第11話「八王子城跡の無終戦記」

 ある日のこと。工房に遊びに来ていたあおいが、いつになく深刻な顔で腕を組み、居間で唸っていた。そのただならぬ雰囲気に、ぬいぐるみの補修をしていたつむぎも、珍しく手を止めて様子を窺う。


「……どうしたの。そんなに難しい顔して」


 紡が尋ねると、葵はばっと顔を上げ、決意を固めたように紡の肩を掴んだ。その瞳は、好奇心と、そして少しの恐怖に揺れている。


「紡ちゃん…ついに、八王子最強と名高い“あそこ”へ行く時が来たと思うんだ」


「“あそこ”って……」


「八王子城跡だよ! 最近、ネットのオカルト掲示板で、夜中に鎧武者の影を見たっていう書き込みが急に増えてるの! しかも、見た人みんな、原因不明の高熱が出てるんだって。これはもう、ただの噂じゃないよ!」


 しかし、葵はそう宣言した直後、自分で言った言葉に怖気づいたのか、掴んでいた手に力がなくなり、急に声が小さくなる。


「……でも、やっぱり夜は怖いから、お昼に行かない? ほら、ハイキングがてら、下見ってことで…」


「……最初からそう言ってよ」


 紡は盛大にため息をついた。だが、その表情には単なる呆れだけでなく、葵の「厄介事を引き寄せる才能」を前にした、ある種の覚悟が滲んでいた。この親友を危険から守るのも、織紡師としての自分の役目なのだと、いつからか思うようになっていた。



 数日後。緑豊かな八王子城跡は、穏やかな日差しと爽やかな風が吹き抜ける、絶好のハイキング日和だった。


「わー、気持ちいいねー! これなら全然怖くないや! 空気もおいしいし!」


「だから言ったでしょ。昼間はただの史跡だって」


 二人は、復元された荘厳な曳橋を渡り、かつて御主殿があったとされる広大な敷地の石垣を見て回る。


「この石垣、すごいね。昔の人は、これを全部手で積んだんだよね」


 葵が感心したように石垣に触れると、紡の懐から祖父ぬいぐるみが顔を出した。


「うむ。じゃが、この石垣は、ただの城壁ではない。落城の際の、数多の悲劇と無念を、その身に刻み込み、ずっと見続けてきた証人でもあるのじゃ」


 祖父の言葉に、紡はそっと石垣に手を触れてみた。ひんやりとした石の感触の奥から、気の遠くなるような長い時間と、微かで、しかし消えない悲しみの気配が伝わってくるような気がした。

 穏やかな時間の中にも、この土地が持つ歴史の重みが、静かに息づいていた。


 一通り見て回り、そろそろ帰ろうと山道を下り始めた、その時だった。

 どこからともなく、微かな読経の声が聞こえ始める。それは風に乗って、幾重にも重なり、厳かに響いてきた。


「……何の音?」


「え?お経…?こんな山の中でお坊さんがいるのかな…」


 異変を察知した葵のカバンが、突然けたたましく鳴り響き始めた。先日手に入れた踏切のぬいぐるみが、最大級の危険を知らせているのだ。


「カン!カン!カン!カン!」


「わっ!踏切くんが!?」


「昼間だというのに来るか!小娘、紡から離れるな!」


 懐の祖父ぬいぐるみが叫んだ瞬間、周囲の景色がぐにゃりと歪む。明るかったはずの空が、またたく間に血のような夕闇に染まり、緑豊かだった木々は枯れ木のように禍々しい姿へと変わっていく。二人は、足元の地面が沼に変わるような感覚と共に、過去の合戦場へと引きずり込まれてしまった。



