第37話 巨獣の揺りかごと、自然のルール

 ニョームガルデが誇る、最新鋭の蒸気船は、三人を、前人未到の『未踏の大陸』の沿岸まで、送り届けてくれた。

「…この先は、我々の航海図にもない、未知の領域だ。健闘を祈る」

 技師長の、どこかぎこちない、しかし、心のこもったエールを受け、三人は、小型のボートで、その原始の大陸へと、上陸した。


 一歩、足を踏み入れた瞬間、三人は、言葉を失った。

 そこは、全てのスケールが、狂っていた。

 天を突くほど巨大なシダ植物の群生。家ほどもある、色鮮やかなキノコ。そして、砂浜には、小舟よりも大きな、三本指の足跡が、くっきりと残されていた。


「…おいおい…マジかよ…」

 タカシが、呆然と、その足跡を見下ろす。いや、見上げると言った方が、正しかったかもしれない。

「空気が、濃い…。魔力が、精製されていない、ありのままの形で、満ちあふれているわ…」

 ヒトミは、その圧倒的な生命エネルギーに、畏敬の念を抱いていた。


 ここは、人間が支配する世界ではない。

 自然と、そして、神話の住人たちたる、巨獣たちが支配する、聖域(サンクチュアリ)なのだ。


 魔法のコンパスが指し示す、大陸の奥地へと、三人は、進み始めた。

 しばらくすると、ズシン…ズシン…と、地面が、リズミカルに揺れ始めた。

 三人は、慌てて、巨大なシダの陰に身を隠す。


 やがて、目の前を、山のように巨大な、首の長い竜の群れが、悠々と通り過ぎていった。彼らは、アキラたちがいることなど、全く気にも留めていない。ただ、のっそりと、塔のように高い木々の葉を、食んでいるだけだった。


「…す…すげえ…」

 タカ-シは、目をキラキラさせて、その光景に見入っていた。戦うとか、そういう次元ではない。ただ、その圧倒的な存在感に、魂が、震えていた。


 だが、この大陸の、本当の恐ろしさは、その直後に、牙を剥いた。

 三人が、切り立った崖に囲まれた、渓谷地帯に差し掛かった時だった。

 突如、背後から、岩山のような、巨大な影が、猛スピードで突っ込んできた。全身を、鋼鉄のような甲殻で覆われた、戦車のような、巨大な草食竜だ。


「危ない!」

 三人は、慌てて、岩陰に飛び込む。

 草食竜は、何かに怯えるように、荒い息を吐いている。そして、その視線の先から、もう一体、さらに、恐ろしい存在が、姿を現した。

 鋭い牙と、鉤爪を持つ、俊敏な、巨大な肉食竜。その大きさは、先の草食竜ほどではないが、放つ殺気と、狡猾そうな瞳は、比べ物にならないほど、危険だった。


 キシャアアアアアア!

 肉食竜が、甲高い咆哮を上げる。

 二体の巨獣は、この渓谷の覇権をかけて、激しくぶつかり合った。

 それは、もはや、戦いというより、天変地異だった。

 岩が砕け、地面が裂け、木々が、マッチ棒のように薙ぎ払われていく。


「おい、どうするんだよ、アキラ! どっちにしろ、あいつらを倒さなきゃ、先に進めねえぞ!」

 タカシが叫ぶ。

 だが、アキラは、青い顔で、首を横に振った。


「…無理だ。タカシ、よく見ろ。あれは、敵じゃない。災害だ。地震や、台風と、同じなんだ。オレたちが、どうこうできる、レベルじゃない…!」


 ヒトミの魔法も、タカシのパワーも、この、惑星規模の生命の前では、あまりに、無力だった。

 三人は、ただ、戦いが終わるのを、自分たちに被害が及ばないことを、祈ることしかできなかった。

 だが、その祈りも、虚しく、二体の巨獣の戦いの余波で、彼らが隠れていた岩が、崩れ始めた。


(まずい…! このままじゃ、潰される!)

 絶望的な状況。

 その中で、アキラは、最後の切り札を使った。『真実の盾』を、二体の巨獣へと、かざしたのだ。

 盾に映ったのは、複雑な感情ではない。

 草食竜のオーラは、ただ、純粋な『恐怖』と『自己防衛』。

 そして、肉食竜のオーラは、ただ、燃え盛るような『飢え』と『闘争本能』。


 そして、アキラは、もう一つの『真実』を見つけた。

 肉食竜が、渓谷の壁に生えている、ひときわ、色鮮やかで、刺激臭を放つ、巨大な花を、本能的に、避けているのだ。


(…あれだ!)

 アキラの脳に、逆転の盤面が、閃いた。

 このゲームのルールは、敵を倒すことじゃない。この、自然という、巨大なシステムを、『利用』することだ。


「ヒトミ!」アキラは、轟音に負けないよう、叫んだ。「あの、臭い花の、花粉だけを、風で集められるか!」

「えっ!? …ええ、やってみるわ!」

「タカ-シ! あの、平たい、でかい岩を、盾みたいに構えろ! 草食竜の、次の尻尾攻撃から、オレたちを守るんだ!」

「おうよ!」


 二人は、アキラの、意図の分からない、しかし、確信に満ちた指示を、信じて動いた。

 ヒトミが、風の魔法を操り、刺激臭を放つ、黄色い花粉を、竜巻のように集めていく。

 タカシが、軽自動車ほどの岩盤を、その怪力で、地面から引き剥がし、盾として構える。


 そして、全ての準備が整った、その瞬間。


「――今だ!」


 ヒトミが、花粉の竜巻を、肉食竜の顔面へと、叩きつけた。

 同時に、草食竜の、鉄球のような尻尾が、三人に襲いかかる。それを、タカ-シが、岩盤の盾で、正面から受け止めた。

 岩盤は、粉々に砕け散ったが、その一撃を防ぐ、という、役目は、完璧に果たした。


 ブフォッ! と、大量の花粉を吸い込んだ肉食竜は、たまらない、というように、苦悶の声を上げた。その闘争本能が、本能的な『不快感』によって、一気に、削がれていく。

 肉食竜は、もはや、戦う気を失くし、忌々しげに、アキラたちを一瞥すると、踵を返し、渓谷から去っていった。


 獲物を追う者がいなくなり、草食竜もまた、ゆっくりと、その巨体を、森の奥へと、消していく。

 後に残されたのは、破壊し尽くされた渓谷と、呆然と立ち尽くす、三人の、小さな人間だけだった。


「…すげえ…。戦わずに、追い払っちまった…」

 タカ-シが、感心したように、つぶやく。


 アキラは、ぜえぜえと、荒い息をつきながら、仲間たちに言った。

「…分かっただろ。この大陸での、新しいルールが」


 アキラは、目の前に広がる、雄大で、そして、あまりにも、危険な自然を見つめた。


「この盤面では、オレたちは、プレイヤーじゃない。最強のモンスターでもない。ただ、巨大な駒の足元で、踏み潰されないように、必死に、生き延びるだけの、小さな、ネズミなんだよ」


 その、圧倒的な無力感。

 だが、それは、絶望ではなかった。

 どんなに、巨大で、理不尽な盤面でも、知恵と、勇気と、そして、仲間との絆があれば、必ず、『勝ち筋』は見つかる。

 その確信が、三人を、さらなる、未知の冒険へと、突き動かしていた。

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