第31話 あべこべの島と、天邪鬼の心
虹色の光の橋を渡り、三人は、次なる島へと足を踏み入れた。
そこは、一見すると、ごく普通の、岩と低い木々だけの、何の変哲もない島に見えた。中央には、小高い丘があり、その頂上には、祭壇のようなものが見える。
「…なんだ? 今度は、罠はねえのか?」
タカシが、拍子抜けしたように言う。
だが、彼らが島に完全に上陸した瞬間、背後の光の橋が、音もなく消え去った。そして、再び、あの陽気で、神経を逆なでするようなジェスターの声が、空から響き渡った。
『やあやあ、プレイヤー諸君! ステージ2へようこそ! この島は、とっても素直で、素敵な島! その名も、『あべこべ島』だよ!』
「あべこべ…?」
『そう! この島ではね、全ての物事が、あべこべなんだ! 前へ進みたければ、後ろへ歩く! 右へ行きたければ、左へ! 高くジャンプしたければ、地面にめり込むくらい、低く屈むのさ! さあ、山の頂上にある『次のステージへの鍵』を、手に入れてごらん!』
そのルール説明を聞いた瞬間、ヒトミは、この島の魔法の本質を理解し、顔を青くした。
「…なんてこと。これは、因果律を逆転させる、最高位の呪詛魔法よ…。ふざけた名前とは、わけが違うわ」
「うだうだ言ってても、始まらねえ!」
一番に、その理不尽さを体感したのは、やはりタカシだった。
「てめえの思い通りになるかよ!」
彼は、そう叫ぶと、山の頂上にある祭壇めがけて、全力で駆け出した。
だが、その体は、一歩前に進むごとに、一歩、後ろへと、奇妙な力で引き戻される。まるで、見えないゴムで、スタート地点に引っ張られているかのようだ。
「な、なんだこりゃあああ!」
タカシは、もがけばもがくほど、どんどん、スタート地点へと戻されてしまった。
「…落ち着いて、タカシ」アキラが、ため息をつく。「言われた通りだ。前に進むには、後ろ向きに歩くしかない」
三人は、しぶしぶ、祭壇に背を向けると、一歩、また一歩と、後ろ向きに歩き始めた。すると、不思議なことに、体は、すいすいと、祭壇の方向へと進んでいく。
だが、ジェスターの仕掛けた罠は、それだけではなかった。
目の前に、小さな崖が現れる。
「ここは、ジャンプね」ヒトミが言う。
三人は、向こう岸へ跳ぶイメージで、高くジャンプした。だが、その体は、まるで、強力な磁石で引き戻されるように、崖の手前に、叩きつけられてしまった。
「ぐっ…! なんでだ!」
「…そうか」アキラが、膝の砂を払いながら、気づいた。「イメージも、あべこべなんだ。向こう岸へ跳びたいなら、『崖の下へ落ちる』ことを、強くイメージしなきゃいけないんだ!」
それは、人間の本能に、真っ向から逆らう行為だった。
ヒトミは、その論理を理解しながらも、どうしても、体が言うことを聞かない。どうしても、落ちることへの恐怖が、先に立ってしまう。
だが、アキラとタカシは、ゲームだと割り切って、同時に、崖下へ飛び降りるイメージで、地面を蹴った。
すると、二人の体は、ふわりと、面白いように、向こう岸へと着地した。
「ほらな!」
「ヒトミ! 早く来いよ!」
二人に呼ばれ、ヒトミは、意を決して、目を固く閉じ、崖下へ身を投げるイメージで、跳んだ。
一瞬の浮遊感の後、彼女の足は、確かな地面を踏みしめていた。
「…できた…」
彼女の額には、冷や汗が浮かんでいた。
そんな、ちぐはぐで、もどかしい道のりを経て、三人は、ついに、丘の頂上にある祭壇へとたどり着いた。
祭壇の上には、小さな、クリスタルでできた鍵が、ふわりと浮かんでいる。
『さあ、最終問題!』ジェスターの声が響く。『その鍵を手に入れる方法は、ただ一つ! 心の底から、本気で、『この鍵が欲しくない』と、思うこと! 少しでも、『欲しい』という気持ちが混じっていたら、鍵は、永遠に、彼方へ飛んでいっちゃうからね! さあ、証明してごらん?』
それは、究極の矛盾だった。
鍵を手に入れるために、鍵が欲しくないと思わなければならない。
「…無理よ、そんなこと」ヒトミが、絶望的な顔で言う。「目的が、手段を、否定しているわ…」
アキラも、唸るしかなかった。どんなロジックも、このパラドックスの前では、意味をなさない。
だが、その時だった。
今まで、この理不尽なゲームに、ずっと、我慢を重ねていた、タカシの怒りが、ついに、頂点に達した。
「――ああああ、もう、やってられるかあああっ!!」
タカシは、地面を思い切り踏みつけると、祭壇に、完全に背を向けた。
「なんだよ、これ! 全然、面白くもなんともねえ! 前に進むのに、後ろ向きに歩いて、ジャンプするのに、落ちることを考えろ!? 鍵が欲しけりゃ、欲しくないと思え!? ふざけんじゃねえ!」
その声には、一切の演技も、計算もなかった。
心の底からの、純粋な、100%の「怒り」と「拒絶」だった。
「こんな、こそこそした、意地の悪いゲーム、オレは大嫌いだ! こんな鍵、いらねえ! こっちから、願い下げだ! オレは、正々堂々、拳で戦いてえんだよ!」
タカシが、そう叫びきった、瞬間だった。
ピーン、と澄んだ音を立てて、祭壇の上にあった、クリスタルの鍵が、一直線に、タカシの元へと飛んできた。そして、彼の、大きな手のひらの上に、ちょこんと、収まった。
「「……え?」」
アキラとヒトミが、あっけにとられる。
タカシ自身も、手のひらの中の鍵と、仲間たちの顔を、きょとんとした顔で、見比べている。
その時、アキラは、全てを理解して、吹き出した。
「…ははっ、ははははは! そうか、そういうことか!」
この島の、最後の罠を解く方法は、論理や理性ではなかった。
ジェスターの、ひねくれた理屈を、真っ正面から叩き潰す、タカシの、あまりにも真っ直ぐで、天邪鬼な魂だったのだ。
空の上から、初めて、ジェスターの、楽しげではない、どこか、忌々しげな声が、小さく響いた。
『……チッ。…なんとも、論理的じゃない勝ち方だ』
タカシが、祭壇の鍵穴に鍵を差し込むと、目の前の空間に、再び、虹色の光の橋が、架かった。
アキラは、タカシの肩を、バン!と力強く叩いた。
「やるじゃないか、タカシ。お前、最高の『ジョーカー』だったぜ」
自分たちのデッキには、まだ、自分たちも知らない、とんでもない「カード」が、隠されている。
その発見は、三人の絆を、さらに、強く、確かにしていた。
彼らは、顔を見合わせ、笑いながら、次なるステージへと、足を踏み出した。
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