第11話殺意
翌朝の目覚めは最悪だった。昨日は帰宅して夕食も食べずに自室に籠ると腹立たしくて教本を床に叩きつけた。イライラが収まらずニキビ面を掻き毟る。ブチブチと潰れる音と共に膿と血が滲んだ。炎症を悪化させるから触るなと言われてきたが、苛立ちからそんなのは関係ないと溜まった膿と共に何かを吐き出すように潰して押し出していく。怒りは消えぬまま眠ると夢の中にあの二人が出てきた。笑い合って、仲睦まじく身体を触れ合うと口づけし、犬のように盛り合っていた。ぶよぶよとした肉体が揺らしながら笑う様が心底気持ち悪く、飛び起きた。それがまた底知れぬ怒りに変わり頭を掻き毟った。
――あの女殺してやる。
そう心に決めてリベルタに向かうともうミスティアは医務室にいなかった。代わりにいたのはユリウスで、毒熱は3日ほど消えない。状態は落ち着いてるし、ミスティアはリベルタの別室で療養することになったと伝えられた。
そしてまたあの人使いの荒いユリウスの指導を受けることになった。薬草の選別ひとつにしても遅いと怒鳴られ、薬草の種類を覚えていないことにも苦言を呈され、調薬も雑なことをするなと言われ、最後には「お前はこの1ヶ月近くミスティアから何を学んできたんだ」と呆れた声になった。
あの女の教え方が悪い。あの女の言う通りにしてきたし、あの女はこれでいいと言っていた。そう口にしたらユリウスは一瞬黙り込んだが、そう思うならずっとそのままでいろと言い放って黙って仕事の続きを始めた。
幸いなことに翌日からは医学学校の中間報告会で、実習生は1週間、実習を行わずこの1ヶ月半何を学び、どう感じたかを報告し合う。
あの腹立たしい
ところがオリバーのやったことは薬草の選別と調薬とお産に立ち会ったことくらいである。報告の間、他の生徒達からはヒソヒソと調薬した薬を舐めて確かめるなんてしない、お産なんて産婆の仕事だろうと漏れ聞こえ、これが自身のプライドを大きく傷付けた。
何より、まだあの女への恋心に溢れていた頃の自分の浮かれた文章がそこには残っていて、実に不愉快だった。
報告を終えると校長であるメディコ家の当主がなんとものんびりとした声で報告の内容を褒めた。
「多くの者は国立診療所へ行くところ、リベルタの医務室へ実習に行くのは良い経験をしましたね。皆さんはもう教わってないが、昔は調薬した薬を舐めて安全性を確かめていました。古風なやり方と思うかもしれませんが、患者のことを考えると実に意味のあるやり方なんですよ。子どもは苦い薬は飲みたがりませんからねぇ。こちらが味を知っていればできる対処も広がります。私も未だに舐めて確かめますよ。――セーニョ、見学の際に報告書のお願いしたのだろう?」
隣に座っていた副校長がはい、と口を開いた。実習の見学の際にあの女と色々と話していたのは知っていた。
「皆さんはまだ経験ないと思いますが、産婆では対応しきれない場合、お産の場に医師が呼ばれることは珍しくありません。なのに我々はお産の過程を知らない。いつも緊急時の対応ばかりで普通のお産は知らないことが多い。産婆も商売ですからね。医師に対しては仕事を奪われると思って邪険にされることも多い。彼女達はお産に医師が関わることの有用性を説いてその上で立ち会った。そしてその過程を提供してもいいと報告書も貰っている」
それは数十枚に渡る紙の束で、副校長はすぐにまとめて机に置いた。
あの女、俺に仕事を押し付けてそんなことをしていたのか――!
「来年から教本に組み込むつもりですし、あなた達には実習終わりに座学にて授業をします。もちろん最終試験にも出します。だから産婆の仕事と軽んじず、お産も立派な医療行為であると思っておくように」
「リベルタの医務室には優秀な医師がいますからね」
校長がのほほんとした顔で笑いながら「良かったですね、良い実習をされてる」と締めくくった。
何が、何が良い実習だ――!
ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!! 何もかもが不快だ!
何もかもが嫌になって中間報告会はそれから行っていない。明日からまた実習が始まる。あの女をどうやって殺してやろうか考え付くした。問題はどう殺すかだ。最も簡単なのは道具を用いない方法だが、時間がかかって未遂に終わる可能性が高い。毒殺はあの女が医者であることを鑑みると気付かれる可能性もあるし、処置によっては助かる可能性も捨てきれない。そうなると即時に殺すのは刺すことだ。幸い、今まで持ち物をチェックされることはなかった。凶器は簡単に持ち込める。
問題はリベルタが戦闘も行う部隊であるということだ。隊員は皆戦闘の訓練を受けている。あの女や医務室によく出入りするユリウスやレンも何かしら心得がある可能性がある。殺すなら一瞬で、隙をついた形にしないと行けない。
朝、リベルタに着くといつも通り受付を抜け、医務室へと向かう。ポケットの中に入れたナイフの柄を握り締めた。殺すならまず動きを止める必要がある。腹でも刺せば止まるだろう。とにかく最初の一撃は大事だ。息を吐き出して医務室までゆっくりと進む。いつもこんなにかかっていただろうかと片隅で考えていた。強く柄を握り締めた手のひらに爪が食い込んで痛い。
医務室は無人だった。いつもはもうあの女が何かしら始めているのにその姿がない。最高潮に達していた殺意が行き場を無くして暴れ回った。
何故いない、何故! 何故!! 何故!!!!
行き場を無くした怒りが暴走して傷だらけになったニキビ面に手が伸びる。かさぶただらけの頬に鋭い痛みが走る。爪と皮膚の間にジュクジュクとした組織が入り込んだ。
勘づかれたか、まさかそんなことに勘づく頭、女なんかに備わってるはずがない!
頬を掻きむしっていると微かに知った声が聞こえてきた。ユリウスだ。あの男と一緒か、ちくしょうこんな時に限って他の男と居やがる!
「久しぶりだな」
廊下には顔色の良くないレンの肩を支えたユリウスがいた。あの女の姿はない。
「ミスティアなら今日は朝から娼館で娼婦達の診察だ。人数も多いから帰りは昼頃になる。それまでは選別しておくように」
ユリウスがレンに心配するように声をかけてそのまま医務室に入ることなく通り過ぎていく。
悪運だけは良いようで怒りで頬を掻きむしる。ならば帰ってきたところを一突きだ。とにかく今はこの殺意を気付かれないようにしないといけない。
籠いっぱいの薬草を机にぶちまけた。なんの薬草なのか分からない。ただ怒りに任せてブチブチと千切っては空いた籠に投げ捨てた。
ユリウスが戻るとため息を吐いて薬草の山となった机の真向かいに座った。
「今日は1日ここにいるつもりだが、ミスティアが帰ってきたらミスティアの指示に従うんだ」
「そうですか」
もうどうでも良かった。なんで今日に限ってこいつはいるんだ。
「実は子どもができてな、つわりでレンが寝込んでる。今日はここを空けることが多くなる」
「はぁそうですか」
なんの感情もなく言い放ったユリウスはもう返事をしなかった。そういえば目の前の男はあのハーフエルフと契って間もないんだった。
どいつもこいつも頭に花が咲いたみたいに浮かれてて吐き気がする。話を聞けばあのレンは孤児だと言う。つまり親は病持ちに違いない。地上に降りた天使の末裔であるエルフを姦すればあらゆる病が癒えると言われ、山深くにある棲み家から野に出たエルフは皆そうやって穢され、売られ、殺された。穢されたエルフが病を得ることも子を孕むことも珍しくはなかった。そうして産み落とされた子は祓われた病を持つとして忌み嫌われる。まさかそんな汚い混血児と契り合う馬鹿がいるとは思わなかった。
目の前の男もただの欲ボケの馬鹿なのだ。
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