EX:雨宿り


 春になり、雪解けが進むと山肌からは沢山の草木が芽吹く。医者としてはこの季節を待っていたと毎日のように薬草を摘む依頼を受付にお願いしていた。部屋の端に溜まっていく籠一杯の薬草を眺めながら嬉しい気持ちになった。残り少なくなっていたあれやこれを早く作ってしまおう。それに今度あれを採りに行こう。暖かくなる春は活動的になると言うが、医者として春の陽気に浮かれていた。

 そして――


「全く酷いになったな」


「ごめんなさい、まさかこんなに降っちゃうなんて――」


 山々に囲まれた帝都の天気は変わりやすく、さっきまで晴天だったのにちょっと夢中になっていたら雲行きが怪しくなり、急いで戻ろうとしたが結局二人でずぶ濡れになってしまったのだ。


「ジルバさんお仕事は――」


「まぁどうにでもなるだろ、とりあえず止むまで中に入ろう」


 土砂降りの中、山小屋を見つけ軒下に入った二人は止まない雨に諦めて山小屋に入ることに決めたのだ。


 いくら春の陽気になったからと言って、雨は冷たかった。できるだけ外で雨で濡れた服を絞って、中に入ると暖炉と薪と寝台が1つあるだけの粗末なものだった。


「森の民が使ってるみたいだな、手入れされてるからかまだ綺麗だ」


 火打石もある、とジルバさんは暖炉の近くにあった石を2つ掲げた。そして藁を暖炉に放り込むとカチカチと何度か音を立てて火を入れた。溜め込まれた枯れ枝も適当に放り込んで次第に冷たく、湿っていた室内が暖まってくる。


「このままだと風邪引いちゃいそう」


「一応シーツがあるぞ」


「……そうだね」


 次第に言葉少なになっていく。気まずい空気が流れた。なんだか2人とも頭の中では分かっていた。


――絶対に濡れた服を脱いで乾かした方がいい。


 恋仲になってまだ3ヶ月、この前初めて口づけを交わした。じゃあその次は――? 進展はないまま今に至る。第一、口づけもお互い恥ずかしくてまだ1度だけ、そんな状態なのに愛しい恋人の前で服を脱ぎ去るのが恥ずかしかった。


「……脱ぐか」


 意を決したような言葉がジルバさんから出た。


「そう、だね……風邪引いちゃうもん」


 背を向けていそいそと服を脱ぐ。水で膨れた布が重い音を立てながら床に落ちていき、ついに生まれたままの姿になる。少し黄ばんだシーツを纏って、肩の辺りで端を結んだ。後ろで服を叩く音が聞こえるので、もうジルバさんもシーツを纏っているのだろう。振り返るとジルバさんも似たような形で纏っていて(ちょっと適当だなぁと思ったけど)簡易で作った物干し竿に服を並べている最中だった。竿に濡れた服が並び、その下で2人並んで暖炉の前に座った。 


 しばらく他愛のない会話を楽しんだ。服を脱ぎ去ってもシーツを纏っているのだから見えないので、早々に慣れてしまった。こんなことならさっさと脱ぐべきだったんだ。大分冷えてしまったから風邪を引かないと良いけど……。


「――まだ止みそうにないな」


 ジルバさんが立ち上がって窓の外を見る。勢いは止むことなく、まだしばらくここにいることになりそうだった。

 また隣に座るのかと思っていたのに、真後ろに背中合わせでジルバさんが座る。


「ちょっと暑くなってきた」


「ちょっと枝を取る?」


「いや、いい。早く乾かしたいし」


 それだけ言うとジルバさんは押し黙ってしまった。こうなると何もすることがなく、目の前の炎を見つめる。パチパチと薪が爆ぜる音と雨音、服から滴る雫の音が響く。なんだか少し眠たくなってきて目を閉じた。しかしそれに混じってか細い震える呼吸が背後から聞こえ、目を開く。