 気づくと、二人はむせ返るような血と土の匂いが立ち込める、薄暗い広場に立っていた。

 読経の声は、すぐ近くから聞こえるように大きくなっている。目の前には、信じがたい、地獄のような光景が広がっていた。血と泥に塗れた鎧武者たちが、互いに刀を交え、何度も斬りつけ、斬られ、しかし誰一人倒れることなく、まるで呪われた舞台の役者のように、永遠に戦い続けている。その中には、着物の裾をからげ、血濡れの薙刀を振るう女性たちの鬼気迫る姿も混じっていた。


「うそ……でしょ……。女の人まで…」


 紡が葵をかばうように前に立つ。武者たちの怨念の気に当てられ、頭がずきずきと痛んだ。少し離れた場所では、一人の僧侶がこの世の者とは思えぬ形相で、血の涙を流しながら一心不乱に経を唱え続けていた。


「これは八王子城落城の無念が作り出した、終わりのない戦いの記憶そのものじゃ」


 祖父が、苦々しい声で解説する。


「城主不在の中、残された家臣と婦女子たちが、最後までこの城を守ろうと戦った…。あの僧侶は、後の時代の者。この凄まじい怨念が外に漏れぬよう、自らを犠牲にして、この場所を封じ込めておるのじゃ。じゃが、彼の力も、もはや限界に近い」


 絶望的な状況。しかし、祖父は続けた。


「じゃが、今の紡と、何よりこの小娘の共感力があれば……この悲劇の連鎖を断ち切れるやもしれん」


 紡が振り返ると、葵は恐怖に震え、顔面蒼白になりながらも、覚悟を決めた表情で力強く頷き返した。

 紡に守られながら、葵は目を閉じ、意識を集中させる。最初は恐怖で弾かれていたが、意を決して、荒れ狂う感情の濁流へとその身を投じた。侍や女性たちの、悲痛な想いが、痛みと共に流れ込んでくる。


「……分かる……。『お城と、皆を、守りきれなかった無念』……! 『遠いお屋形様に、申し訳が立たない』っていう、悔しい、悔しい気持ち……!」


 葵の瞳に、さらに僧侶の慈悲の想いが映る。


「そして、あの僧侶さんの……『誰一人、この悲しみに巻き込んではならぬ』っていう、すごく、すごく優しくて、強い気持ち……!」


 葵は、自らの頬を伝う涙にも気づかず、全ての魂に向かって叫んだ。


「もう、戦いは終わったんです! あなたたちの忠義と勇気は、決して無駄なんかじゃありませんでした! もう充分です…! 殿様も、きっと、あなたたちの戦いぶりを誇りに思っています! だから、どうか、安らかに眠ってください!」


 その心からの叫びが、怨念の核となっていた一人の武将の魂に届く。彼の強すぎる執着が、ふっと霧のように晴れた。

 すると、連鎖するように、戦っていた他の武者たちや女性たちも次々と動きを止め、憑き物が落ちたような安らかな表情で、光の粒子となって消えていった。すべての魂が解放されたのを見届けた僧侶も、穏やかな笑みを浮かべて静かに昇天していく。


 夕闇が晴れ、元の穏やかな昼の景色に戻った城跡。そこには、武者たちの忠義が結晶化したような武骨で頑丈な布と、僧侶の慈悲が形になったような清らかで柔らかな布の、二枚が静かに残されていた。

 葵は、大勢の魂の想いを受け取ったことで精神的に消耗し、その場にへたり込んでしまう。紡は、そんな彼女の肩を支えながら、二枚の布をそっと拾い上げた。



 後日。工房で、紡は二枚の布を使い、二体のぬいぐるみを縫い上げていた。一体は、デフォルメされた、しかし凛々しい鎧武者のぬいぐるみ。もう一体は、柔和な表情をした僧侶のぬいぐるみ。

 紡は、完成した二体のぬいぐるみを手に取り、その重みを確かめる。それは、布の重さだけではない。この地に散った人々の、忠義と慈悲の、魂の重みだった。

 新たな仲間が、また二体。紡は、その誕生を静かに見つめながら、次なる戦いへの決意を新たにするのだった。






***

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