第4話
城下町の空は、夏の終わりを告げるように、鈍く曇っていた。
だが王宮の中では、季節とは真逆の、きらびやかな祝宴の準備が進んでいる。絹と宝石に彩られた装飾が飾り付けられ、楽団の調律が鳴り響き、厨房では次々と珍しい料理が仕上げられていた。
その祝宴は、国中から年頃の娘たちを集めて催されるという異例のものだった。貴族、商人、農民――身分を問わずに、すべての娘たちに招待状が送られていた。
けれど、その美しき光景の裏側で、王子フィリップは眉をひそめていた。
「……陛下。いまこの国で、少女の行方不明がいくつも起きているのです。民は怯えています。そんな中で、このような宴を開くとは――」
謁見の間で王に進言した王子の声は、静かでありながら確かな怒りを帯びていた。
だが、王――エドガルド三世は、あくまで穏やかな口調で応じた。
「お前の将来の伴侶を探すのだ、フィリップ。王族には王族の務めがある。……民も、久しぶりに明るさを求めているだろう」
「……本当に、そう思っているのですか?」
王子はそれ以上言わず、一礼して退室した。王はその背を黙って見送り、表情からは感情が読み取れなかった。
だがひとりになると、その顔から柔らかさが消える。沈んだ足取りで、王は誰もいない廊下を進んでいく。
◆
扉の奥に広がる、薄闇の間。窓も明かりもないその部屋は、空気すらも凍りついたような静けさに包まれていた。
やがて、天井の梁からふわりと舞い降りたものがある。蝶の羽のようにきらめくそれらは、小さな妖精たち。だがその目は光り、笑みは鋭く、悪戯よりも狩りに近い気配を纏っている。
そして、その中心にあらわれたのは――
美しい女だった。
透き通るような銀髪に、宝石のような瞳。だがその背後からは影のような気配が溢れ、凍てついた威圧が部屋を満たす。
「お久しぶりですね、陛下」
――フェアリー・ゴッドマザー。
妖精たちの長にして、かつてこの国の危機を救った“奇跡”の存在。
王は膝をつき、深く頭を垂れた。
「……命と国を助けていただいた恩は、忘れておりません。だが、あれから……もう十分では――」
「十分? あなたの父は、この契約を“受け入れた”のよ? 命と飢えを救った代わりに、少女たちを。代償は最初から決まっていた」
声は柔らかく、微笑は優しい。しかし、その奥に潜む冷たさは氷より鋭い。
「エラは、どこにいるのかしら?」
王の顔がわずかに強ばる。
「……わかりません。探しておりますが、何の手がかりも」
「もう十七年、我が子のように探しているのよ。部下を全土に放ったのに、見つからない。だから――この国にいると、私は確信しているわ」
その瞳に微かな炎が宿る。
「期限は近い。あの子が“変わる”前に見つけないと。だから娘たちを集めなさい。宴の名目で。一石二鳥じゃない?」
王は黙してうつむく。
「……ただ一つだけ。王子が気に入った娘だけは……救ってやってはくれまいか」
ゴッドマザーは目を細めて笑った。
「もちろん。彼は……とても良い子だものね」
◆
その夜、フィリップは変装をして城を抜け出した。
ときおり彼はこうして、民の様子を自分の目で確かめることを習慣にしていた。
街では少女の行方不明について、ささやき声が絶えない。祭りの準備と裏腹に、人々の顔は暗い。
「お前、あの屋敷の娘が消えたって聞いたか?」
「またかよ……今月、何人目だよ」
フィリップはそんな会話を聞きながら、郊外の村に辿り着く。
ふと目についた、小さな一軒家。白い塗り壁と花壇が印象的な、どこか懐かしい家だった。
誰かの気配があり、王子は何気なく門の前で足を止めた。
その瞬間、地面の石に足を滑らせ、膝を擦りむいてしまう。
「あっ……だ、大丈夫ですか?」
中から出てきたのは、柔らかな栗毛の少女だった。慌てて駆け寄り、ハンカチで血を拭う。
「これ……もしよければ、使ってください。包帯代わりに」
彼女は名を名乗らなかった。だがその仕草も、声も、不思議な温かさがあった。
「君の名前は……?」
「……エラです」
心が揺れた。たったそれだけのやりとりなのに――
胸の奥に、奇妙な余韻が残っていた。
◆
城に戻ったフィリップは、机の上にハンカチをそっと置いた。
香りがかすかに残り、傷跡の感触と共に彼の心に静かに染み込んでいく。
しかし――その夜。
机の影から、音もなく現れた小さな影があった。
ひとつ、ふたつ、三つ。妖精たちが現れ、ハンカチの匂いを嗅ぐ。
彼らは顔を寄せ合い、囁き合った。
「……見つけた」
「あの子の匂い。間違いない」
「エラ……ついに、見つけた」
風がひとつ吹き込む。
そして次の瞬間、空を舞う妖精たちは夜の帳の中をまっすぐに飛び去っていく――
――エラの居場所を、正確に示しながら。
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