第11話

◆異世界語とはどんな言語か?


「“異世界に独自の言語があったら?”という問いに対し、私たちはつい現実の言語の延長で考えがちです。けれど、その前提自体が危ういかもしれません」


そう語るのは、異文化言語学の第一人者である佐藤慎吾(さとう・しんご)教授。


「興味深い例があります。たとえば“虹の色”を挙げましょう。日本では虹と聞けば7色を思い浮かべるのが普通ですね。でも、これは決して世界共通の認識ではありません。アメリカやイギリスでは6色、ドイツや中国では5色、ロシアでは4色、そして南アジアの一部の部族では“2色”にしか見えていないとされるんです」


これは、決して目の構造の違いによるものではない。


「色をいくつに“切り分けるか”という判断は、生理的な感覚ではなく文化的な枠組みによって決まります。言い換えれば、言葉の背後にはその文化が世界をどう見ているか――その“視点”が隠れている。虹の色でさえ異なるように、数の概念、時間の捉え方、空間の区切り方も、異世界ではまったく違う可能性があるのです」


では、もしその世界の言語を習得したら、私たちの世界の見え方も変わるのだろうか?


「面白いことに、複数言語を話す人のなかには“話す言語によって性格が変わる”と語る人も多いんです。実際、ある言語では“自分”を主語にしやすく、ある言語では“相手”を中心に表現するなど、言語の構造が思考パターンに影響を与えることは間違いない。言語は単なる記号の集合ではなく、“世界の感じ方の型”でもあるんです」


異世界語を学ぶとは、その世界の文化や価値観――つまり彼らの“生き方”に触れることに他ならない。


「新しい言語で考えるというのは、新しい目で世界を見るということ。そして、世界が違って見えるということは――新しい人生を生きるということでもあるのです」


――もしあなたが異世界の言語を話すようになったとしたら、その瞬間から、あなたはもう“かつてのあなた”ではなくなっているのかもしれない。


 


文・構成:山田ソウタ(ライター/文化誌「リレキ」編集部)

撮影:斉藤明里




*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   




第11話 猫と片言


 荷馬車は新月の闇の中、西へ向かっていた。

 宿場町から離れ、整備された道を外れて、舗装のないあぜ道に入る。

 辺りは畑と林が交互に広がり、夜風が草の香りを運んでくる。

 馬の蹄がぬかるんだ土を踏みしめ、車輪が轍に沿って揺れ、荷台に木の軋む音が響いていた。


 窓のない荷台の中には、重たい沈黙が流れていた。

 俺とリラは向かい合うように座りながら、覆面姿の攘道党の女を警戒するように意識していた。

 何を話すべきか分からないまま、互いに視線を合わせようとしない。

 これから先がどうなるのか分からない――その不安と緊張が、喉の奥に張りついていた。



 やがて、町の灯が完全に背後に消えた頃。

 荷台の隅にじっと座っていた女が、ふいに動いた。

 無言のまま覆面に手をかけ、顔をあらわにする。


 少女のような顔立ち。だが、目つきは鋭く、幼さはほとんど感じられなかった。

 栗色の髪の間から、ぴんと立った猫耳が覗き、腰ではしっぽが静かに揺れている。

 この世界の“原住民”――獣人。授業で聞いた特徴そのままだ。

 だが、実物を目にするのは、俺もリラもこれが初めてだった。


 彼女は俺たちの視線をものともせず、淡々と衣服に手をかけ、荷台の隅で素早く着替えを始めた。

 その動きには一切のためらいがなく、無駄もなかった。

 逆に、それがこちらの動揺を誘った。


 俺が思わず尻尾の動きに目を奪われていると――


「……見すぎ」

 低い声とともに、脇腹にリラの肘がめり込んだ。


 俺は慌てて目をそらし、肩をすくめる。


「あ、ごめん……」


 女は涼しい顔のまま着替えを終え、まっすぐこちらを見据えた。

 その目は鋭く、何かを試すように光っていた。


「名は、シャム。通訳……してた。エスペラント、話す」

 発音はやや片言ながら、選ぶ言葉には無駄がない。

 舌足らずではなく、構文を意図的に簡潔にしているようにすら思えた。


「エスペラントは、どこで?」

 リラが声を抑えて尋ねる。


「十年前。セントリア。住んでた。子どもだった。拾われた。攘道党に」

 言葉は短いが、内容は重かった。


「拾われたって、親は?」

 俺の問いに、彼女はほんの少しだけ間を置いてから答える。


「死んだ。病気。金と飯、なかった」


 リラが少し表情を曇らせる。

 俺も口を挟めなかった。適切な言葉が出てこなかった。


「それで……攘道党が助けてくれた?」

 リラがそっと補うように聞く。


「そう。飯くれた。名前も。シャムは、そこでつけた」

 猫耳がぴくりと揺れた。どこか、誇りのような感情を感じた。


「わたし、勉強好きだった。読み書き、教えてもらった。言葉、得意だった。だから、通訳になった」


「獣人語とエスペラントの通訳?」

 俺が訊くと、彼女は頷く。


「最初は、商隊から略奪した品、獣人の村で取引」

 

 訳アリの品を足が付きづらい原住民の村で金や食料に代えてた訳か。


「村と仲良くなった後、用心棒、畑仕事。不作の年だけ、略奪」


 想像していた“テロ組織”のイメージとは違っていた。

 彼女の言葉からは、少なくとも当初の攘道党には秩序と意志があったことが伝わってくる。


「でも、変わった。三年前。転生者。男。獣人の村で拾われた。怪我してた。おかしら、すぐに首領の座、渡した」


「その人が今の首領?」

 リラが声を下げて訊く。


「そう。彼、全部、変えた。にんげん嫌いの獣人、仲間にした。にんげん好きの獣人の村、焼いた。奪って、殺した」


 その口調は変わらず冷静だったが、目だけが怒りを帯びていた。


「今、攘道党は村じゃない。街くらいある。兵も武器もある。訓練もしてる。――戦争、準備してる」


 リラが息を呑む。俺も、無意識に背筋を伸ばしていた。


「目的は?」

「首領、獣人の国、作った。次はセントリア、奪う」


 彼女は言葉を区切りながらも、ひとつひとつを慎重に選んでいる。

 感情を抑えつつ、事実だけを伝えるように。


「無謀だと思うけど……」

 セントリアの軍事力や、この世界の戦争のことは良く知らないけれど、円卓のメンバーを相手に戦争を仕掛けて勝つというのはあまりにも無謀が過ぎると思った。


「私も、そう思う。獣人、皆、思ってる。にんげん、怖い。けど、首領、もっと怖い」


 シャムの目に怯えが見える。


「獣人、国できた。満足。戦争、嫌」


 その目が、俺たちに向く。


「あなた達、きた。好機。……だから、お願い。首領、殺して。――首領の首、セントリアに渡す。代わりに、自治権。交渉できる」


 その言葉には、叫びも懇願もなかった。

 ただ、静かで、凛としていた。

 命を賭けた判断を下す者の、理性的な声だった。


 リラが何も言わずに、ただシャムを見つめていた。

 俺も、同じだった。言葉を探しても、見つからない。


 これは取引ではない。

 ――告発であり、祈りであり、革命の火種だった。


 荷馬車はなおも軋んだ音を立てながら、夜の野を進んでいく。

 月のない空に、星が静かに瞬いていた。



 話し終えると、シャムは立ち上がり、荷台の片隅に置いてあった布の包みから何かを取り出した。

 フード付きのマントと、折りたたまれた毛布だった。


「これ、使って。夜は冷える」

 短くそう言って、彼女は俺とリラにそれぞれ手渡した。


 そしてそれ以上何も言わず、再び荷台の隅に腰を下ろすと、毛布を肩まで引き上げて丸くなった。

 獣人らしいしなやかな身のこなし。まるで夜の森に溶け込む動物のように、彼女はあっという間に動きを止めた。

 やがて、小さく規則正しい寝息が静かな闇に溶けていった。


 ――眠ったらしい。


 俺は手元のマントを握りしめたまま、重たい吐息をひとつついた。

 リラも隣で同じように毛布を膝に置いたまま、黙っていた。


 荷台の中には、夜風の音と、時折遠くで鳴く虫の声だけが響いている。


「……どうする?」


 リラがぽつりと呟いた。

 その声には不安だけでなく、慎重な迷いがにじんでいた。


 俺はしばらく返事を迷い、それからゆっくり口を開いた。


「正直……まだ、分からない。情報が足りなさすぎる」


「だよね……」


 リラは肩をすくめ、小さくため息をつく。

 ランプもない薄暗い荷台の中で、彼女の横顔がわずかに揺れた馬車の動きに合わせて静かに陰って見えた。


「警備がどのくらい厳しいのかも分からないし、そもそも向こうで私たちがどう扱われるのかも……」


「セントリアから拉致された人たちが今どこにいるのか、その人たちがどうされてるのかも……」


 俺たちは次々と疑問を口にするが、それに対する答えは何一つないままだった。

 シャムの語った話は衝撃的だったが、それでもこの攘道党という組織の全体像は、まだ霧の中にある。


「シャムの気持ちは分かるんだ。あんな状況にあって、信じられるのは同胞だけっていうのも……」


「うん。戦争を望まない獣人たちがいるのも事実だよね。そういう人たちを守るために、っていうのも……理解はできる」


 リラの目が、ほんの少しだけ伏せられる。

 俺たちの中にある共通の戸惑いが、沈黙のなかにゆっくりと沈んでいくようだった。


「ハルトは……暗殺、賛成?」


 言葉を選ぶように、リラが慎重に尋ねてきた。

 俺は少し考え、それから首を横に振った。


「……“殺す”っていうのは、やっぱり俺には簡単に割り切れない。正当防衛ならまだ……って思うけど、積極的に命を奪うっていうのは、たぶん無理だ」


「うん……そう思う。私も」


 再び、重たい沈黙。

 だが、その静けさは絶望ではなかった。ただ、慎重であろうとする、二人の間の共通認識だった。


「拉致って手段もあるけど……それだって、すごく準備が要るよね」


「うん。移動手段、警備の隙、内部の地理、退路の確保……。今回の“拉致”体験で、身に沁みたよ」


 俺がそう苦笑すると、リラもかすかに笑った。

 気の抜けた笑いだったけど、それでも少しだけ、心の緊張が緩んだ気がした。


「暗殺計画の準備とか……してるのかな……」


「明日、起きたらシャムちゃんに聞いてみよっか」


 リラがそう言いながら、マントを肩にかけた。

 俺もマントを羽織り、背中を荷台の板に預ける。ぎし、と木が鳴った。


 夜風がどこからか吹き込み、獣のような草の匂いが混じっていた。


 どこかでフクロウの鳴き声がした。星がひとつ、空で揺れているように見えた。


 ――この先に、どんな運命が待っているのだろう。


 俺たちは毛布にくるまり、言葉少なに目を閉じた。

 それぞれの思いを胸に、眠りの底へと身を沈めていく。




 

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