第15話


 その日は討伐の予定が無かったことから、ほぼ一日を鍛錬に費やすつもりでいた。

 午前中の鍛錬を始めてしばらくすると、騎士の一部がざわつき始めた。彼らの視線をたどると、そこには日傘をさしたコーネリアの姿があった。

 

「コーネリア」


 思わず剣を置きコーネリアに駆け寄ると、彼女もまた笑みを浮かべてほほ笑んでくれた。


「オードリック様。お言葉に甘えて見学にまいりました」

「ああ。ご令嬢には面白くはないかもしれないが、良かったらいくらでも」


 鍛錬場と言っても邸内の敷地内にあり、危険が無いように柵はしてあるが見学席の様な物はない。オードリックは椅子を持ちだし、そこにコーネリアを座らせた。

「ここなら一目で見渡せます」そう言って騎士達の鍛錬の様子を指さした。

「本当ですね。ここならオードリック様の様子もよく見えると思います」

 嬉しそうに微笑むコーネリは、ワクワクした様子で侍女と話し始めていた。


 オードリックはいつも通りを心掛けるも、やはりコーネリアが見ているとなると柄にもなく緊張してしまい、力んでしまいそうになる。

 鍛錬と言ってもオードリックの相手になる騎士は限られている。

 胸を貸すつもりで何人かの騎士の相手をして見せると、コーネリアがその度に声を上げて喜んでくれていた。

 いつもなら大きな声を上げ、厳しい鍛錬になるのだが、この日ばかりは大人しめにしてある。王都出身の令嬢にはさすがに刺激が強いのではないかとの、オードリックの判断だった。だが、コーネリアは以外にも嫌悪感を表立って見せることも無く、むしろ喜んでいる風にすら見える。

 楽しんでもらえたなら良いのだが。そう思いながら、午前いっぱい鍛錬は続いたのだった。


 昼食をはさんで午後も鍛錬は続く。だが、領主であるオードリックにはやらなければならない執務の仕事も控えている。午後から彼は事務仕事をする段取りになっていた。

 コーネリは邸内の散策をしながら自由に過ごすと言う。自由にといっても危険が伴わないように女性騎士を警護につける。

 令嬢が見ても特段面白いことはないだろうが、それでも退屈をしないように好きに過ごしてもらえればいいと、安心して机に向かうのだった。


 夕刻近く。書類仕事も一段落したオードリックは、コーネリアを探しに邸内を歩いていた。だがその姿を見つけることが出来ずにいたのだった。

 いつもはチョロチョロと周りにいる執事長が、何故かこの日に限っていないのだ。

 他の使用人に聞くのも恥ずかしいと思っていたところ、三階の居住スペースから人の気配を感じた。それも一人、二人ではない。数人?

 三階の奥はオードリックの両親である前伯爵夫妻の部屋があり、今は使っていないはずだった。使用人が掃除でもしているのかと思い通り過ぎようとしたところ、何やら楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくるではないか。

 使用人が悪戯をして笑っている? ここジョルダーノの使用人に限ってそんな者はいないと思っていたのだが。オードリックは足音に気を付けながら静かに近づいて行った。


「まあまあ、よくお似合いですわ、コーネリア様」

「ええ、まったくです。亡き奥様にも似て、本当にお美しい。お似合いでございます」

「そうでしょうか? でも、まだ私には早い気がします」

「そんなことはございませんよ。コーネリア様も後二~三年もすれば、それはそれはお美しくなられるはずでございますもの」

「そうでしょうか?」

「「「もちろんでございます」」」


 体面を気にしているのだろう。開け放たれたドアの向こうから、コーネリアと使用人たちの声がする。

 一人は彼女が連れて来た侍女。残りは執事長にオードリックの乳母でもあった使用人長だろう。他にも気配がするところを見ると、若い使用人の姿もあるようだ。

 午前中に鍛錬場を訪れたコーネリアの手には日傘があった。執事長が話していた通り、あれはオードリックの亡き母の物なのかもしれない。生憎、たとえそれが母親の物であろうとも、女性の持ち物などに一切の興味を持たなかったオードリックにとって、全くと言っていいほど見覚えは無いのだが。

