おまんじゅう誕生期
Episode.1 必要とされない者たちの物語
この世には二種類の人間がいる。能力のある者と、ない者だ。しかしそれは都市伝説の中にある、単なる作り話に過ぎない。
正しくはこうだ。必要とされる者と、されない者だ。
「ねえ聞いた？」
「何が？」
「隣のクラスの坂下くん。また痣作って来たらしいわよ」
「イジメでしょ？」
「そう噂されてるけど、本当のところ坂下君から喧嘩売ってるって話」
「嘘！ あの陰キャが？」
「なんでも自分は能力者なんだとか言って」
「何それウケる。アニメの見過ぎなんじゃない？」
「能力者なんだったら、やり返してみろっての」
◆
「坂下ー。坂下ー」
教員が呼ぶ声に、返事をする者はいない。いないことが分かり切っているのに、あえて名前を呼ぶ教員も趣味が悪いものだ。
出席確認が終わると、教室内はざわつき始める。噂のターゲットとなっているのは、教卓前にぽっかりと空いた席の主。置き勉はしないタイプなのか、いつも机の中は空っぽだ。それもそうだ、そこにあろうがなかろうが、彼の教科書はいつもトイレの水に浸っているのだから。
「ねえ、また坂下君休み？」
「かれこれ一ヶ月になるよね」
「もう来ないんじゃない？」
「え、まだ新学期始まって二ヶ月なんですけど」
「最初から浮いてたじゃん。ブツブツなんか言ってるし」
「怖かったよね」
「高堂くんたちが退治してくれた、って思ったらいいじゃん」
「聞いたかよ。正義のヒーローだって、俺」
そう言って男は満足そうな笑みを浮かべた。長い前髪を止めるカラフルなピンは、明るい髪の毛をより派手に彩っている。彼の履いているシューズの踵はぺたんこになるほど踏みつけられ、その足は椅子の上に乗せられていた。
高堂を取り囲む男子生徒は彼を振り返ると、称賛するように両手を打ち鳴らした。高堂は椅子の上に立ち上がり、それに答えるよう拳を高く突き上げる。
「おーい高堂。俺の話聞いてたのか？」
「ういーす、聞いてないでーす」
教員からの注意に軽々しい返事をして、教室はさらに笑い声へと包まれた。
「昨日の宿題を一番後ろの席、回収してくるようにってさ」
「え、俺のことじゃん」
「だから呼ばれてんだろ、バカかよお前」
友達に茶化された高堂は、ひょいっと椅子から飛び降りてけだるそうにノートを回収する。
すらりと高身長の彼は、ひょうきんものとして女子から人気が高かった。そしてまた、クラスの厄介者、坂下怜也に痣を作った張本人でもあった。
◆
「怜也。今日もお腹痛いの？ ご飯キッチンにおいてるから、食べるのよ」
部屋の前で四十代半ばの女性が声をかける。だがその部屋からの応答は全くない。
「まったく、本当に面倒ばっかりかける子ね」
呟くようにそう言った言葉は自分に言い聞かせたのか、部屋の中で閉じこもる我が子に向けたものなのかは定かではないが、今日も今日とて教室に出向かない息子の耳には届いていた。
「そう思うなら放っといてよね」
日差しが遮られた部屋の中。大きな岩のようになった毛布の塊が、ぐにゃぐにゃと蠢いた。
部屋の中に車のエンジン音が流れ込む。毛布を割るようにして現れた少年は、カーテンの隙間から外を覗き込んだ。家のガレージから車が出ていくのを確認すると、勢いよくカーテンを開く。部屋を真っ白に染めるような日が差し込んできて、彼は思わず目を背けた。
「眩しい……」
だんだんと目が慣れてきた頃、怜也は外の風景に目を凝らす。その時遠くに見える町工場から、白煙が上がるのを見た。怜也は思わず息を呑む。
「リミットだ……。あそこでリミットが今まさに戦っているんだ！ その煙に違いない……！ 感じるぞ……！ リミットの気配を！」
何の確証もないが、怜也にはその煙が単なる工場の排気口から出ているものだと思えなかった。一ミリでも近くで見ようと、窓際に迫り寄る怜也。その額は窓ガラスに張り付く勢いである。
「見えるんだ。僕には！」
強く言い切った言葉が家の廊下に響く。時間に追われるように街中を行き交う人々に、その叫びが届くことはない。ましてや少年が一人興奮している様など、知る由もなかった。
◆
「リミット」とは。Google検索をかけるとふたつ目に出てくる言葉を紹介する。
〘名〙（Limit）特殊能力を生まれつき持った存在。また特殊能力を開花した元人間。人ならざる者。都市伝説の一種。
都市伝説の一種――。そう、リミットとは架空の生き物だ。
一般的に知られているのは、こういった物語である……。
「かつてこの世には『リミット』というバケモノがいた。彼らは人間とかけ離れた姿かたちをしており、実に奇妙不可解な存在であった。彼らは大きな岩をいとも簡単に破壊するほどの、常人を逸した能力を持っていたのだ。
リミットはひとつの国で暮らしていた。ある時彼らは自分たちの力を見せしめるべく、人間の国へ侵略戦争を始めたのだ。人間たちは多大なる被害を被りながらも、なんとか彼らを退けることに成功した。
一度は表舞台から消えたリミットであったが、彼らはその後もしぶとく生き続けていた。能力を最低限抑え込み人間の体を偽ることで、『普通の人間』のふりをして隠れていたのだ。いずれリミットは人間との間に関係性を持ち始め、ついに新たな子孫が誕生する。能力を内に秘めた人間――。リミットは、人間の姿したバケモノへと変化していったのである。
リミットに対する恐怖心から、人間たちは彼らをこの国から完全に排除しようと試みた。リミットもまたそれに抵抗し、両者は再び争いを始める。中でも人間達へ強い憎悪を抱く残虐なリミットを、かつての国名から『パラドックス』と呼んだ。彼らは未確認生物である『魔物』を生み出し、人間たちを喰い荒らし回った。その力は日が経つにつれどんどんと膨れ上がり、人間が太刀打ちできぬところまで来ている。
このまま人間は、滅んでしまうの運命なのか――。
そんな時！ 魔物達から人間を守る、スーパーヒーローが現れた！ パラドックスと対峙するその組織の名は――。
『TEAM craft.』！ （以下、クラフト）
彼らはその身を犠牲にしてでも、パラドックスと戦い続けた。腕がもげようとも、足を失おうとも、最期の最期まで。――人間たちのために。
しかし、そんなクラフトを賞賛する者は、誰一人としていなかった。それはクラフトもまた、リミットの集まりだからである。彼らは人間ではない。処理されるべき害虫と、同類なのだと――。
彼らはお互いを潰しあいながら数を減らし、ついにリミットは歴史の闇に姿を消した。
しかし世の中は摩訶不思議、理屈では説明できないこともある。空を飛んでいる人間を見たとか、大きな化け猫を見たとか――。もしかすると、人間にはバレぬよう今もどこかで生き続けているのかもしれない。
得体も知れぬ魔物に出くわしたならご用心を。もしかすると、クラフトのヒーローが助けてくれるかも？
信じるか、信じないかは、あなた次第――」
証明など出来ない。いることも、いないことも。真実はいつも闇に隠されている。
しかし、少年は未だに信じていた。
なぜならあの日。彼は確かにその目で、黒い天使を見たのだから――。
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