第11話「再会」
■2023年7月30日 20:00 天上寺学園高校/アイドル研究部部室
「あまり変わってなくて、なんだか安心しました」
細川文雄はアイドル研究部の部室を懐かしそうに見回していた。
「あの藤本君が天上寺学園に入学して、しかもアイドル研究部の部長になっていたなんて」
「細川さんは2002年卒でしたね。OB名簿によると副部長を務められていたとか」
「まあ、僕らの代の3年生は部長と僕の二人だけしかいなかったんですけどね」
南野陽康は、藤本美喜雄と細川の顔を交互に見比べながら言った。
「ニシユル初代マネージャーの細川さんがアイドル研究部の先輩だったなんてびっくりです。しかも二人が顔見知りだったなんて」
細川が頬を緩めた。
「藤本君はニシユルのデビュー当時からライブハウスに来てくれていたんです。当時の藤本君はまだ背も小さかったし声変わりもしてなかったから、さっきコンビニで “ニシユルの現場に通っていた藤本です” って言われたときも、一瞬誰だかわからなかったですよ」
昔の話をされたのが照れ臭かったのか、美喜雄は急に早口で捲し立てた。
「ニシユルがデビューしたのは2019年。私はまだ中学二年生でした。派手なプロモーションはなかったものの、あのブレインランド・プロモーションが “ライブハウスからアイドルをデビューさせる” ということで耳の早いドルオタの間ではそれなりに話題になっていたんです」
「ニシユルが四人組だった頃ですね。宝田舞はまだ加入していなかった」
陽康が舞の名前を出したことで、過去を懐かしんでいた細川と美喜雄の意識も現実に引き戻され、二人の顔に少しだけ緊張感が戻った。
* * *
老人に変装していた男の運転する車が、武蔵ノ宮病院から外堀通りへと走り去った後、美喜雄と陽康、冬美の三人は、すぐに同じ通りを走っていたタクシーを捕まえて後を追った。
男の車は、飯田橋の交差点で外堀通りから目白通りへと入っていった。夕方の目白通りはそれなりに混んでおり、タクシーに乗った美喜雄たちは男の車を目視できる距離を保って追跡できた。
美喜雄は老人に化けていた男の正体について考えを巡らせていた。恒常的に混雑している幹線道路を逃走路に選ぶ計画性の無さからすると、あの男はこの手の行動に慣れていない。恐らくは一般人だ。
成人男性にしてはやけに甲高い声色、相手の年齢や立場に関係なく敬語を使ってしまう癖、小太りで突き出た腹。そうだ…あの男は、西新宿ゆるふわ組の初代マネージャー、細川文雄ではないか。
しばらくすると、男の乗った車は通り沿いのコンビニの駐車場へと入っていった。
美喜雄たち三人もそこでタクシーを降りた。その後、細川がコンビニに入った隙を見計らって車の周りを取り囲んだ。
コンビニから出てきた男の顔には、すでに口髭も顎髭もなかった。
美喜雄はその男が細川文雄であることを確信し、自分の名前を伝えた。
細川は “ニシユルの現場に通っていた藤本です” と名乗った若者の面影から、記憶の糸を手繰り寄せていった。
細川は思い出した。2019年から2020年頃にかけて、デビュー間もないニシユルのライブ現場に入り浸り、周囲の年配オタクたちから「おまいつ厨房(中坊)」と呼ばれていた少年のことを。声の高さも背格好もすっかり変わってしまっているが、間違いない。この若者は、あのときの藤本少年だ。
そう確信した細川は「宝田舞を病院から連れ出して逃走している」という非日常的な状況を寸刻だけ忘れ、美喜雄との再会を喜んだ。
「彼女を守るために病院から連れ出した」「少し乱暴な方法になってしまったが、状況的に仕方がなかった」と説明した細川は、美喜雄に対して「人目につかない場所で話がしたい」と提案した。
結果、細川と美喜雄は車で天上寺学園に向かうことに決めた。同校では夏休み中に限り18時以降の部活動が禁じられていた。この時間帯であれば校内や部室棟に残っている生徒はいないはずだ。アイドル研究部の部室なら人目につくこともない。
助手席で静かに座っていた舞は、後部座席に乗り込んできた若者たちの姿に戸惑いの表情を見せた。
細川が「この人たちは僕の知り合いだから大丈夫ですよ」と説明すると、舞は美喜雄たちの方を振り返ってちょこんと頭を下げた。
美喜雄は軽く会釈を返した。冬美はガチガチに緊張しながら「よろしくお願いします」と小声でぎこちない挨拶をした。陽康は舞と目を合わせることもせず、終始押し黙っていた。
