第36話 旅立ち前の思惑
情報の整理も終わり、キャラバンの立ち上げもできた。となれば、後は号令だけ。わたしたちはさっさと旅に出ることにした。
「バハルハムス領主の目も厳しくなってきたものね。勘がいいのかしら?」
「逆に聞くけど、君だったらこの状況で疑わないと思う?」
「わたしなら一枚噛みに行くわ」
「あ、うん。そこまでは向こうも考えてないと思う……」
「何が言いたかったの?」
「んー……まあ、潮時という意見にはわたしも賛成。面倒が起こる前に旅立とう」
「じゃあ三日後ね」
と言うわけでキャラバンの旅立ちの日を三日後に設定して、仲間たちに共有した。キャラバンとしての準備は終わっているので、残る時間は完全に個人のために使うものだ。
一応聞いて回ったところ、ミシュアは旅先の情報を集めながら知り合いの元を回って、しばらく新規の仕事は受けないことや、長旅で連絡が取れないことを共有するらしい。
彼はこれでも腕利きで有名な案内人で、こうしておかないと面倒なことが起こるのだ。アルリゴでの信頼の置ける輸送船の船長みたいなものだろう。商売上の人間関係に気を配るところは好感が持てる。
カシャー、ウェフダー、シャオクのシュオラーフ三人組は基本的に外に出ないで過ごすらしい。アカリの仕掛けで大丈夫とは言え、不必要に外出しないようにしているのだ。
ミシュアやモタワに頼んで買い物をしてもらう代わりに、カシャーは占いをしたり、ウェフダーは狩人たちと手合わせしているそうだ。
意外、と言ってはなんだが、狩人たちとウェフダーの手合わせでは基本的にウェフダーが優勢だった。狩人が二人がかりでもなんとかなるそうだ。
「あくまで訓練だから、と言うのもあるが、二人にとっては相手が人間というのはやりづらいだろう。狩人の使う加護は、狩りの対象となる魔獣との戦いでだけ効果を発揮する、と聞く」
実際、カルサイとラティフの二人は加護なしでの戦闘訓練をしていた。これは砂漠の影や、彼らが使役する人間を相手にするときに備えているそうだ。
対人であれば護衛騎士であるウェフダーに圧倒的な経験値があり、結構勉強になっているらしい。
代わりに二人は魔獣との闘いでも連携できるよう、ウェフダーに対魔獣戦の意識を話したりしていた。
ちなみに、わたしも聞くべきかと思ったけれど、却下された。
「お前は勝手にやってくれた方が面倒がない」
「そうだな。味方についた魔獣だと考えりゃいいからな」
「あんまりな言い分だと思うわ」
でもクラーケンの触手でサルアケッタと綱引きしたり、イッカクの体当たりで核を粉砕するところを見せてしまったので、二人からすれば今更人間扱いするとかあり得ない、とのことだ。ひどい。
「悲しいから対魔獣戦の訓練を始めましょうか」
「おい馬鹿待て」
「ほう。いいだろう」
「いや君たち本気か?」
とりあえずしばき倒しておいた。全身引き裂いて魚の餌にしなかったので、眷属達には後で何か与えないといけないだろう。
狩人三人組最後の一人モタワは、バハルハムスにいるうちにと様々な道具を買い付けていた。
どれもこれも今後の狩りを見据えたもので、予算で見ると一人でキャラバン全体の消費の三分の一を占めている。これでも格安だというのだから狩人はお金のかかる仕事だ。
とはいえ、これでモタワの調達能力が知れ渡ったので、カシャーも呪具や素材を求めたし、ミシュアもキャラバンの資材の確認に付き合わせていたし、新規加入者のハーディスも連れて行く獣の面倒を見るために必要な消耗品類の調達に巻き込んでいた。なんやかんやでミシュア、コーレに並ぶ忙しさだったと言えよう。ついでだからフォルディオ商会からも人を出して手伝わせる代わりに伝手との顔つなぎをしてもらった。
わたしはと言えば商会関連の仕事を片付けつつ、キャラバンの資金繰りを考えたりしていた。無尽蔵に商会からお金を引き出して使うわけにもいかないし、ポケットマネーも目減りしている。稼ぐ必要が出てきたのだ。
わたしはミシュアやコーレを巻き込んで、ザルカバーニで売れそうな商品を調達し、ハーディスに頼んで輸送してもらうことにして、三人の仕事を増やしてしまった。かわいそうに。
「さて。準備もこんなところでいいかしら?」
いろいろと区切りをつけていたら結局二日目の夕方になってしまった。明日にはもう出発だ。船の上と違って歩き詰めになるのに休んでいなかったのは失敗かもしれない。
いや、でも、この体になってから体力が尽きることはなかったし、大丈夫か。
乗り物にする動物もハーディスが調達してくれているが、交代できるほどの数を用意すると大所帯になりすぎるので基本的には病人輸送用らしい。
そんなことを考えながら宿の窓から夕日を眺めていると、扉がノックされた。
どうぞーと答えると、アカリが入ってきた。
「あら。何かあったの?」
「特に何もないよ。わたしだって友達のところに行くのに毎度理由があるわけじゃないさ」
「魔法使いは必要なとき必要な場所にしかいないんじゃなかった?」
「必要が無いとは言ってないね」
アカリはベッドに腰掛けると、何やら放り投げてきた。受けとってみれば、何やら紙で包まれた暖かいものだ。
包みを開いてみると、焼いた野菜や肉をパンで挟んだものが入っていた。甘辛そうな香りが漂ってきて、ちょっと匂いを確かめただけなのにお腹がなりそうになった。これは淑女には危険な食べ物かもしれない。
「ほとんど何も食べてないでしょ。ミシュアとユスラが心配してたよ」
「ユスラも気づいてたのね」
「あの娘は結構、周りを気にかけてるよ。気にかけた上で自分の信念にしか従わないから乱暴に見えるけども」
