第22話 補遺

 ここからわたし達はセルイーラ砂漠に横たわる影に深く踏み込んでいくことになるのだが、その前に一つ、紹介しておこうと思う。


 何しろ占い師のカシャーをはじめ、水呼びや狩人三人組など一気に登場人物が増えた。

 カシャーはシュオラーフ関連の登場人物なので、後に説明する機会があるけれど、ユスラ達はちょっと事情が異なる。

 ユスラにモタワ、カルサイ、ラティフは、それぞれ異なる事情、異なる生活を送る、本来はあまり関係のない者達だった。それが三年前にバハルハムスで起きた吸血鬼事件をきっかけに知り合ったのである。


 今回は補遺としてその辺りの事情を紹介しておこうと思う。本筋が気になる人はここを飛ばしても構わないようにしてあるので、気が向いたら目を向けてみてほしい。




## バハルハムスの吸血鬼事件


 今から三年前、バハルハムスに吸血鬼が現れる事件があった。

 吸血鬼の正体はシュオラーフの手先の呪術師だ。正確には、当時からすでにシュオラーフ王族への影響力を強めつつあった呪術師集団「砂漠の影」の者だった。彼らはバハルハムスを落とすための計画の一つとして、手の者を送ったのだ。

 その呪術師がバハルハムス領主を手にかけようとしたまさにその時、水呼びのユスラが現場に現れたそうだ。


「オアシスに毒を流し込んだ不届きものはお前かぁ!」


 ユスラ、大激怒である。理由は言うまでもない。というか全部本人が言ってる。


 ここ数日の間、バハルハムスでは病気が急速に広がっていた。たまたまキャラバンに同行してバハルハムスに来ていたユスラは、これも何かの縁と原因を独自に調べていたのだ。そしてオアシスの地下水源の一つが汚染されていることに気づいた。

 本来ならオアシスには専任の水呼びがいる。ましてやセルイーラ三大都市のバハルハムスなら領主一族に仕える水呼びがいるのだ。そこに関わるのは明らかに場違いなのだが、ユスラはそんな細かいことを気にする性格ではなかった。


 そして事件の真相に辿り着いた。辿り着いてしまった。

 それは時を同じくして真相に気づいた領主と、その命を奪おうとする首謀者のかち合う現場へ踏み込むことを意味していた。


「娘、逃げろ!」

「うるさい、あんたが逃げろ! そんでそっちは逃げんな!」


 呪術師は何も答えず、構えた剣を振るった。

 それは紙の上に筆を滑らせるような動きで風を呼び、遠く離れたユスラの首を引き裂いた。


「かふっ……」

「馬鹿な!? なんてことを」


 水呼びを殺してはならない。それはセルイーラ砂漠に生きる者にとって当然の常識だった。水呼びがオアシスの水源を管理しているから、だけではない。キャラバンの旅路に水や休息地を保証するから、だけでもない。

 水呼びを傷つけた者は呪われるからだ。

 水呼びの血を含んだ水源も、その水を口にした者も皆呪われる。だから砂の民は皆、水呼びが傷つくことを恐れて、どんな些細な傷でも気づけるよう白の衣を纏うことになっていた。


 その水呼びの首が切り裂かれた。たとえ盗賊であってもそんな真似はしないというのに、呪術師はそれをやってしまった。

 地下水源の水が薄く張られた岩場に、華奢な体が倒れ込む。首から溢れた血が白い衣を濡らし、地下水源に溶け込んでいく。

 そしてユスラを斬った呪術師が叫びを上げはじめた。全身の血液が沸騰し、液体という液体が蒸発していくような苦しみに襲われたのだ。しかし死ぬことはない。死ぬことだけはできない。なまじユスラが水呼びとして優秀であったため、より逸話の源流に近い運命が呪いとなって襲い掛かったのだ。

 呪術師は叫びながらその場から逃げ出した。領主は頭を抱えたい気持ちだった。


「とんでもなく面倒なことになったぞ。とにかくこの娘を助け出さねば」


 伝え聞く逸話通りであれば、怪我した水呼びを救うことで呪いは解かれたとされる。もしくはより高位の水呼びに解呪を求めるかだが、それにも莫大な対価が必要になる。たとえ領主に仕える水呼びに頼んでもその法則性は変えられない。

 今はユスラを救うのが最も低コストだと見抜いて、領主は手持ちの回復薬をぶちまけ、本来なら高位の治癒師しか持たぬはずの布を当てがい、傷口の時間を停止させ、急いで城に連れて行った。


 手段を選ばなかったかいもあってユスラは一命を取り留めた。

 しかもその時点で血の呪いも、呪術師がオアシスに流した毒も浄化され、水を飲むことで病も治るようになったのだから、何がどう転ぶかはわからないものだ。

 とはいえ領主は素直に礼を言う気持ちにはなれなかったようで、かなり長々とした説教を行い、ユスラが涙目で足の痺れに耐えられなくなった頃にようやく解放し、お礼の言葉を送ったそうだ。


