第28話 暗躍する人々
【江戸城・御広間】
障子越しに落ちる冬の光が、部屋の静けさを際立たせていた。江戸城の一室。幕閣の重鎮たちが膝を揃え、床几に正座している。空気は重く、張り詰めていた。
「……家継公は、まだ幼く、しかも病弱にあらせられる。もしものことがあれば、混乱は必至。次を考えておかねばならぬ」
静かに語られた言葉に、他の者たちがうなずく。六歳の将軍がこのまま幕政を担い続けるのは無理がある。そして、万一の事態が起きたときの備えは、すでに求められていた。
「紀州殿しかおらぬと思うが、どうだ?」
「拙者もそう思う。御三家にて唯一、藩政改革を成し遂げ、民の信を得ておられる方。あれほどの人物はおらぬ」
「だが、白石は尾張殿に近づいておると聞く」
「うむ。水面下で尾張を推している節がある。これ以上、白石をのさばらせてはおけぬ。幕政は将軍のものであって、白石のものではない」
白石の才腕は確かだ。しかし、あまりに強すぎる意志と介入に、諸侯や幕臣たちは次第に距離を置きつつあった。
「御三家の尾張を将軍に据えるのは道理ではある。だが民のこと、幕政のことを考えれば、紀州殿こそふさわしい」
「我らの中で、白石にものを言えるのは、もはや天英院様くらいのものかもしれぬな……」
【江戸城・大奥】
同じ頃、大奥でも密やかに火が灯っていた。
「やはり、次は吉宗公しかおらぬ。そう思わぬか? 月光院殿」
天英院は膝を崩しながらも、その眼差しには揺るぎなき意志が宿っていた。
「はい。吉宗公のお働きは、紀州からも多くの声が届いております。倹約にして民を思うその姿勢、まことに徳のある方」
「私も、最初はよう知らぬ方じゃった。しかし、会ってみてわかった。あれはできる男じゃ。」
月光院が口元に扇を当て、微笑む。
「しかし、私には何の力もございませぬ…… 天英院様には何かお考えが?」
天英院は少し目を細め、静かに頷いた。
「生家――近衛家に、公家への働きかけを願うておる。将軍の任命は、最終的には朝廷の勅命が必要じゃからな」
「まあ、それは……心強いお考えです」
「白石は尾張を推そうとし、幕府を己の手中に収めようとしておる。だが、徳川の世は白石のものではない。誰が“徳”をもって民を治められるのか――それを見極めるべき時が来ておるのよ」
【江戸城・一角】
そして、幕府老中たちの控える一角でも、ひそやかな声が交わされていた。
「まさか天英院様が、ここまで本格的に動かれるとはな……」
「公家筋も、近衛家を通じて朝廷へ口添えしておると聞く」
「もはや、紀州殿が将軍にならぬ理由を探す方が難しいのではないか」
「白石は、この動きを知らぬまま、尾張殿と手を結ぼうとしておる……が、もう遅かろうな」
「ただ……肝心のご本人は、このことをまるで知らぬらしい」
「はは……まことの“庶民派”じゃな。まさか自分が将軍になるとは夢にも思っておらぬのであろう」
「いざなった時、あの御仁がどう振る舞うか。楽しみでもあるわい」
【幕引き】
こうして、江戸の中枢では――誰にも知られることのないまま、
着々と一つの大きな流れが形を成していった。
その先に待つのは、
“八代将軍・徳川吉宗”という名の歴史的転換点。
だが、当の本人は今も紀州の空の下、
「醤油などの調味料も手作りすれば食費をもっと減らせない?」などと、
のんきなことを考えているのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます