第28話:君は、わたしだけの杖だから


「ううっ、汗ばんだ後にこれはこたえる」


 11月も今日で終わり。

 冷たい風が校庭を吹き抜けていく。


 体育の授業後、わたしはジャージを持ってこなかった事を後悔していた。

 まだあったかいとはいえ、季節の移り変わりをなめていた。


 少し寒さをこらえながら、六島さんと道具を片付けていると──

「八巻、六島。ちょっといいか」

 体育の笠岡かさおか先生に呼びかけられた。


 先生に招かれるまま体育館の一角にある教官室に入り、わたしと六島さんは笠岡先生と対面して座る。


「で、改まってどうしたんですか?」

「いや、実はな……お前、ソフトボールをもう一度やる気はないか」


 少し、息を飲んだ。


 あの懐かしい響き。

 だけど今のわたしには、遠い世界の言葉のように感じる……


「すいません。さっき授業で見ていたと思いますが、今のわたしはもうまともに走ったり投げたり出来ないんです……それに、文芸部でやらないといけないことがありますし」


 授業では、まさにソフトボールをやっていた。

 わたしの結果はさんざん。


 経験者ということでピッチャーをやらされた。

 形にはなっていたがボールは山なりにしか投げられないし、あまりにも遅くて途中で虫が止まっていたように見えた。


 打撃は、形だけでまともに当たらない。

 走っても、他の子よりだいぶ遅い……


「もったいないなぁ。中学時代の活躍、俺はちゃんと知ってるぞ」


 残念そうに言うけど、先生が見ているのは過去でしかない。

 現在のわたしでは、足手まといにしかならないだろう。


「あまり大きな声では言えないが、文芸部はほぼ確実に廃止の方向で動いてる。お前が無駄に終わるのは見てられないんだ」


 職員会議全体の総意だと七日市先生が言っていた。

 あらためて言われると……胸が痛む。


「六島もどうだろう。ソフトでもいいし、男子野球部のマネージャーやってくれたら、士気が上がると思うのだが」


 一度だけ、静かに首を振った。

 彼女もまた、あそこに居場所を求めている。


 神代君に、かもしれないけど。



「いつでも言って来なさい」

「ありがとうございます。でもまだわたし達は諦めていませんから」


 礼をして、教官室を出た。



 ◇◇◇



〈合唱部の部長にも誘われてる〉


 昼休み、屋上にて。

 六島さんがお気持ちノートで教えてくれた。


「そうなんだ。で、どうするの?」


〈まだぜんぜん終わってない〉


 うん、そうだよね。

 わたし達はまだ終わっていない。



 ◇◇◇



 放課後、アレがどうしても必要で、すぐに購買へ向かう。


 しばらくの間六島さんに禁止されていたから、禁断症状が出やすい。

 早く、アレが飲みたい。


 購買は店員の冷水衛れいすいまもるさん以外誰もいなかった。

 いつもはクラブ活動の生徒でいっぱいなのに。


「と、とりあえずいつものをください……」


 蒜山酪農カフェオレ180mlパックがいつのまにかカウンターに置かれてあった。


 百五十二円ちょうどをカウンターに置く。

 すぐにストローをパックに刺し、思いっきりチューチューする。


 ああ、命助かる……。

 気分が空へ駆け上がる……。


 ビンゾコ眼鏡をクイッとなおし、店員の衛さんが話しかけてきた。


「君、文芸部が大変なことになっているな」

「え、はい……」


「先生方がよく買い物に来るせいで、いろいろ噂が入ってくるのだが」


 衛さんは硬貨を指でくるくる回す。

 いつもの穏やかな口調だが、声色に妙な重さがあった。


「どうやら結果を出さない部は整理される事に決まったようだ。文芸部は最初に名前があがっているらしい」


「え……」


 折角蒜山酪農カフェオレで天に昇っていた気分が、一気に現実に引き戻される。

 ぐらりと世界が揺れた気がした。


 先生全員が敵になるかもしれない……?

