ザルカバーニの変事

第37話 キャラバンの旅路(1)

 バハルハムスから旅立って三日が過ぎた。

 キャラバンはミシュアの案内の元、セルイーラの砂漠地帯を抜けて荒れ地に入った。サウリ丘陵と違ってあちこちが崖になっていて、谷底には川が流れている。この恩恵か崖上も多少の緑はあったが、代わりに、休憩に使える洞穴や水の湧いている場所なんかは見つからない。そういうのは全部谷底にあるそうだ。


「谷底は移動できないの?」

「無理です。降りる道がありませんし、登る道もありません。動物は降りているようですが、キャラバンが降りることに成功した事例は聞いたことがありません」


 不思議ですね、とミシュアは答える。

 彼自身、同じような疑問を何度も抱き、なんとか道を見つけられないかと挑戦したことがあるらしい。しかし道は一つも見つけられないし、無理して降りようにも高さを考えれば自分には無理だとしか思えなかったそうだ。

 わたしは谷底をのぞき込む。

 そこには鬱蒼とした木々が陽光を求めて枝葉を伸ばし、その間に浅い川がずっと流れていた。

 耳を澄ませば、絶え間ない河音が聞こえてくる。結構流れは早そうだ。


「そういえば、このトゥアムリ渓谷には伝説がありましたよね。星が落ちて大地が割れた、という」

「お、よく知ってるじゃない。流石、学者先生」

「その呼び方はやめてください……」


 すぐ近くでコーレとユスラが話し始めた。

 わたしはミシュアを見ると、ミシュアはユスラに話を向けた。


「そういうあなたはどうなんですか? 水呼びなのにトゥアムリ渓谷の由来を話せない、なんてことはありませんよね」

「は? 当然話せますけど」


 白いフードの下から勝ち気な顔が覗く。

 ユスラは、ん、と一度喉を整えてから話し始めた。


「それは遙か昔のこと、宮殿に王がおられた頃。

 砂漠に水を、荒れ地に木々を、人々に街を、世に秩序をもたらせし偉大なる王の御業の一つに、空を描くというものがあった。

 王はこう仰った。星々は閉じた瞳だと。

 ある時、星の一つが落ちてきた。

 細き虹の尾を引いて、棚の上に置いた果実がころりと落ちてくるように、それはあっけなく、音もなく、輝きだけを残して落ちた。

 王はその地に現れると、荒れ地に生まれた大きな傷口を見下ろした。

 そこにはなんと、豊かな緑と川があった。

 王はこう仰った。

 この草木は枯れることなく、この川は乾くことがない。しかし何人たりともこの地に手が届くことはないだろう。なぜならこれは、トゥアムリのまぶたの裏側だからだ。

 臣下の誰一人として王の言葉を疑う者はいない。

 民の誰一人として王の言葉を理解する者はいない。

 そのまどろみに祝福あれ。

 彼の瞳よ開くことなかれ。

 トゥアムリに長く平穏な眠りのあらんことを」


 ユスラはそこまで話すと、こほんと咳払いをした。


「言い伝えとしてはこんなところね。要するに、昔ここには星が落ちてきて、そのときに生まれたのがこのトゥアムリ渓谷なの。元々、ここではどんな水呼びも水を見つけられなかったから、それはもう大騒ぎ。この大地の下にはこんなに水があるなんて、ってね。まあ王のお触れのせいで届かぬ夢になったわけだけど」

「一般には、トゥアムリ隕石の落下によって、荒れ地の下に隠されていた土地が露出した、と解釈されています。王の言葉は大げさですけど……実際に崖下までたどり着いた人がいないので、警告自体は正しかったようです」


 ユスラが水呼びとしての視点で語り、コーレが研究所資料を思い出しながら通説を補足する。わたしはそれならとミシュアを見た。


「あなたはどう思うの?」

「わたしも通説通りに考えていましたが……今にして思えば、少し、違うのかもしれません」

「というと?」

「具体的なことは、何も。しかし、王が本当に魔法使いだったなら? 星空を作ったのが王であり、その星が落ちてきて出来上がったのがトゥアムリ渓谷。そしてそこは不思議な不可侵地帯。もしかしたら、何かあるのかもしれない、と今なら考えます」


 アカリの話を思い出す。

 王の魔法は夢にまつわるもの。

 星々は閉じた瞳。

 夢と瞳なら何か関係がありそうだ。


 その後もわたしたちは議論を重ねたが、これといった結論は出ないままだった。

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