第12話

◆仏教思想と転生世界の関係


「仏教には“輪廻転生”という考え方があります。人の魂は一度きりの命ではなく、何度も生まれ変わり、死と再生を繰り返すという思想です。そしてその魂が生まれ変わる先は、“六道”と呼ばれる六つの世界のいずれかだとされているのです」


そう語るのは、仏教思想を専門とする井ノ上義真教授。


「六道のうち“天道”と“地獄道”は、他宗教における“天国”と“地獄”の概念にも通じる、比較的わかりやすい領域です。しかし、残る四つ――“人間道”“修羅道”“畜生道”“餓鬼道”は、どこかこの現世に重なるような印象を受けませんか?」


確かに、“天国”や“地獄”は天上や地底といった別次元を想像させるが、その他の道は地上のどこかに存在していてもおかしくないように思える。


「“人間道”は、人間として再び生まれ直し人生をやり直す道。“修羅道”は争いの絶えぬ戦乱の世界。“畜生道”は動物としての生。“餓鬼道”は飢えと渇きに苦しむ世界。こうして見ていくと、異世界転生作品に登場する様々な世界観と重なる部分が多いことに気づくはずです」


たとえば、獣耳や尻尾を持つ“獣人”キャラクターは、畜生道をポップに描いたものと言えるかもしれない。スライムに転生する作品などは、もはや“畜生”よりさらに下の存在と見ることもできる。


「“ゴブリンに転生する物語”なんて出てきたら、それは“餓鬼道”を現代風にアレンジしたものと言えるかもしれません。案外、そういうテーマの作品が出てきたら人気になるかもしれませんね」


教授はそう冗談交じりに語った。


異世界とは、天国でも地獄でもない。

もしかすると私たちの魂が巡る“六道すべて”が舞台となった――輪廻の縮図なのかもしれない。




文・構成:山田ソウタ(ライター/文化誌「リレキ」編集部)

撮影:斉藤明里




*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   




第12話 乗馬と塩焼き


 荷馬車が、ぴたりと止まった。


 目が覚めたのはその瞬間だった。


 空はまだ青くもなっていない。夜の名残が世界を包んでいるが、じわじわと輪郭が浮かびはじめていた。あまり眠れなかった。緊張もあるし、身体が慣れていないのもある。


 寝返りを打とうとして、ふと気配に気づいた。


 シャムが音もなく荷台を降りる。


 代わりに、御者台にいた少女が無言で荷台へ乗り込んできた。長い髪をひとまとめにして、しなやかに動く。手早くマントを脱ぐと、シャムと同じような服に着替え、そのまま毛布に包まって眠りに入った。


 見れば、彼女にも猫耳がある。


「それ、ミケ。妹。エスペラント、できない」

 シャムが運転席から声をかけてくる。


 そのまま、短く命じた。


「寝てろ。あと二時間」


 再び毛布をかぶる。だが、まぶたはなかなか落ちてこなかった。


 


 次に目を覚ましたときには、ほんのりと空が明るくなり始めていた。


 再び荷馬車が止まり、俺たちは静かに起こされた。


 荷台の外に出ると、そこは小さな農村だった。家々は低く、石造りの塀の間を鶏や子どもが駆けていく。朝の匂いが空気に混じり、遠くで牛の鳴き声がした。


「フード、被れ」


 シャムが短く指示を出す。俺とリラは手渡されたマントのフードをかぶる。


「ここから、馬。乗れる?」


「鞍があれば、なんとか……」

 俺が答えると、リラも少し緊張した声で続ける。


「私も……走ったりしなければ、大丈夫です」


 村の反対側、木柵で囲まれた厩(うまや)へと移動する。


 シャムはそこで、厩の主人と何かを話しはじめた。


 ――猫の鳴き声。


 どう聞いても、俺の耳にはそうとしか聞こえない。


 だが、相手――巨大な体格をした、牛の獣人の男もまた、ゆったりとした低音の“モォォ……”という声で応じる。


 会話になっているのか? 本当に?


 俺とリラは思わず顔を見合わせた。


 やがて、シャムが馬を四頭連れて戻ってきた。荷台の荷物を手際よく移し替えながら、馬たちに猫語で話しかける。ミケも加わり、馬の首筋を撫でながら穏やかに声をかけている。