「素直にお礼だけ送ればいいのに……」

「素直だから説教もしたのだが?」

「けーっ。性格悪っ」

「水源への無断立入とその口の聞き方を許すのが今回の報酬としよう」

「いるかっ、んなもの!」


 さて、これはこれでひと段落なのだが、問題がもう一つあった。

 例の逃げ出した呪術師である。


「水呼びを殺すとは愚かな、穴蔵育ちは常識が無い。……しかし、幸運でしたね。わたしにはあなたを救う術があります」


 シュオラーフに巣食う呪術師集団、砂漠の影の長ビシャラは、手下の失敗を面白がるようにそう言った。

 彼が手にしていたのは、配下の紋章師に作らせた一つの紋章だ。それは昔、不死の軍勢を作る実験で用意した不死部族の紋章、その改良版だ。


「東の帝国では、吸血鬼というものがいるそうです。あれは癒えぬ渇きを血で潤す者たち。渇きと日差しという不利益を飲む代わりに絶大な力を得るとか。あなたにはちょうど良いでしょう。これで己の部族を立ち上げなさい」


 これがバハルハムスの吸血鬼事件の始まりだった。

 呪術師は吸血鬼となり、バハルハムスの夜を駆け回り、眷属という名のしもべを増やしていった。

 古き王の敷いた部族と逸話の魔法に乗っかる形で、ビシャラは吸血鬼を部族として再現することに成功したのだ。


 しかし吸血鬼として三つの夜を過ぎた頃には呪術師の正気は失われた。渇きは続き、血を飲んでも少しの間しか安らぎをもたらすことがない。わずかな時間だけ得られる正気は、むしろその後に続く長く耐え難い渇きの苦しみを一層辛くさせるものだったのだ。五つの夜を超えた頃には、呪術師はもう血を飲むことしか頭にない魔獣のようなものへと変貌していた。


 そして、そこにやってきたのがカルサイとモタワ、それとラティフだった。

 三人はそれぞれ別の用事があった。

 カルサイは占いでバハルハムスに「人から生まれる魔獣が現れる」と聞き向かっているところだった。モタワは商売道具の調達に。ラティフは、二人が便乗したバハルハムス行きのキャラバンの護衛だった。


 三人は吸血鬼の話を聞いて、協力して狩りをすることになった。

 カルサイにとっては元々これが目当てだし、狩人が狩りをするならその武器の整備や道具の調達をするのがモタワの務めである。ラティフだけは、気づいてしまったからには無視するのもモヤモヤするというだけの、平たく言えば貧乏くじだったそうだ。しもべが大量に現れたので少しでも戦える者が必要だったのだ。


 狩人達は領主に事情を話し狩りの許可をもらった。そして異常の内容がはっきりしたことで領主も真相に至った。そこでユスラを呼び出してみれば、彼女は呪った相手の位置がなんとなくわかるという。

 狩人達はユスラの案内で狂い果てた吸血鬼を見つけ出し、その日のうちに襲撃した。


 吸血鬼など見たこともなかった彼らだが、カルサイは人から生まれる魔獣の狩人。よく知られていない奇妙な魔獣と相対することの多い狩人だ。遅れをとることはなかった。

 追い詰められた吸血鬼は、眷属となった動く死体を取り込んで大型の大蛇となって暴れ始めた。地下から石畳を突き破って現れた大蛇は、のたうち回るだけで建物を破壊し、人々を挽きつぶす化け物だった。

 だがそれも失策だった。大型の魔獣であれば今度はラティフの専門だ。彼は砂漠をいくキャラバンを守り、オアシスを襲う魔獣を討伐する魔獣の狩人だった。

 炎を帯びたカルサイの大鉈と、白い光を放つラティフの大弓は、街を壊し暴れ狂う大蛇を見事討ち果たすのだった。


「ありがとう。まさかわたしのせいでこんなことになるなんて……」

「気にする必要はない、水呼び。渇きの果てに狂い死ぬはずだった呪術師を、異なる運命に導いた者がいる。これは、俺の狩りだ」


 カルサイは吸血鬼と共に崩れた紋章のかけらを手に、背後にいる者が砂漠の影という呪術師集団であることを説明した。領主もシュオラーフの背後には彼らがいることを知っていたのでその件はあっさり肯定された。


「どうあれ、バハルハムスはまた一つ危機を乗り切った。感謝する」


 こうしてバハルハムスの吸血鬼事件は幕を閉じたのだった。


 彼らはわたしと出会うことで、再び砂漠の影と対峙することになる。

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