第40話 沈黙の森と、結晶の魔物

 生命の巨樹に別れを告げ、南へと向かう三人の旅は、これまでの冒険とは、全く異質のものだった。

 初めは、ただ、聞こえてくる生命の声が、少しずつ、減っていくだけだった。

 やがて、鳥のさえずりが消え、虫の音が止み、風が、木々の葉を揺らす音さえも、聞こえなくなった。


 そして、彼らは、その境界線を、越えた。

 一歩、足を踏み出した先。そこは、色が無く、音が無く、匂いの無い、完全な『死』の世界だった。


「…ひどい…」


 ヒトミが、言葉を失って、膝から崩れ落ちた。

 目の前には、泉の水を飲もうとしたままの姿で、完全に、灰色の結晶と化した、鹿のような生き物の親子がいた。その瞳には、苦しむ間もなかったのか、穏やかな光が、永遠に、閉じ込められている。


「……っ!」


 タカシは、怒りに、言葉さえ出なかった。彼は、その結晶化した鹿に、そっと、触れた。

 すると、鹿の体は、まるで、脆い砂の彫刻のように、ぱらぱらと、音もなく、灰色の塵へと変わっていった。


「…てめえ…アイン…!」


 タカシの拳が、怒りに、ギリギリと音を立てる。

 戦場で、誇り高く戦って死ぬのとは、わけが違う。これは、ただの、一方的な、生命への冒涜だった。


「…頭が、割れそうだ…」


 アキラは、『百獣の王冠』を通して、この地で消えていった、無数の生命の、最後の断末魔を、感じ取っていた。それは、彼の精神を、容赦なく、削り取っていく。

 だが、その痛みこそが、彼らに、進むべき道を示していた。


「…こっちだ」アキラは、ふらつきながらも、南を指差す。「この大陸の、心臓に突き立てられた、巨大な『杭』みたいな気配がする…。そこが、この呪いの、発生源だ」


 三人は、灰色の、死の世界を、進んでいった。

 その時だった。

 周りにあった、結晶化した木々が、不気味に、きしみ始めた。そして、先ほど、塵になったはずの、獣の残骸が、再び、集まり、形を成していく。

 出来上がったのは、全身が、青白い水晶でできた、狼のような魔物の群れだった。その目には、生命の光はなく、ただ、冷たい、青い光が、点滅している。


「…死体を、操っているの…!?」

「いや、違う!」


 アキラは、『真実の盾』を構え、その正体を見抜いた。

「こいつら、死体じゃない! あの『杭』から、魔力を供給されて動く、アインが作り出した、人形だ!」


 結晶の狼たちが、音もなく、一斉に、三人に襲いかかってきた。

「うおおお!」


 タカシが、その一体を、拳で殴りつける。だが、その体は、鋼鉄以上に硬く、タカシの拳を、逆に、弾き返した。

「こいつら、硬えぞ!」


 ヒトミも、弱った体で、風の魔法を放つが、重い結晶の体には、ほとんど、効果がない。

 アキラは、激しい頭痛に耐えながら、盾に映る『真実』を、読み解いていた。

(…やっぱりな。こいつらの本体は、ガワの硬さじゃない。胸の中で光ってる、あの青い『コア』だ!)


「二人とも、聞け!」アキラが叫ぶ。「狙うは、胸のコアだ! そこを砕けば、こいつらは、ただの石ころに戻る!」


 戦術は、決まった。

 だが、敵の動きは、速く、硬い。的確に、小さなコアだけを狙うのは、至難の業だった。


「くそっ、ちょこまかと!」

 タカシが、焦る。

 その時、アキラは、もう一つの神器を、ヒトミに手渡した。


「ヒトミ! 『共鳴のホルン』を吹け!」

「でも、私の魔力は…!」

「魔力じゃない! お前の、『生命力』そのものを、少しだけ、音に乗せるんだ! こいつらは、命のない、偽物だ! 本物の『生命の響き』を、ぶつけてやれ!」


 ヒトミは、アキラの意図を悟った。彼女は、ホルンを構えると、自らの、温かい生命エネルギーだけを、そっと、息に乗せた。

 ポォ…と、放たれた音は、小さく、しかし、どこまでも、清らかだった。


 その音の波紋が、結晶の狼たちに触れた瞬間。

 狼たちの、硬い結晶の体に、ピキピキ、と、無数のヒビが入った。命のない、死の結晶が、本物の『生命の響き』に、共鳴し、耐えきれなかったのだ。


「――今だ! タカシ!」


 その、一瞬の好機。

 タカシの拳が、ヒビの入った、結晶の体を、ガラス細工のように、粉々に砕いていく。そして、その中心にある、青いコアを、的確に、破壊していった。


 数分後。

 そこには、静寂と、青い光を失った、ただの結晶の欠片だけが、残されていた。


「…やったのか…」

「ああ。だが、キリがない。早く、大元を叩かないと」


 アキラは、激しい消耗と、頭痛に耐えながら、遥か、南の地平線を見つめた。

 灰色の、死んだ木々の、その向こう。

 空を突くようにそびえ立つ、巨大で、禍々しい、青白い、巨大な『結晶の塔』が、その姿を、現していた。

 塔は、まるで、巨大な心臓のように、不気味な光を、明滅させている。


「…ビンゴだ」


 アキラは、吐き捨てた。

「あれが、この大陸を殺してる、呪いの大元。――アインの野郎が、オレたちのために用意してくれた、次なるダンジョンだ」


 三人は、その、あまりにも、邪悪で、巨大な塔を、睨みつけた。

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