第16話
その日の晩餐には、昼間の薄黄色のドレスを纏ったコーネリアがいた。
執事長に言われるまま部屋まで迎えに行き、コーネリアの手を引いて晩餐会場へと向かう。晩餐会場と言っても、ごくまれに客人が来た時に使う食堂で、普段は大広間で騎士たちと同じものを豪快に食べているオードリックにとって、このような応接室のような部屋を使うのは初めてだった。
それだけではない。こうして女性の手を引いてエスコートすることすらも初めてなのだ。実践はなくとも、見よう見まねで何となくそれなりのことをするしかない。
「私、家族以外の方からこうして手を引かれて導いていただくのは初めてなんです。
思った以上に恥ずかしいものなんですね」
うふふと笑う姿が愛らしくて、思わずオードリックの頬も緩む。
「実は、私も女性をこのようにエスコートするのは初めてで、間違っていないか不安なんです」
「まあ。本当ですか? では、オードリック様のエスコート一人目が私なんですね?
とても光栄です。ありがとうございます」
キラキラと眩いくらいの笑みを浮かべて見上げてくるコーネリアが愛おしすぎて、感謝はこちらの方だと言いたいくらいだった。
二人きりの食卓は和やかだった。コーネリアがほぼ話している風ではあるが、嬉しそうに楽しそうに聞いているオードリックがいて、それをあたたかい目で見つめる使用人たちがいて。ここが魔獣に襲われる恐ろしい地であることを忘れさせるくらいに、幸せなひと時だった。
コーネリアはこの辺境の地に来て、まるでそこで生まれ育ったかのように馴染んですごしていた。王都の様に華やかな店もなければ、観劇や茶会、夜会の様な煌びやかなものがあるはずもないのに。
使用人たちともすぐに打ち解け、オードリックとも出来る限り一緒に食事を共にしたり、散歩をしたりするようになった。その行動は、客人とは思えないほどだった。
いつまでいるのだろう? いつまでいてくれるのだろう?
最初は用事がすめばすぐに王都に帰ると思っていた。もの珍しさから二、三日は居てもすぐに飽きてしまうだろうと考えていた。それなのに……。
コーネリアを守りたい一心で、二度と死に戻る前のようなことが起きぬよう、ただそれだけのために彼女と距離を取ろうと思っていたのに。
気が付けば、彼女の方から自分との距離を縮めようとしているように思える。
そんな風に過ごして早くも、二週間近く経った時だった。
この季節は魔獣の出現が少なくなる。それでも全く出なくなるわけではなくて。
領地の外れで家畜が魔獣に襲われたとの一報が入った。
すぐに魔獣討伐隊が組まれると、オードリックを先頭に現地へと向かうことになった。
「オードリック様のご無事を、ここでお待ちしております」
コーネリアの言葉にオードリックもまた、胸に手を当て笑みを浮かべて答えた。
「あなたから貰った刺しゅう入りのハンカチを身に着けています。隊員全員で、無事に帰ると約束します」
心配するコーネリアを励ますつもりで口にした言葉。
お守り、おまじないとはいえ、刺しゅう入りのハンカチに何の意味も持たないことは十分分かっている。
魔獣を相手にするということは、常に死と隣あわせなのだ。
それでも、待っていてくれる人がいると言う。その思いが彼を奮い立たせるのだった。
オードリックが魔獣の討伐に向かって一週間。
彼は討伐に出向く前、コーネリアのことを託して行った。彼女が王都に帰りたいと言えば、残りの騎士を伴い無事に送り届けるようにと。
いつまでもこんな危険な所にいて言い訳が無いのだから。きっと、彼女も初めての魔獣討伐隊を目にし、恐怖を募らせていることだろうからと。
オードリックが魔獣の討伐に向かって五日が過ぎた頃。
無事に帰還の途についたとの一報が入った。残された者達は皆、安堵した。
客人扱いであるコーネリアもそれは同じだった。
「良かった」と、涙ぐみながら静かに喜ぶ姿はすでに、この辺境地の女の姿だった。
戻りが深夜になるからと、皆に休むよう押し切られ部屋に入るコーネリア。
しかし、心配で眠れることなど出来なかった。
夜中になるのか、明け方になるのかもわからない。
帰路についてしまえば後はもう心配は無いのだと言われても、それで納得できるものでもないのだから。
人を待つことがこんなにも心を苦しめ、そして嬉しく思うことを始めて知るのだった。
と、その時だった。遠くで開門の音が微かに聞こえ、馬や馬車の音が聞こえ始めた。
コーネリアは寝台から飛び起きると、カーテンを開き外を見る。そこには多くの騎士を乗せた馬が見えたのだ。
「オードリック様だわ」
コーネリアは寝間着姿の上からショールを羽織り、部屋を飛び出した。うち履きのまま廊下を走り、階段を降りかけると、そこにはオードリックが執事や他の騎士たちと話をしている姿が見えた。
「オードリック様」
その声は清く美しく、館中に響き渡った。
魔獣討伐を常とし、騎士たちのむさくるしかったジョルダーノ家に似つかわしくない声色。その一声は、そこに居合わせた者すべての視線を集めてしまった。
階段の途中で見下ろすように立ち尽くすコーネリアの姿を見ては、思わず目を反らす者。驚きで固まってしまう者。慌てて侍女を呼びにいく者と、さまざまだった。
そして彼女が名を呼んだ男は一瞬驚いたような顔を浮かべていた。
『死に戻る前の情景と同じだ。ここで彼女を刺激してはいけない。そっと部屋まで連れて行こう』
死に戻る前、彼女の寝間着姿を他の騎士や使用人に見られたことに激怒したオードリックは、彼女の腕を掴みその行動を窘めた。いや、叱責と言っていいかもしれない。
それに彼女はショックを受けたのだ。だから、今回は彼女を刺激しないようにしなければ。そう思い、コーネリアの方へと足を踏み出した時。
「オードリック様!!」
彼女の清らかな声が邸内に響き渡ると、彼女は飛んだ。
「と……」
「飛んだ」
「飛んだ、な」
周りがあっけにとられる中、コーネリアは階段の中段付近からオードリックめがけて飛んだのだった。
それなりの高さから飛ぶように舞った彼女の肩から、ショールがひらりと落ちていった。
「コーネリア!!」
オードリックはコーネリアめがけて走り寄り、その身体を見事にキャッチした。
抱きかかえるように難なく受け止めたオードリックは、それでも安堵したように大きく息を吐き、思わずその身体を抱きしめた。
「もしも私が受け止められなかったら、どうするつもりなのか?」
「オードリック様なら、絶対に受け止めて下さると信じておりましたもの。ね?」
うふふ。とほほ笑む彼女に迷いはないようだった。本当に信頼できる相手だからこその行動なのだろう。
「はぁ。まったく、あなたと言う人は。負けました」
「あら。私、オードリック様に勝ってしまいましたの? まあ、どうしましょう」
嬉しそうに笑うコーネリアが可愛らしすぎて、床に下ろすことも忘れ、オードリックは腕の中の彼女を強く抱きしめた。
「オードリックさま……」
とまどう彼女の言葉も聞こえないふりをして。ついでに、驚く周りの視線にも気が付かないふりをして。
このままどこかに攫ってしまおうかと、そんな風に考えていたのに。
「は、早馬でございます!!」
やっと訪れた辺境伯爵の春。皆が幸せな思いで見守っていたというのに。
幸せそうな空気は門番の大きな声で、一瞬にしてかき消されてしまったのだった。
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