第一話

鬼姫の日常 其の一

「ねえねえっ! 転校生が来るらしいって話、聞いた⁉」

 午前七時四十四分。いつも通りの教室で、いつも通りの朝。

 ランドセルの中身を全部引き出しにしまって、ぼんやり窓の外を見ていたそのとき、眩しい笑顔と可愛い声がいきなり私に突き刺さった。

 窓から声の方へ目線を動かすと、九条さんだ。誰にでも優しくて可愛くて、いつもクラスの中心にいる人気者。

 明らかに私とは住む世界が違うんだけど、最近はよく話しかけてくれる。

「え~! なにそれ、知らない!」

 私はキラキラ輝いているその瞳に目を合わせ、笑顔で声を弾ませた。

「転校生⁉ めっずらしー! どんな子だろ、楽しみだね!」

 うちのクラスだといいなぁ~、と口元を緩めたら、九条さんは意味ありげに笑う。

「ざんねーん、うちのクラスじゃないんだな。五年だって」

「へぇ……でもなんか嬉しそうだね」

「そうそうそう!」

 きらっと目を光らせた九条さんが、私の机に勢いよく手をつく。

「その転校生がさ、めっちゃイケメンなの!」

「イケメン⁉」

 イケメンと聞いたら、反応しないわけにはいかない。

 私が大声を出すと、教室に集まり始めていたクラスメートがちらっとこっちを見たのが分かった。

「あっ、ごめん、声おっきかった?」

 ちょっと笑って手を合わせると、何人かがランドセルを机の上に置いたまま「イケメンがどうしたのー?」「二人とも何の話?」と寄って来た。

 その何人かの向こう、教室の隅の机にいたクラスメート——去年から同じクラスの一重いちえちゃんが、すっと眉をひそめたのが目に入る。一重ちゃんは私から目を逸らすように隣を向いて、一重ちゃんのすぐそばにいたいちごちゃんにぼそっと小さく呟いた。

 小さな声。だけど私は耳がいいから、はっきり聞き取ってしまった。


――鬼姫が、なに楽しそうにしてんだろうね。ムカつく。


 しゅっと冷たいものに背中をなぞられたように、全身が凍りつく。

 でも、「そうそう、年上の超イケメンな転校生が来るらしくてー」と目の前で話が再開すると、すぐに意識はこっちに戻った。

 笑顔を作り直して、私の机の前で話し続けるグループの輪に混ぜてもらう。

 鬼姫じゃない。

 大丈夫、私はちゃんと九条さんたちの友達だから。一重ちゃんの言うことなんか関係ない。

 もう、鬼姫じゃない。

 心の中でもう一度唱えて、心臓を落ち着けて、周りの女の子たちと同じタイミングで「えーっ、うっそー!」と声をあげる。

 このまましばらく話して、忘れよう。

 どうせそのうちそんなあだ名は、みんな忘れる。



――氷の王子だの、雪の女王だとか、クールがどうのとか。

 そういうあだ名は、少女漫画や恋愛小説なんかを見ているとよく目につく。

 クールで冷たいキャラ、異性嫌い、人を寄せ付けない壁を作っているキャラ。

 色んなキャラに、冷たいあだ名がつけられていく。

 でも。


――――『鬼姫おにひめ


 そんな二つ名を授かる人間なんて、きっと日本中どこ探しても、どんな物語を読んだとしても。



 私くらいしか、見つからないだろう。

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