 そんなこと、考えたくもなかった。


 衛さんは硬貨を6枚、カウンターの上に転がす。

 だけどそのうち1枚が、カウンターから転げ落ちた。


「おおっと」


 衛さんはケロッとしていた。

 所詮は他人事……


「他人事、という訳でもないぞ。なんせ来年には愛おしのマイシスターが……」


 考えを読まれた? いや、まさかね。

 それより来年ってどういう事だろう。


「いやいや、今のは忘れてくれ。君は列車に乗っているようなもので、窓から見える景色は変化しても、終着駅は変わらない」


 落ちたはずの硬貨を衛さんは手に持っていた。

 いつの間に?


「今まで通り一つ一つやっていくしかないだろう。一応占いの結果だ」


 いや、さっき今硬貨落ちましたよね……


「私の占いは当たる」


 うさん臭い……けど、ちょっと救われる気がする。

 そうだ、ついでに聞いてみよう。


「ねぇ、衛さん。うちの部長が『誰かの残した部誌』を探してるんだけど見つからないんだけど、場所が分かったりしない?」


 衛さんはじーっと私の顔を見る。

 まるで異世界転生モノの"ステータス画面"をチェックされているような、不思議な視線。


「フフ。その部長も同じこと聞いてきたよ」

 ビンゾコ眼鏡の向こうにある目が細くなった。


「時が来れば必ずわかる。でもそれはまだ来ない」

 まるで物語の中の預言者みたいなセリフだ。


「今は日々起こる問題に対処することだ。では勇者よ、行くがよい!」



 ハッ!


 いつの間にか、わたしは騒がしさの中にいた。

 周りにお客さんがたくさんいる……


 衛さんは接客で忙しそうで、わたしはカウンター横で立ち尽くしていた。

 

 あれ、これはなんだろう。

 白日夢を見ていたんだろうか。


 ……まあ、いいか。


「それじゃあ、もう行きます」


 軽く礼をしてその場を去る。

 さっきのは本当に現実だったんだろうか……



 ◇◇◇



「ああ、八巻さん」


 購買を出ると、神代君が窓の近くで壁にもたれかかっていた。


 わたしが部室へ向かって歩き始めると、なんとなく彼もついてきた。

 蒜山ジャージー牛乳カフェオレをチューチューしながら、そのまま一緒に歩く。


 探し物について話してみたかったが、気が引けた。

 その代わりに思いついた事を、聞いてみた。


「神代君さあ、六島さんと帰る時、どんなことをしてるの?」

「最近読んだ本を話題にする事が多いかな」


「寄り道するの?」

「昨日はHENSAYAで一緒にコーヒーを飲んだ。一昨日は本屋で新刊を漁ったな」


 なんだ、わたしと一緒に帰る時と、だいたい同じじゃないか。

 ……誰にでも優しいのか、君は。


 ほんの少し、胸がモヤモヤする。


 作品を読んで、考えを明らかにし、小説家にアドバイスする。

 それが担当編集の仕事なのに。


 モヤモヤの正体が何なのか、上手く言語化出来ない。


 わたしと神代って、何なんだろう。

 相棒って、何なんだろう。


 ……


 あれ、そういえば彼はどうして売店の外にいたんだろう。

 まるでわたしを待っていたような……。


 渡り廊下で彼はぽつりと言った。

「一緒に帰るのはダメだけど、一緒に行くのは止められてない」

 

 やっぱりそうだったんだ。

 胸のモヤモヤがすっと消え、代わりにふわっと温かくなった。


「それに、杖がないと不安だろ?」


 ──憎いこと言うじゃん、ダンゴムシのくせに。

 フフフッと、つい笑みが漏れる。


「何かおかしいか?」

「ううん、何も」


 階段を、並んで登る。

 踊り場の直前でつまづいたふりをして、ピョンと彼の所へジャンプした。

 そして、肩につかまる。


「うわっ、びっくりした。でも助かっただろ?」

「うん。君はわたしだけの杖だからね」




 部室のドアを開ける。そのノブは少しだけ軽かった。

 一緒に、一歩前へ。





次回予告:『その文豪、特級呪物につき』

神代はとある骨董品を見つけて部室に持ってくる。

それで書くと文章が「上手くなる」らしいのだが……。


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