第13話「高月町の夜行さん」

 夕暮れの縁側で、つむぎは新しく仲間に加わった鎧武者と僧侶のぬいぐるみを、愛おしそうに手入れしていた。武骨な布の質感、清らかな布の肌触り。その一つ一つを確かめるように、丁寧に針を通していく。その隣で、あおいがスマホのオカルト系掲示板を食い入るように見つめている。


「ねえ、紡ちゃん。またすごいの見つけたよ」


「……今度は何?」


 紡は手を止めずに尋ねる。もうすっかり、このやり取りにも慣れてしまった。


「八王子市内の国道でね、夜中に車で走ってると、姿は見えないのに、すぐ真横から馬の蹄の音が聞こえて、ずっと追いかけてくるんだって! しかも、その音を聞いちゃった人、みんな原因不明の体調不良になってるらしいの。怖くない!?」


 紡の懐で、執事ぬいぐるみがぴくりと顔を出した。


「蹄の音……。夜行やぎょうさんか。古くからこの地に伝わる怪異じゃが、近頃は聞きもしなかった。八王子城跡の一件で、土地の霊脈が揺らいだ影響やもしれんのう」


「夜行さん?それ、どんな妖怪なの?」


 葵の問いに、祖父は少しだけ悲しげな声で答えた。


「高月城にまつわる、悲しい姫君の物語じゃ。落城の際、敵兵に追われた姫君が、もっと速く走れる足があれば、と強く願った無念が、その姿を変えたと伝えられておる。…ふむ。体調不良者が出ているとなれば、これは放ってはおけんな」


 調査に行く気満々の祖父と葵を見て、紡は小さく、しかし諦めを含んだため息をついた。


「……行くんでしょ?」


「話が早い!」


 葵が満面の笑みを浮かべた。



 夜の国道沿いは、街灯がまばらで、時折通り過ぎる車のヘッドライトが闇を切り裂いては、またすぐに静寂が戻る。一行は、噂の区間とされる場所で、じっと異変を待っていた。


「うーん、ここであってるはずなんだけど……蹄の音なんて全然しないね。もしかして、車じゃないとダメなのかな」


「……静かにして」


 紡は目を閉じ、織紡師の霊感を研ぎ澄ませる。大気の流れの中に、微かに残る、悲壮な気の流れを感じ取った。それは、国道に沿ってはいるが、どこか違う方向へと逸れていく。


「……こっち」


 紡が指差した方向は、国道から外れ、鬱蒼とした森へと続く薄暗い脇道だった。その先には、かつて北条氏照の居城であった「滝山城跡」がある。


 日が完全に暮れ、月明かりすらない滝山城跡は深い闇に包まれていた。懐中電灯の光だけが頼りだ。ザワ、と風が木々を揺らす音が、まるで誰かの囁きのように聞こえる。

 その時、闇の奥から、乾いた蹄の音が響き渡った。

 パカラッ、パカラッ……。

 その音は、ただの馬の足音ではない。怨念と悲しみが染み付いた、心臓を直接叩くような不吉なリズムだった。


「……来た!」


 空気が張り詰め、蹄の音は凄まじい速さで近づいてくる。そして、一つの影が、風を切り裂くような速さで、二人のすぐ横を駆け抜けていった。

 それは、上半身が美しい姫の着物を纏った女性、下半身がたくましい馬という、ケンタウロスのような異形の姿。手には薙刀を握り、その表情は何かを探し求めるように、悲壮感に満ちていた。


「……はや……」


 あっけに取られて見送ってしまった二人の前で、葵が呆然と呟く。


「逃がさない…!」


 紡はすぐに気を取り直し、懐からろくろ首のぬいぐるみを取り出した。


「お願い、あの子を追って!」


 ろくろ首のぬいぐるみが頷くと、その首がにゅるにゅると、まるで意思を持ったかのように伸び、消えた夜行さんの霊的な痕跡を正確に追跡し始める。



 ろくろ首の追跡を頼りに、一行がたどり着いたのは、滝山城の支城であった「高月城跡」だった。その中心で、夜行さんは力尽きたように項垂れている。激しく肩で息をし、その全身から深い絶望の気が立ち上っていた。

 紡に守られながら、葵が恐怖をこらえて、その心に同調する。


「……ああ……そうだったんだ……」


「葵?」


「この人は、落城の時に亡くなったお姫様…。『もっと速く走れる足があれば、戦う力があれば、お城に残ったみんなを助けられたかもしれないのに』って…。その強すぎる後悔と無念が、この姿に変えちゃったんだ」


 葵の目に、姫の絶望的な記憶が、鮮明な映像となって流れ込んでくる。


「毎晩、八王子城からここ高月城へ、失われたものを探して走り続けてる。でも、ここに来ても何もないって分かって、絶望して…。それを、ずっと、ずっと、何百年も繰り返してたんだ……」


 姫の絶望に満ちた気配に、紡たちは容易に近づけない。どうすれば、このあまりに深く、長い悲しみを癒せるのか。

 その時、紡は懐から「鎧武者のぬいぐるみ」を取り出した。八王子城で成仏した、同じく北条の家臣だった武者の魂を宿すぬいぐるみだ。


「……お願い」


 紡がぬいぐるみを姫の方へ向けると、武者ぬいぐるみは主君の縁者である姫の前にゆっくりと進み出る。そして、その場に静かに片膝をつき、深々と頭を垂れてかしずいた。言葉はなくとも、その姿は絶対的な忠義と敬意を示していた。


 その姿が、他者を拒絶し続けていた姫の閉ざされた心に届いたのか、彼女の悲壮な表情が、ほんの少し和らいだ。


「もう、戦は終わりました。あなたの忠義も、無念も、私たちが確かに受け継ぎますから。どうか、安らかに」


 紡が武者の想いを代弁するように静かに語りかけると、姫の張り詰めていた表情が、ふっと完全に解けた。彼女は満足げに微笑むと、その異形の体は穏やかな光の粒子となって、夜空へと昇っていった。


 姫が消えた後には、彼女の強力な霊力を宿した、ひときわ大きく、そして月光のように美しい一枚の布が残されていた。


「……ありがとう」


 紡はその布を、そっと手に取った。



 後日。工房で、紡は巨大な布を使い、一心不乱に新しいぬいぐるみを作り上げていた。それは、人がまたがれるほど大きな、姫と馬が一体化したケンタウロスのようなデフォルメぬいぐるみだった。


「ほう、不可視の能力か。これなら、人目を気にせず八王子の街を駆け巡れるのう」


 祖父が感心したように言う。不可視の状態で八王子の街を高速移動できる、頼もしい新たな移動手段の仲間が誕生した瞬間だった。






***

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