 ちらりと後ろを見た。雨に濡れてうねる黒髪が頬に張り付いている。その奥に見えた鼻先が赤い。そして小さく震えていた。


「大丈夫? 寒いんじゃ……」


「大丈夫だ」


「でも……」


 床にある指先に触れると冷たくて――


「やめてくれ!」


 強い拒絶と共に指を引っ込められた。


「……今、ミスティアを見たら、俺がおかしくなるから、やめてくれ」


「あ――」


 どういうことか分かってしまって、身体が熱くなる。大きく息を吐き出したジルバさんの顔が見えない。


「今じゃない――。ミスティアと契り合うなら……ちゃんと温かい布団で契り合いたいから、だから少し、落ち着かせてくれ」


 心臓が早鐘のように脈打って痛い。後ろからもう一度ため息が聞こえた。なんて答えるのが正解なのか分からない。


「――ごめんなさい」


 ただただ小さな謝罪が漏れた。それに答えることはない。後ろから聞こえるか細い息に胸を高鳴る。でもこのままでは本当に風邪を引いてしまう。こうなったら――

 暖炉の前に吊るされた服を剥ぎ取った。まだ湿ってはいるが、最初のびしょ濡れに比べたら全然マシだった。貼り付いて通しにくい袖を通し、しっかりとボタンを上まで止めていく。


「ジルバさん」


 応えない恋人の前に回るとぎょっとした顔でこちらを見つめた。


「ごめんなさい、寒かったよね。私がこっちに座るから」


 少し黙り込んだジルバさんは後ろを向いていてくれと言っていそいそと移動する。


 それからはお互い何も話さなかった。また外の雨音と雫の音と赤く揺らめく炎が焼き付くす音が響いた。突然、動く音に驚いて顔を上げる。窓の外はもう雨が上がっていて庇からは雫が垂れ落ちていた。どうやら本当に寝てたらしい。


「ミスティア、リベルタに帰ろう」


 ジルバさんのいつも通りの声色にようやく振り替えるといつもと変わらない装いの愛しい人が、そこにいた。

 まだお互い無言で何を話していいか分からない。山を抜け街に入り、活気のある他の人々に混じった時、ようやくジルバさんが口を開いた。


「その――悪かった。変なこと言って」


「えっと……ううん、大丈夫。私こそごめんなさい」


 今から思い返すとジルバさんの反応は真っ当なものだった。そりゃそうだよ、男の人だもの。それに街の活気に安心したのか、さっきは分からなかった答えが出てきた。


「でも、嫌、じゃ……ないから」


 沈黙の後、ジルバさんが大きく息を吐き出した。


「反則だぞ、あと無防備過ぎる。ほんとにどうかと思う」


「なにそれ?」


「乳が見えてた……」


「え……」


 ちち? と意味を理解した瞬間、身体中の熱が顔に集まった。


「だから無防備なんだよ馬鹿。俺じゃなかったらどうするんだ」


 帰るぞと少し機嫌悪そうに言い放つ。でもそんなことは問題じゃない。


「み、見たの?」


「だから後ろに回ったんだよ! ったく俺のこと男として見てないだろ」


「なんで見るの!?」


「男なんだから見えてたら見るわ!」


「な……っ最低! 見えてるって教えてくれたらいいじゃない!」


「教えろ!? 無茶苦茶言うな! あぁもう帰る! 帰るぞ!」


 もう一緒に帰ってやるもんか! 教えることくらいできるのになんでそれをしないでやり過ごそうとしてたんだこの人は。絶対言ったほうが早いのに! それで風邪引いたら薬は苦いから飲みたくないだの、飲むのを忘れるからもういらないだの文句垂れるくせに! これで風邪引いても絶対診てやんない!


「早く行くぞ! 何不貞腐れてんだよ!」

 

「不貞腐れてないもん!」


「早く帰って髪どうにかしたいんだよ! あーくそっ雨で髪がうねって最悪だ!」


「ジルバさんの髪のことまで私のせいにしないでよ!」


「してねぇよ! まどろっこしい! 行くぞ!」


 無理やり手を取られて歩き始めたので着いていく他なくなる。なんでこんな人好きになったんだ、と考えたが、結局自分の想いは否定できなくて、素直に引き摺られるしかなくなってしまった。


 でも、さっきのも本心で、この人になら身を捧げても良いと思ってる。覚悟はあるかと今すぐ言われたら少し戸惑ってしまうけど、もし、この人と添い遂げられたなら、今日みたいな日はいつかの未来の笑い話になるのだろうか。


 そんなことを考えている間にリベルタに辿り着いた。ジルバさんは全然機嫌が直ってない顔をしているが、なんだかそれが本当に可愛くて、愛おしくて堪らなかった。


「なに笑ってんだ」


「秘密! ジルバさんには教えてあげない!」


 いつか、天使になって、身分も種族も無くなったら言ってあげよう。あの日のあなたは優しくて愛しくて好きになって良かったと心の底から思ったと、そう言ってあげよう。きっとジルバさんは今日みたいにちょっと不貞腐れてしまうんだろう。

 でもそんな顔も私の好きな彼の一面なのだ。




おわり

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