第4話 いい日の積み重ねが過去の私を少し癒やした話
いつも以上に忙しかった日。
気がついたら残業になっていた程、記憶を辿れない忙しさだった。
あっという間に時間が経った感覚は、楽しいことならいいけれど、こういう仕事疲れはよろしくない。
体力も気力もごっそり奪われる。
満員電車に揺られた疲れも増えたから、帰宅してもまだ頭がぼーっとしている。
体はクタクタで重い。
もうなにもしたくない。
それが正直な気持ち。
それでも、どうにか重い腰を上げて、風呂を入れる。
ほかっとした湯気に、ちょっと和む。
そっと浸かって、バスタブの縁に頭を置く。
「今日は、ほんっっとに疲れた。……あー、疲れた。明日休みたいなぁあ」
心の中の呟きが、声に出るくらい。
頭の中がごちゃごちゃしている疲れが、不意に昔の疲れを拾い上げてしまった。
わー、やなこと思い出した。
販売員をしていた頃の、ある朝のこと。
今は、座り仕事だが、当時は立ち仕事だ。
ショッピングモールで勤務していたこともあり、開店準備のために、9:30-20:00勤務という通しのときもあった。
その後、片付けをし、24時まで会議という日もあった。
会議の日は、夜の食事休憩もない。
8時間過ぎたあとは、全てサービス残業である。
個人売上が悪いと怒鳴られ、目標達成をしても「もっと上を目指せ」という会社だった。
「稼いでないのに支払えない」と言われ有給を取らせてくれず、ギリギリの人数で回しているため、体調不良でも休めない。インフルエンザでもない限り。
祖母の葬儀には行けず、母の葬儀に上司が来たのは「辞められたら困る」からという理由だった。
扱っている商品が気に入っていたので、入社したが、今にしたら、日々、働き続けるだけで、色んなものが消耗していた気がする。
何時間も立ちっぱなしで、何人接客したかわからないほど忙しかった翌日。
出勤して、開店前の掃除をしていたときのこと。
棚の上にある商品にかけた布を取った瞬間。
商品が転がり、落ちた。
パン! と音がした。
床には、砕けた商品。
普段なら絶対にしないようなミスに青ざめた。
幸い、過失扱いで買い取りにはならなかったけれど、その瞬間の音も、しんとした空気も、自分の胸のざわめきも、今でもよく覚えている。
というか、忘れられない。
「明日もまた、何かしてしまうかも」
そう思って、泣きそうになりながら、トボトボと家に帰った。
はぁ。
やっぱり疲れているときって、余計に疲れることを考えたり、思い出すな。
あのときは、家に帰って、着替えてそのまま寝たんだっけ。
湯船のなかでその記憶を思い出しながら、私はふと思う。
今日の私は、たしかに疲れてる。疲れ具合では、過去と同じくらい。
でも、電気を消して静かに湯気を感じながら、ただ、そっと自分を休ませようとしてる。
あの日の私にはできなかったことを、今の私は、している。
昔の私は、本当に余裕がなくて、疲れ果てた自分であっても労ることができなかった。
あー、かまってやれなくて申し訳なかったな。
他人事のような気持ちで、私は過去の私のことを想った。
その翌日は、出勤して、笑顔で売り場に立った。
なりふり構わず、無理やり前を向くことが、あのときの私には最適解だったのだ。
それしか、できなかった。
あのときの私は、あのときなりによく頑張っていた。
あのときは、あれが精一杯だったのかな。
なんでうっかりミスをしたのかとそのときは自分を責めていたけど、責めることで、自分に発破をかけていたんだろう。
それは間違いじゃなくて、やはりそのときの正解だったのだ。
あれも一つの正解だと思うと、あのときの自分を少しだけ許せた気がした。
思い返すことで、「でも、そんなに責めなくていいよ」って、過去の私のそばに寄り添ってあげられたような感じがしたのだ。
過去の失敗も、未来の不安も、たぶんゼロにはならない。
でも、今ここに“自分を責めない時間”があるだけで、随分と、気持ちが軽くなる。
あれから、時間も経ったし、経験値も増えた。
似たような出来事の対処がちょっとずつ上手くなっていく。
そうやって、気づかないうちに、余裕って育つのかもしれない。
小さな一歩をゆるく重ねていくことで、今の自分が、過去の自分を癒やすこともあるのか。
じゃあ、今日の忙しいも悪くはないかな。
——そんなことを、ぼんやりと思った夜だった。
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