美喜雄たち三人は、車に乗り込む前に宝田舞への接し方に関して細川から諸注意を受けていた。ニシユルの話をしないこと。ニシユルの曲を歌ったり流したりしないこと。ニシユルを連想させるようなグッズ類を舞に見せないこと。それらが守られない限り、一緒には行動できないとのことだった。
そのため美喜雄たちは細川と舞を部室に招き入れる前に、部室の壁に貼っていたニシユルのポスターをすべて剥がして片付ける羽目になった。
* * *
パーテーションの向こう側にいた冬美がひょっこりと顔を出した。
「大丈夫です。マイマイ、まだぐっすり眠ってます」
美喜雄や細川が声をひそめながらもニシユルのデビュー当時の思い話ができたのは、舞が熟睡していたからだった。
舞は、部室に入って10分も経たないうちに「疲れた」「眠たい」と言い出し、本当にそのまま眠ってしまった。それから1時間が経った今も、舞は三人掛けソファーの上に横たわり、ブランケットを被って寝息を立てている。
細川が言った。
「2カ月近くも病院のベッドで寝たきり。それで今日のドタバタですからね。きっと疲れてしまったのでしょう」
陽康はすっかり面を食らっていた。いくら疲れ切っているとしても、あんなに無茶苦茶な成り行きで病院から連れ出され、いきなり知らない場所に連れて来られた人間がこうもスヤスヤと眠れるものだろうか。
ニシユルのことを少しでも知っているファンの間では、宝田舞が 「鋼のメンタル」の持ち主であることはよく知られていた。ただ、今はそんな精神力だけでは片付けられない状況だ。やはり、体調は相当に悪いのだろう。
美喜雄は声のトーンを落として細川に尋ねた。
「彼女は本当に何も覚えていないんですか?」
「自分の名前や家族のこと、僕の顔と名前については覚えているようです。ただ、自分がニシユルのメンバーだったこと、他のメンバーのこと、現マネージャーである葉月さんのことについては覚えていないと言っています」
「ショッキングな事件や事故に遭った人は、過大なストレスを受け止めきれずに記憶障害を起こすことがあると聞いたことがあります。やはり、あの事件が引き金に?」
「そうかもしれませんし、薬物の影響が残っているのかもしれません。マイマイも亡くなった四人と同じ薬物を摂取した状態で病院に運ばれたそうですし、しばらくは意識不明の重体だったということですから」
美喜雄は、パーテーションの向こうで眠っている舞を気にしながら続けた。
「2カ月前のことも忘れているとしたら…細川さんは、彼女に事件のことを伝えるつもりですか?」
「少なくとも、今、僕から伝えるべきではないかと」
納得するように頷いた後、美喜雄はスマホを取り出して『ニシユルの生き残りは武蔵ノ宮病院の709号室にいる…』という例のメールを細川に示した。
「我々三人は数日前にこのメールを受け取りました。我々が武蔵ノ宮病院の7階にいたのは、このメールの真偽を確かめるためだったのですが…」
細川もポケットからスマホを取り出して美喜雄に示した。画面には、美喜雄たちが受け取ったメールとまったく同じ内容のテキストが表示されていた。
「細川さんのところにも我々と同じものが届いていたんですね」
美喜雄は、スマホを弄りながら続けた。
「ただ、今日の細川さんの行動は、このメールの内容にそれなりの信憑性があると考えなければ…いや、信憑性どころか確信がなければ…あんなことはできないと思います。あなたはわざわざ老人に変装し、改造した発煙筒とスタンガンまで持っていた。そして、実際にそれらを使って宝田舞を葉月さんたちのもとから連れ去った」
美喜雄、陽康、冬美の三人にとって、例のメールはどこまでも疑わしい内容だった。美喜雄が信じていたのは、あくまでも「宝田舞が武蔵ノ宮病院に入院している」という情報についてのみであり、「殺される」という言葉についてはほとんどリアリティを感じていなかった。
そして、確かにニシユルの生き残りである宝田舞は、武蔵ノ宮病院に入院していた。それは事実だった。しかし、あの場に現れたのは不審者でも変質者でも殺人鬼でもなく、ニシユルのマネージャーである葉月里音だった。
腕を組んで黙っている細川に対し、美喜雄が切り込んだ。
「細川さんは葉月さんが怪しいと思っているんですね…だからあんなことを」
細川は、太い指で顎を摩りながら口を開いた。
「藤本君は、あのメールの送信者に心当たりがありますか?」
美喜雄はトートバッグからノートPCを取り出し、驚異的な速さでキーボードを叩いた後、細川に画面を見せた。
立ち上げられたスプレッドシート上には、人の名前とメールアドレスがずらりと並んでいる。
