第12話「偽りの聖地、百目の囁き」

 八王子城跡での一件から数日後。工房には穏やかな昼下がりの光が差し込んでいた。あの日の出来事が嘘のように、世界は平和そのものだった。

 しかし、その平穏は、玄関の引き戸がおそるおそる開けられる音によって、唐突に破られた。


「あのう、すみません。こちら、ネットで見た『織姫様の聖地』で、お間違いないでしょうか?」


 そこに立っていたのは、旅行雑誌を片手にした、見知らぬ中年女性のグループだった。縁側で、鎧武者と僧侶のぬいぐるみの細かな調整をしていたつむぎは、突然の来訪者に驚き、固まる。


「……は? おりひめ…?」


 紡の困惑をよそに、女性たちは彼女の姿を認めると、きゃっと小さな歓声を上げた。


「まあ、この方ね!噂通りの、神秘的な雰囲気…!まるで女神様みたい!」


「私たち、どうしても結ばれたい縁がありまして…。少しだけでいいんです。この土地のパワーを分けていただけませんか?」


 紡がどう対応したものかと戸惑っていると、その後ろからも次々と人が集まってくる。金運アップを願う派手な身なりの若者、健康長寿を祈る杖をついた老人、果てはペットの健康を願う女性まで現れた。誰もが悪意なく、純粋な願いと、キラキラした期待の目で紡と古民家を見つめている。


 数時間後、古民家の庭はさながら新興宗教の聖地か、人気の観光地のようになっていた。訪問者たちは、庭の石にありがたそうに触れたり、古い井戸に向かって手を合わせたりと、思い思いに「パワースポット」を満喫している。

 工房の窓から、紡と、遊びに来ていたあおいはその異様な光景を呆然と眺めていた。


「……すごいことになっちゃったね。いつからうち、こんな有名スポットになったの?」


 葵が呆れながらスマホの画面を紡に見せる。そこには「八王子の森の隠れ家工房 〜奇跡を呼ぶ織姫様の聖地〜」という、いかにもなタイトルのスピリチュアル系ブログの記事が表示されていた。記事には、紡が無断で撮影された、遠目からの写真が使われている。「この家に住む織姫様は神の使い」「手作りの品を持つと幸運が舞い込む」「この土地の空気を吸うだけで運気が上がる」など、もっともらしい嘘が、さも真実であるかのように書き連ねられていた。


「誰が、こんなことを……」


「ふむ。これは異形衆…おそらくは、情報を操る輩の仕業じゃな」


 祖父ぬいぐるみが、紡の足元で悔しそうに言った。


「蚕様の祠が本来持つ『縁結び』の力を悪用し、あらゆる欲望を叶える万能パワースポットであるかのように情報を増幅・拡散させおったわ。たちの悪いことに、全てが嘘ではない分、人々は疑いなく信じてしまう」


 事態はさらにエスカレートしていく。不特定多数の人々が、制御されていない剥き出しの欲望をこの土地に持ち込み、祈りを捧げ始めた。その結果、土地本来の穏やかで清浄な気が乱れ、様々な願いが混じり合った濁った淀みとなっていくのを、紡は肌で感じ取っていた。頭が重く、空気が粘りつくようだ。


「織姫様!その髪の毛を一本、お守りにいただけませんか!」


「私が作ったこのブレスレットに、どうかパワーを込めてください!」


 善意からくる無遠慮な要求の嵐。対人関係が苦手な紡は、強く拒絶することもできず、ただ後ずさり、精神的に追い詰められていく。


 その頃、八王子市内のオシャレなカフェ。大きな窓から街並みを見下ろせる特等席で、ゴスロリ姿の少女――百目もくめあやが、ティーカップを片手に、スマホの画面を眺めて愉悦の笑みを浮かべていた。画面には、訪問者たちのスマホカメラや、街の監視カメラを通じて送られてくる、困惑し、追い詰められる紡の姿がリアルタイムで映し出されている。


「あはっ。困ってる、困ってる。いい顔するじゃん、紡ちゃん。もっと、もっと困らせてあげよっと」


 彼女は楽しげに指を滑らせ、SNSに新たな情報を投下した。『聖地の井戸水を飲むと病が治るらしい』――。



 夕方になり、訪問者たちがようやく去っていくと、古民家には静寂が、そして荒らされた庭と気の淀みだけが残された。工房で、紡は心身ともに疲れ果て、ぐったりと椅子に座り込んでいる。


「このままでは、お主の身が持たんし、何よりこの土地の力が枯渇してしまう。人の流れを制御するのじゃ!」


「でも、どうやって? みんな悪気はないんだよ? 嘘だって言っても、信じてくれないかもしれないし…」


 祖父と葵の言葉に、紡は静かに立ち上がった。その瞳には、疲労の色と共に、確かな意志の光が宿っていた。


「……作戦がある」


 翌日。古民家の入り口に、一枚の新しい看板が設置された。そこには、紡の美しく、しかしどこか有無を言わせぬ力強さを持った筆跡で、こう書かれていた。


『当主よりお願い:当家の守り神は養蚕と機織りの神様であり、そのご利益は「縁結び」に特化しております。専門外(金運・健康運等)のお願いは、神様がお怒りになり、ご利益が反転する恐れがありますので、固くご遠慮ください』


 その看板を見た訪問者たちが、ざわつき始める。


「え、ご利益が反転? 嘘でしょ?」


「じゃあ、金運をお願いしたら、逆にお金が出ていっちゃうってこと…?」


 そこへ、参拝客のふりをして紛れ込んでいた葵が、自分のスマホ画面を見せながら、さらに畳みかける。


「見てください!ネットでも拡散されてますよ!『【拡散希望】八王子のパワースポット、間違ったお願いをすると大変なことに!正しい参拝作法を守らないと呪われる!?』って!古い情報に騙されないでください!」


 葵が、綺のデマ情報を「古い情報」とし、「本当にご利益を得たいなら、作法を守るべき」という、より信憑性の高い「恐怖」を煽る情報で塗り替えていく。

 その作戦は功を奏した。金運や健康運といった俗な欲望に駆られた人々の大半は、ご利益の反転を恐れて蜘蛛の子を散らすように去っていく。後には、本当に縁結びだけを願う、数人の参拝者が静かに祈りを捧げているだけになっていた。

 静けさを取り戻した古民家で、紡は荒れてしまった蚕様の祠を、丁寧に、心を込めて手入れしていた。


 その時、紡のスマホが短く震えた。未知のアカウントから一通のダイレクトメッセージが届く。


『あーあ、つまんない作法とか作っちゃって。せっかく盛り上げてあげたのに。でも、おかげで良いデータが取れたよ。人間の欲望と情報が、どれだけ簡単にコントロールできるか、とかね。また遊ぼうね♡』


 メッセージには、カフェのテーブル越しに撮られた、モニターに映る紡の家の映像が添えられていた。

 百目もくめあやからの、明確な宣戦布告。紡はスマホを強く握りしめ、自らの穏やかな日常と、守るべきこの土地への想いを、改めて胸に刻むのだった。







***

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