 高砂さんがふむんと呟いた。


「とにかく進みましょう。迷宮がこれだけとは限りませんから」


「どこへ?」


 わたしは立ち上がり、あたりを見回す。


 緑豊かな世界はどこまでも広がっているように見えた。草スキーでもしたら楽しそうなゆるい斜面が上から下へと伸びている。向かって左にある森には木陰ができて、樹の幹に背中を預けて眠りにつけば、世界の終わりまで眠っていられそう。


「そうですね……」


 高砂さんは指をクルクル動かす。パソコンのローディングみたいに何かを考えこんでいる。その間に、1匹のクマバチが高砂さんのほっそりとした指めがけて飛んできた。


 わたしは思わず飛びのく。ハチに対しては急に動いた方がむしろ危険だったりするらしいけど、そんな悠長なことを言ってられますか。刺されるかそうじゃないかの瀬戸際だっていうのに。


 でも、高砂さんはまったく気にしない。それとも、気にならないくらいに考えこんでいるのか。


 目の前では、クマバチがヘリコプターめいたホバリングを披露している。


 そうして、高砂さんの指に止まった。


 思わず息を飲んでしまった。まるで、有名映画のワンシーンのよう。よく見てみると、クマバチもなかなかかわゆいではないか。モフモフだし。


「あちらへ行ってみましょうか」


 高砂さんは言って、指に止まっているクマバチに気が付く。


 ニコッと笑いかける姿はまさしく女神さま。


 でも、その女神様はクマバチを容赦ようしゃなく指で弾いた。


「あっちです」


 などと言って、高砂さんは歩きはじめる。


 地面で弱々しくもがいていたクマバチが、わたしの見ている前で動きを止めた。


「こちらに何かありそうです」


 なんて言う高砂さんは、先ほどクマバチを殺したのことは気にも留める様子もない。


 指の力が強いんだろうか。それとも、たまたま弱ってた?


 そういえば、クマバチは坂の上の方からやってきていた。わたしたちが向かっている方角から。


 弱るようなことであったんだろうか。


 それを言うかどうするかと悩んでいる間に、緩やかなスロープのような坂は終わった。


 そこに広がっていたのは一面の花。


 緑を覆いつくすユリだった。

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