「この二人にも話しましたが、私はアイドル研究部のOB会の中に送信者がいるのではないかと考えていました。そして、その推測は確信に変わりつつあります。ニシユルの元マネージャーであるあなたと、一般の高校生である我々三人に共通する属性…それは天上寺学園高校アイドル研究部しかない。現役在校生である我々と、2002年卒のOBである細川さんのメールアドレスは、共にこのデータベースの中に入っています」
「皆さんの他に現役の部員は?」
「今は我々三名だけです。二学期から32名の新入部員が入る予定ですが、その32名は例のメールを受け取っていないようです」
「そんなに急に増えるんですか?」
「一人ひとりに理由を聞いたわけではありませんが、6月に起きたニシユルの事件に感化された生徒が多いのでしょう。32人全員がニシユルの事件以降に入部届けを出していますから」
冬美が言った。
「今のウチの部活、学内のニシユルファンクラブ的な位置付けなんです。まあ、私もニシユルを応援したいから入ったんですけど」
陽康が苦々しげに言った。
「そうは言っても、ニシユルが無くなってからアイドル研究部に入ろうとする連中の気が知れないけどね…なんで今頃になって」
細川は、アイドル研究部を取り巻く現状を理解したように頷いた。
「なるほど。32名が入部するのは二学期以降ということであれば、現時点でこのデータベースにアクセスできるのは、皆さん三人を除けばアイドル研究部のOB会参加者しかいない。OB・OGがデータベースにアクセスして僕たちのメールアドレスを調べ、メール送りつけてきた可能性が高いと」
美喜雄は、あらかた事情を知った上で探りを入れてくるような細川の言い回しに苛立ち始めていた。
「細川さん、あなたは送信者からのメッセージ内容に確信を持っている。だからこそ後先を考えずにあんなにも突飛な行動を取ることができた。あなたには…送信者の目星が付いているんじゃないですか?」
細川は深呼吸でもするように大きく息を吐いた。
「事が事です。未成年者のあなたたちをこれ以上巻き込むわけにはいかないと思っています。僕が今日のような滅茶苦茶な行動をとってしまったのは…何としてでもマイマイを助けたかったからです。それだけです。それだけは理解してください。それに、送信者の目星なんか付いていません」
「すいません、ちょっと聞いてもいいですか」
パーテーションの向こうで舞の様子を見ていた冬美が顔を出した。
「もし私たちが追いかけていなかったら、ここに来ていなかったら、細川さんはマイマイを病院から連れ出してどうするつもりだったんですか?」
「しばらくの間、東京から離れてホテル暮らしでもしようかと…」
「今回の件に関して、細川さんに協力者はいるんですか?」
美喜雄がそう聞くと、細川は黙って首を横に振った。
細川が嘘をついているようには見えない。今日のことは本当に出たとこ勝負だったのかもしれない。そうであればなおさら不安だと美喜雄は感じた。
「細川さん、すべてを話してくれとは言いません。ただ、私たちにも何か協力できることはありませんか? 」
「ありがとうございます。そう言ってもらえるのは嬉しいです。でも、これ以上、僕やマイマイに関わると…」
細川は途中で言葉を切ったが、美喜雄は彼の言葉をじっと待った。
「これ以上、僕やマイマイに関わると…皆さんはニシユルのことを嫌いになってしまうかもしれません。それは、とても残念なことだと思うんです」
美喜雄は少しだけ考え込むような素振りを見せた後、細川に言った。
「私は大丈夫です。今更何を知ったところでニシユルのことを嫌いになれるはずがありません」
パーテーションの向こうにいた冬美も、三人の側に来て話に加わった。
「私にも協力させてください。マイマイのこと、細川さんだけじゃ大変だと思います。女の私がいた方がいいと思うんです。もう夏休みだし、時間だけはありますから」
美喜雄は陽康に聞いた。
「お前はどうする? 正直、お前の場合は…」
「もうここまで巻き込まれてるんだから、やれることはやりますよ。それに…ニシユルはもう終わってしまった。嫌いになりようがないです」
冬美は立ち上がって陽康に意見した。
「先輩、ニシユルは終わってません! マイマイがいるんですから」
細川は下を向いて声も出さずに肩を震わせていた。美喜雄には、細川が笑っているのか泣いているのかわからなかった。
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