第39話 蝕まれる盤面と、絆という名の覚悟

『百獣の王冠』が、アキラの頭に、静かに収まった。

 その瞬間、アキラの世界は、一変した。

 今まで、ただの「背景」だった、森の木々や、草花、大地そのものが、彼に向かって、語りかけてくる。

 喜び、悲しみ、怒り、安らぎ…。無数の生命が織りなす、声なき声の、壮大なシンフォニー。

 彼は、この大陸の、魂の脈動を、肌で感じていた。


 だが、その美しいシンフォニーの中に、明らかに、異質で、おぞましいノイズが混じっていた。

 遥か南の、大陸の果てから聞こえてくる、声なき悲鳴。

 生命が、根こそぎ、その輝きを失っていく、冷たい、静かな絶望の響き。


「…どうしたんだ、アキラ? 顔が、真っ青だぞ」

 タカシが、心配そうに、アキラの顔をのぞき込む。

「…聞こえるんだ」アキラは、震える声で言った。「この大陸が、泣いている声が…」


 アキラが、そう言った瞬間。

 三人の目の前にいた、森の賢王が、天に向かって、深く、そして、悲痛な、咆哮を上げた。

 その声は、この大陸全体の、悲しみを代弁しているかのようだった。

 そして、賢王は、その額を、アキラの額に、そっと、触れさせた。


 その瞬間、アキラが見ていた、感じていた『ビジョン』が、タカシとヒトミの脳裏にも、直接、流れ込んできた。

 ―――豊かな緑に覆われた、南の大地。そこに、黒いインクを垂らしたように、一点の『染み』が生まれる。

 その染みは、ゆっくりと、しかし、確実に、広がっていく。

 染みに触れた、木々は、たちまち、その命の緑を失い、灰色の石像のように、変貌していく。

 水を飲みに来た、鹿の群れが、一瞬にして、生命の輝きを失い、その場で、崩れ落ちていく。

 音も、炎も、悲鳴すらない。ただ、静かに、冷たく、全ての生命が、『無』へと、還っていく。

 神の、あまりにも、残酷な『浄化』。


「……なんだよ、これ…」

 タカシの声が、震えていた。その目には、怒りと、そして、どうしようもない悲しみが、浮かんでいる。

「戦いなら、まだいい! だけど、こんな、一方的に、命を踏みにじるようなやり方、絶対に、許せねえ!」


「…生命そのものを、消去する、呪い…」

 ヒトミは、学者として、その魔法の、あまりの邪悪さに、言葉を失っていた。

「…汚染は、中心から、同心円状に広がっているわ。このままでは、数ヶ月で、この大陸の生命は、全て、死に絶えてしまう…」


 三人は、顔を見合わせた。

 次なる神器を探す、冒険の旅。そんな、悠長なことを、言っている場合ではなかった。

 これは、もはや、ゲームではない。

 タイムリミット付きの、世界の、救済ミッションだ。


「…無茶よ、アキラ」

 ヒトミが、か細い声で言った。

「相手は、神なのよ。大陸一つを、静かに殺せるほどの、圧倒的な力を持っている。そんな相手に、たった三人で、どうやって、立ち向かえと…?」


 その不安は、もっともだった。

 あまりに、巨大すぎる、敵。

 あまりに、絶望的な、状況。

 だが、アキラは、揺らがなかった。彼は、二人の仲間を、まっすぐに見つめて、言った。


「…どうやって勝つかなんて、オレにも、分からないさ。でもな、オレたちは、もう、知ってるはずだ」


 アキラは、タカシを見た。

「理不尽なルールの罠は、タカシの、バカ正直な怒りが、打ち破った」

 そして、ヒトミを見た。

「最高の嘘しか通じない魔法は、ヒトミの、素直じゃない、本当の心が、解き明かした」


 アキラは、自分の胸を、ドン、と叩いた。

「オレ一人の頭じゃ、とっくに、詰んでた。タカシ一人の力でも、ヒトミ一人の魔法でも、ダメだった。でも、オレたち三人が揃えば、神様が作ったゲーム盤でさえ、奇跡を起こせるんだ。オレは、その『絆』っていう、最強のカードを、信じてる」


 その言葉に、タカ-シが、ニッと笑った。

 ヒトミの瞳に、再び、強い光が戻った。


 そうだ。一人では、無理だ。

 でも、この仲間がいる。

 この、最高の『デッキ』が、ここにある。


「…決まりだな」アキラが、南の空を睨みつけた。「『神器探し』のクエストは、一旦、中断だ。これより、緊急クエスト、『大陸を蝕む呪いを浄化せよ』を開始する!」


 森の賢王は、そんな三人の覚悟を、全て、理解したようだった。

 彼は、三人の体に、自らの、黄金色のオーラを、分け与えた。それは、この大陸を旅する上での、祝福と、加護の力だった。


 そして、三人は、走り出した。

 豊かな生命が息づく、緑の世界に背を向け、静かな死が支配する、灰色の世界へと。

 その先で、どんな、絶望的な光景が待っていようとも、彼らの心は、折れない。


 仲間との絆。

 それこそが、神の冷徹な論理に、唯一、対抗できる、人間たちの、最も熱く、最も強い、答えなのだから。

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