部誌第7号「その文豪、特級呪物につき」
第29話:その文豪、特級呪物につき
カタカタカタカタ……
部室の扉を開けた瞬間、普段とは違う"音"が響いてきた。
──神代君が黙々と何かを打ち込んでいた。
しかも、使っていたのはいつものタブレットPCではなく、なんだかゴツい機械。
古めかしいグレーのボディにやや控えめな『文豪』という文字。
「それ、なに?」
「まずは僕が書いていることに突っ込んで欲しい」
まぁ、たしかにそうだ。
神代君が集中して書いてるなんて、明日は雪でも降るかもしれない。
──ちなみに私は、人生で3回しか雪を見たことがない。
大都会県って、南部は雪が降らないんだよね。
「これはPCではなくて『ワープロ』。『文豪』って言う機種なんだ。ばあちゃん家の荷物整理で見つけたんだけど、じいちゃんの遺品らしいんだ」
ワープロ、正式名称ワードプロセッサー。
名前だけは聞いたことがある。
今は使わないけど、昔はそれで文章を作ってたって、おとーさんから聞いた。
「まず『文豪』という機種名がいい。これを使うだけで文豪の気分になれる」
「大げさな名前だけど、それを使うと文豪になれるの? ささいな事に思えるけど」
「細かいことで書けたり書けなかったりするのが作家なんだ。バカにできないぞ」
「ふーん……」
「それに、このキーボードは良く出来てる。キーを叩く感触がとても良いんだ。スッと入るけどコシがあるというか……」
「叩く感触に意味はあるの?」
「うん、ある。最近のぺこぺこした安物キーボードじゃ書く気は一瞬でなえるから。執筆環境を整えるのも大事なんだ」
キーボードの打ち心地なんて、わたしは気にならないけどなぁ。
良い文章が書けるのなら、絶対こだわるけど。
「これと型は違うけど、安部公房が『文豪』を使っていたんだ」
「えっマジ? 本物の文豪じゃん」
「それどころか、開発にも関わっていた……って、ペディアに載ってた」
『箱男』は最近映画にもなってたな。
わたしは興味が湧いてきて、神代君の隣に座った。
やり取りをしている間も、彼はずっとキーを打ち続けている。
「じいちゃんがまだ生きている時、これを使うと文章が『上手くなる』って言ってたし、とりあえず試しているんだ」
カタカタ……ピタッ。
「これで1万5千字の作品が出来た。……けど」
古い液晶画面には、入力が遅れて表示されていく。まるでAIチャットの返答みたいな。
「わかっていたけど、やっぱり遅いなぁ……」
けれど、表示されていく文章を見て私は違和感を覚えた。
「ねえ、それって本当に君が入力したの?」
──二人で顔を近づけて、液晶をのぞきこむ。
◇ ◆ ◇ ◆
そいつは、軒下で濡れながら座り込んでいた。
「何をやってるんだ」
「雨に、打たれてるだけだ」
「全く、こんなに濡れやがって。早く家に入れ。俺が風呂に入れてやる」
「……」
「嫌か?」
「風呂に入れられるだけなら」
「入れられてもいいと言ったが、お前といっしょに入るとは言ってない!」
「俺が風呂に入れてやる、と言っただろう?」
「言っている事が無茶苦茶だ」
「有言実行だ。それに、こんなに濡れているじゃないか」
◇ ◆ ◇ ◆
「これ、BLじゃない!?」
「そんな……あり得ない……」
恐怖なのだろうか。寒いはずなのに汗が流れ、眉毛がぴくぴくする。
彼は立ち上がり、一歩二歩と後ろへ歩く。
「ともかく誤解だ! 僕はこんなの打った覚えはない……」
そう言うと、そのまま固まってしまった。
「こんな時代だし、別にそれを君が書いてもいいと思うけど」
その間に、ワープロは変換の表示が終わったようなので、ざっと読んでみた。
矢印キーの操作は今のPCと同じだから、少しホッとする。
「ふーむ。"普通じゃない"関係で主人公は悩むけど、やがて受け入れて──うわ、その後こうなるのか……かなり濃厚だ……」
わたしは多様化時代の編集者だから、BL、GL、TL、TS、DS……なんだってウェルカム。あ、なんか最後違ってたかも。
でもこれは描写が濃くて正直引く。
「編集長として、これは部誌に載せられないわ」
「消すぅぅぅぅーーーー!!!」
わたしの宣言でフリーズが解除された神代君は、大きな声で叫ぶ。
そして、ワープロへ向かって手を伸ばしてくる。
「黒歴史が生まれる前に消す。部誌に載せるなら絶対消す」
「だから載せないって。ほら、落ち着いてよ」
伸びてくる手をミニハリセンでペシペシして、ワープロを守る。
だんだん頭が冷えたのか、神代君の手は伸びてこなくなった。
「とりあえず、保存してから消したら?」
どんな文章でも書いたら残しておいた方がいいって、何かの本で読んだ気がする。
後から分析したり参考にしたり。その時感じたことは後から創作の役に立つって。
「これ、USBポートもSDカードスロットもないけど……どうやってデータ移すの?」
電話線をつなぐ口はあったけど。
「さすがに昭和の機種だから、そういうのは付いてない」
「ならとりあえず、君のおばあさんに聞いてみたらいいんじゃない?」
神代君はスマホで彼の祖母に電話する。
「あ、おばあちゃん? ちょっと教えて欲しいんだけど……」
……ちょっと、ワープロに興味が出てきた。
少しくらいなら触っても大丈夫だよね?
そーっと手を伸ばし、ワープロのキーボードを触ってみる。
カタ、カタ。思ったよりいい音がした。
キーを押した感じも確かに気持ちがいい。
ちょっと何か打ってみよう。
『やまきは、はりせんでかみしろのあたまをはりたおした』
変換キーをポチッと押した。
超スローなペースで、変換された文章が液晶画面に表示されて……
「な、なにこれ……?」
次回予告:『我が部のBL作家様は神棚に』
ワープロで変換されて出てきた文章は、八巻の想像を超える内容だった。
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