「ああいう人がいると助かるのよねぇ。特につらい思いをしたときとか。カシャーたちもラティフたちも世話になりそう」
「ユスラ自身、ついて行くのはなんだか放っておけないからだーとか言ってたしね」
「なるほど、それが本題?」
「君とのおしゃべりはいつもそうだ。話が早すぎるなぁ」
アカリは呆れたように言って、自分の分のパンを食べて、飲み込む。
「ミシュアはアルカースを探すという部族の義務を担った。
コーレはこの旅が研究活動につながると思ってる。
カシャーとウェフダーはシャオクを助けるため。
カルサイは砂漠の影のビシャラを追いかけるためで、モタワは狩人たちを助けることを己の義務としている。
ラティフは雇われだけど、三大魔獣に因縁があるみたいだし、三大魔獣はたぶん今後わたしたちと関わってくる。
新入りの獣使いハーディスは日々の生活、仕事のため……と言ってるけど、実は石積みの部族から託された使命があるらしい。ある獣を預かっていて、返す相手を探しているそうだ。
そしてわたしは魔法使いに頼まれて、セルイーラが悪夢に落ちる前になんとかしようとしてる」
アカリはそれぞれが今後の冒険に託すものを指折り数えていく。
そして最後に、わたしを指さした。
「だけど君はどう? 実のところ、それだけがわからない」
「ただの趣味にそんなことを言われても困るわ」
わたしは成り行きでここにいるだけだ。意味もなければ必要もない。
考えてみれば、それはアカリとは正反対だ。
「たまに指摘されることはあるのよ。なぜそんなことをした。お前は何がしたいんだ。あなたは何を求めているのですか。フォルディオにも、ルカにも、最近はエスフェルドにも言われたわ。これでアカリも加わったわね」
「そこでお揃いねーみたいな顔してないでさ……」
「うーん。でも、わたしは別に目的とか理由とか、要らないから」
何なら面白そうとか楽しそうとかそんな動機も必要ない。
探せば理由はあるだろうけど、本当に、そんなものは何でもいいのだ。
「わたしは何となく関わって、なんとなくいい感じにしたいと思って、できる全部をするだけよ」
「なんでそんなことを? 明らかに割に合わないでしょ」
「あら。何と比べて割に合わないと思ったの? 何かと比べる必要なんて、ある?」
話しながら、本当に悩んでいるのはアカリの方なのだな、とわたしは直感した。
魔法使いの義務として関わり、そして何人もの人の事情が見えてきて、これから更に直接は見えない大勢の運命を握ることになる。
何をもってして覚悟を決めるか。アカリはその判断の軸を探しているのだろう。
でもわたしに聞くのは失敗だと思う。
「何のために生きるのか、わかっている人や、決めている人なんてほとんどいない。生きていて成し遂げたい夢とか目標とか、これ、と具体的に思い描いている人なんて、どれだけいるかしら。それは、あってもいいものだけど、なくてはならないものではないと思うわ」
それは何というか、贅沢なのだ。
料理に一品付け加えるような、絵画の額縁を高いものにするような。
「生き物は生まれたから生きていく。生きているから死なないようにする。その過程で何かを成し遂げたり、何かになったりすることもあるけど、それは生きることの主題じゃない。それはオマケなの。生を彩る横道で、アカリみたいに言うなら、余白を彩るちょっとした逸話にすぎない」
生きていくことに理由はなくてもいいし、欲しければ何か決めてもいい。余白に何を綴るかはいつだって自由なのだ。
「夢を叶えることを一番にする人も世の中にはいるでしょうけど、それは生きることとは本来無関係なことだから、わたしみたいに切り離している人もいる。……そうね、わたしはたぶん、人生に求めているのは、生きていくことだけなのよ。だからなんでセルイーラを冒険するのか聞かれても答えはないわ。だって理由はないもの」
きっかけはアカリを手放さないためだったけど、今やそれとは無関係に動いている自分が、一体何を目的としたどんな理由でここまでやってるのか、なんてわたしにもわからない。
別にわからなくてもいいと思ってる。
「アカリは責任と覚悟のバランスで悩んでいるみたいだけど、どうせ人間は抱えたいだけしか抱えられないのよ。やれるだけをやればいいじゃない。それが最大限やるってことでしょう?」
ほら、それなら迷う余地がない。いつだって全力だ。
わたしなりにこう考えるというのを話してみたところ、アカリは何やら考え込んでしまった。
あまりに考え込む時間が長いので、すっかりパンを食べ終えてしまった。もうちょっと何か食べたくなってきた。
「アカリ?」
「え? あ、うん。君の言うとおりだ。いやはや、わたしは未熟者の魔法使いだ」
「何か別のことも考えているわよね?」
「うん。いや、何だろうね。君の話を聞いてて何か思いつきそうだったんだけど……」
うーん、とアカリは腕組みする。
何か話したっけ、と首をかしげるわたしに答えなぞあろうはずもなし。
「とりあえず何か食べに行きましょう。お腹が空いたわ」
「……ま、そうだね。いよいよ明日から旅立ちだし、みんな交えて宴会でもする?」
「いいわね。今からなんとかなるかしら。あ、アカリが言い出したということは、もう予定があるのね?」
アカリはベッドから降りると手を伸ばした。
「ミシュアが用意してるよ。会場までご案内しましょう、お嬢さん」
「ええ。エスコートをお願い、魔法使い様」
わたしはアカリの手をとって席を立った。
それが旅立ち前、最後の日の出来事だった。
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