 亡き人を偲ぶには時間が経ちすぎた。明日は我が身かもしれない日常の中で、思い出の中で生きるには辛すぎる。

 たとえそれが誰であろうとも、必要とされ、欲しいと思ってもらえるのなら、使ってやる方が品物も嬉しいはずだ。

 コーネリアが嬉しそうに笑い、喜んで使ってくれるのならそれが一番良い。そう思い、その場を離れようとした時だった。

 コーネリアの無事を確認できた安堵から気が緩み、「ガタン」と音を立ててしまったのだった。


 部屋の中の会話が一瞬で止まり、中からツカツカと足音が聞こえる。

 逃げ……、ようにももう遅い。


「ああ、オードリック様でしたか。このような所でいかがされましたか?」

「い、いや。とくに用事はないのだが」


「オードリック様?!」


 部屋の中からコーネリアの明るい声が聞こえてきた。飛ぶように走って来たのだろう、ドアから姿を現した彼女の手には、黄色のリボンのついた帽子が握られていた。


「もう、お仕事はよろしいのですか? 私、オードリック様にお詫びをしなければならないのです」

「詫びを?」


「ええ。オードリック様の許可も取らずに、お母上様の持ち物を見させていただいていたのです。それに、先ほども日傘をお借りしてお礼もまだでした。他にも少しだけ身に付けさせていただいて……。申し訳ありません」

「コーネリア様。そのような真似はおやめください。これはオードリック様ご自身がお許しになったことでございます。コーネリア様が気にされずともよろしいのですよ。

 ね? オードリック様」


 なぜか執事長に睨まれた気がするが、確かに好きにして良いと言った。


「コーネリア。彼の言う通りだ。私が好きに使っていいと言った。母の物など古い物しかないはずだが、それでも良ければ好きに使ってくれて構わない」

「まあ。古いだなんて、とんでも無い。全て綺麗に保管されていただけでなく、本当に素晴らしいお品ばかりなんですもの。わくわくしながら見させていただいていたんです」


 嬉しそうに話すコーネリアは自然とオードリックの手を引き室内へと導いた。

 そこにはテーブルの上やソファーの上にと、多くの品々が置かれていた。

 洋服掛けには数枚のドレスもかかっていた。色味やデザインからして、若い頃に着ていた物なのだろう。


「ああ、坊ちゃま。コーネリア様がご滞在中のお着替えをと思いましてね。亡き奥様の昔の物でございますが、これなんていかがです? とてもお似合いでございましょう?」


 オードリックの乳母だった使用人長が、洋服掛けから薄黄色のドレスを手に取りコーネリアに合わせて見せた。

 それはまるで、死に戻る前。初めて会った時に王宮舞踏会で着ていたドレスに似ていた。あの時決して派手さは無いが、美しく、そして可憐で強いタンポポのようなコーネリアから目が離せなくなったのだ。

 今もそれは同じで、むしろあの時よりも少しだけでも気心が知れた分、より一層彼女を美しく見せていた。


「お母上様がお若い頃の物だそうです。とても肌触りの良い上質な物なのがわかるお品ですもの。私なんかには勿体ないわ」

「そんなことはない!」

「え?」

「そんなことはありません。とても、とてもよく似合っています」

「そ、そうでしょうか?」

「もしよろしければ、あなたに着てもらった方がきっとこの服も、なにより母も嬉しいはずです。今夜の晩餐の時にでも」

「……、はい。では、お言葉に甘えてお借りいたします」


 薄っすらと頬を染め俯きがちに答えるコーネリアを見つめながら、オードリックは胸が熱くなるのを感じていた。

 そしてそれは、そばで見ていた執事長も使用人長も同じだったようで。乳母でもあった使用人長などは、うっすらと目に涙までためて喜んでいたのだった。



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