 不思議なことに、馬たちが小さく鼻を鳴らして応じていた。


 まるで、意味が通じているかのように。


「……動物とも話せるのか……?」

 思わずつぶやくと、リラが肩をすくめた。


「いいなぁ。わたし、動物とお話するのが小さいころの夢だった」


 シャムが鞍をきっちりと締めて、俺たちに目を向けた。


「乗ってみろ」


 リラが先に一歩前へ出て、馬の首筋をそっと撫でた。


「よろしくね」


 囁くように声をかけると、馬は鼻先でリラの手を軽く押すように反応する。


 リラは軽やかに鞍へと腰を乗せた。


 それに続いて俺も馬の前に立ち、ちょっと緊張しながらたてがみに触れる。


 馬は一つ、鼻を鳴らしてみせた。


「お……おう、よろしく」


 それだけのやりとりなのに、ほんの少しだけ、心が通じた気がした。





 西へ向かって少し進むと、地形がゆるやかに下りはじめ、その先に川の流れが見えてきた。朝の光を受けてきらきらと反射する水面は、まるで一筋の銀の帯のように地平を切り裂いていた。


 その川沿いに、馬を南へと進めていく。風が柔らかくなり、川辺の草がさわさわと揺れる音が耳に心地よく届く。


 やがて、視界の開けた草原に出たところで、シャムが手を挙げて合図を送る。


「ここ、走る。練習」


 シャムが馬の脚を速めると、後ろに続く俺たちの馬も脚を速める。

 段々とスピードを上げていく。無意識に馬の背にしがみ付くように体勢が低くなる。

 馬が“走る”速度になると、それはもう、走るというより、飛んでいるような感覚だった。

 地平線に向かって吸い込まれていくような感覚。

 

 何回か平坦な道で馬を走らせたころには、馬も俺たちも、すこし汗ばんでいた。





 昼近く、川辺の木陰で休憩をとることになった。


「焚火、作れ」


 シャムがそう言って、ミケと一緒に服を脱ぎ、ためらいもなく川へと入っていく。


 その無造作な動きに、俺もリラも目を逸らした。


「……よし、枝探しに行こう」


「う、うん……」


 少し離れた場所で、乾いた枝を集める。程よく乾いた小枝を選び、火が育ちやすいように組むと、俺はこっそり手をかざし、指先に意識を集中させた。


 最小限の火力で三回ほど指を鳴らすと火がついた。


「よし……」



 ほどなくしてシャムとミケが川から戻ってきた。濡れた髪を軽く拭きながら、二人とも手に魚を抱えていた。串に刺された川魚が十本近く――キラリと光る銀の鱗。たぶん、ニジマスだ。


 ……二人は服をまだ着ていないので、目のやり場に困る。


 シャムがこちらに気づいてにこりともせず言う。


「火、いい感じ」


 さっと服を着て、魚を焚火の周りに並べはじめる。塩だけの素朴な味付けだったが、焚火の香りと魚の脂の匂いが、空腹を刺激した。


 じりじりと炙られた魚の皮がぱりっと音を立てる。


「美味しそう……」


「うん、これ絶対美味いやつ」


 串ごと手に取り、熱をふっと冷ましてから一口かじる。


 香ばしさと塩気が口いっぱいに広がった。予想以上に美味い。


 食事を取りながら、少し真面目な話を切り出す。


「シャム……その、首領の暗殺ってさ……計画とか、準備ってどこまで進んでるの?」


 シャムは無言で魚をもう一口食べ、淡々と答える。


「計画、ない。私が頼んでる。……だけ」


「えっ、俺たちに丸投げ……?」


「協力者、いる。狼族の族長。首領キライ。戦争反対。協力、するはず」


 思わずため息が漏れた。


「暗殺じゃなくてさ……クーデターって方向性にはならないの? 獣人、皆、戦争反対なんでしょ?」


 シャムは静かに首を振る。


「皆、戦争反対。でも、半分以上、戦争――信じてない」


「信じてない?」とリラが問い返すと、シャムは少しだけ目を伏せてから、続けた。


「一般人、攘道党、知らない。ただの獣人国家、思ってる。平和」


 ――爆弾テロ、拉致事件。


 セントリア側から見れば、もう立派な戦争行為だ。宣戦布告と捉えられてもおかしくない。


「セントリア次第で、もう戦争状態でもおかしくないよね」

 リラがぽつりとつぶやいた。


 その言葉が、不意に胸の奥に冷たいものを落とした。


 ――俺たち、人質としての価値……あるんだろうか?

 セントリアが俺たちを見捨てて、全面戦争に入る可能性。

 でも、ユーノさんがそんな危険な場所に俺たちを送り出すだろうか?

 リーさんと沖田さんが追ってきてくれてるはず……それは信じてる。


 だけど……。


「なあリラ……ちょっと嫌な予感がしてきた」

 小声で、日本語に切り替える。


「うん。私も……。戦争になる前に、セントリアが武力制圧に動くシナリオ……」


「俺が思いついたのは、俺たちの救出が開戦の合図になるんじゃ……って」


 しばらく沈黙が流れる。


 俺たちは焚火の炎を見つめながら、静かに顔を見合わせた。


 「……どうしよう」

 「……どうしよう」


 風が吹き、焚火の火がわずかに揺れた。

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