第12話爆発

 宣言通りユリウスは何度か席を外した。恐らく様子を見に行ってるのだろう。その度に今帰ってこいと願った。そんな願いは全く叶わず、ついに昼になった。


 少し前レンが現れて、「ちょっとマシになったし、何か食べてくるよ」とひとり去ってしまった。そうしていると昼の時間になったので、ユリウスが休憩するぞ、と一言言ってさっさと出て行ってしまった。むしろこの方が好都合である。


 食堂にも向かわず、その時を待った。食堂から響く下品な笑い声に混じって覚えのある声が聞こえてきた。


 鼓動が早鐘のように打ち始めた。あの女だ。俺を弄んだあの女が戻ってきた。あまりの緊張に椅子から立ち上がれない。そして――


「あ……」


 いつもと変わらぬ顔でその女が現れた。少しうねった金の髪もその髪から覗く瞬く星の瞳もまだ少女だと言うのに、商売女のように熟した肉体からだも変わらない。しかしそれが全て嫌悪に変わる。あれほど仲睦まじく過ごしたのにその裏ではあの男と身体を重ね合っていたんだろう。全てが穢らわしい。


「久しぶりだね、中間報告会お疲れ様」


 隣を素通りして窓際の机に診療バッグを置いた。朝からいなくてごめんなさいと着ていた上着のボタンを外していく。脱ぎ去ろうとする姿はどこか艶かしかった。


「この間は心配かけてごめんなさい、もう大丈夫だから」


 いざ目の前にするとやはりこの女は美しかった。大した美人ではない。しかし、その微笑みが魔性なのだ。揺らいだ心が立ち上がったそこから動けない。


「それに――ごめんなさい。多分この前のことで気付いてると思うけど……」


 目を伏せたその姿に息が詰まる。何を言うつもりだ。やめろ。


「私、ジルバさんとお付き合いしてて」


 ふざけるな。


「だからあなたの気持ちに応えられない」


 ふざけるな、ふざけるな! この女――!


「ふざけるなよ……」


「え……」


「俺を弄びやがってこの売女が!!!!」


 気付いた時にはもう飛びついていた。驚いた顔を掴むとそのまま身体ごと机に押さえつける。腕を口を満身の力で押さえつけた。何か叫んだが、押さえつけた掌に吸われて意味を成す音にならない。行儀の悪い足が宙を食う。それが木製の机の足や引き出しに当たって硬い音を立てた。


「ずっと俺を騙してやがったな! ずっと! あの頃から!!!!」


 顔を背けた女の閉じた目尻に涙が浮かんだ。押さえつけられていないもう一本の手で口を覆う腕を握られるがあまりの弱さに笑ってしまう。

 押し倒した形になって優位になると見えてくるものがある。押さえつけて引っ張られたシャツが豊満な乳房をくっきりと映し出した。白い首筋に汗が伝っていく。押さえ込んだ腕も頬も信じられないほど柔らかかった。この女は本当に熟した肉体をしていた。近くで見るだけで狂わされる。こんな男を誘うだけの肉体を俺は知らない。


 だが、この肉体はもう穢れている。


「あの男とヤってんだろ! このアバズレ! きたねぇ肉体しやがって!」


 そうだ、今この肉体を蹂躙してやったらこの女はどんな顔をするだろうか。それに、あの男は貴族だ。他の男に触れられた女など用済みになるだろう。

 そうなれば打ち捨てられたこの女の絶望が見れるだろうか――!


「やめろ! 何してやがる!」


 突然後ろから羽交い締められて無理矢理引き剥がされる。そしてそのまま床に投げ捨てられた。尻餅を着いた隣を風がすり抜けた。


「ミスティア! 大丈夫か?」


 机にまだ転がったままの女がたまった息を吐き出すように咳き込んでいる。それを介抱する後ろ姿に覚えがあった。レンだ。ちくしょう、あの混血児、戻ってきたのか!


「どういうつもりだ!」


 ミスティアを起き上がらせて守るように睨み付けるそれはあまりにも弱々しい。しかもこの女は身重だ。


「どけ! 腹の子共々殺されてぇか!」


 一瞬の怯えを見せた姿にやはり強がってても女は女だなと確信する。どうせ男の力の前にはなんの術もないんだ。


「てめぇ何してんだ」


 地の底から出てくるような声が後ろから響いた。女二人が少し安心した顔をする。お前ら女はいつもそうだ。男がいないと何もできない。そのくせ男を馬鹿にする。


「おいこら、てめぇレンになに言ってんだ」


 見たこともないほど怒りを露にしたユリウスだった。胸ぐらを掴まれても、何も怖くなかった。こいつはこうやって口が悪いだけで何かするということはしない。どうせこれも脅しだ。


 なんだかおかしくなった。契りの祭りの日のあの馬鹿みたいに浮かれた目の前の男の顔が浮かんだ。どいつもこいつも頭の中が空っぽの馬鹿ばかり。こちらが下手に真面目にやればやるほど難癖つけて、仕事を押し付けその間楽しいことに興じてやがる。それに――


「あんたの秘密バラしてやってもいいんだぜ」


「は? 秘密?」


「あんたあの女に良いことしてもらったんだろ? 女は男と侍るだけで地位を貰えていいよな」


 あの女がそんなことしてない、と小さく溢した。そちらを見てやると縮こまった様子に事実だと確信した。


「ミスティアが班長に就いたのは俺が開業することにしたからだ。任命したのも前隊長だ。ジルバの命じゃない」


「へぇ、じゃあ親子共々寝たんだな。流石はきたねぇハーフエルフ、医者より娼婦になった方がいいんじゃないか?」


 あの女がはらはらと涙を落とす。泣けば済むと思ってるのも女の特徴だ。レンの金の瞳がいっそう厳しいものになるが、それに鼻で笑ってやった。


「てめぇいい加減にしろよ」


「あんたのご贔屓だもんなあの女は」


「何言ってる」


 目の前のこの男にも肚の底からの恨みがあった。中間報告会の前に、あの女がリベルタで実習を行った際の報告書を読んだ。指導医は当時医療班班長だった目の前の男で、薬草の選別、調薬、往診、急患の対応などあらゆる業務を実習としてさせていた。ところが自身がさせられたのは薬草の選別と調薬のみ、街への往診は一度だけ市井の老人のところに行き、それ以降行ったことはない。目の前の男は調薬すらも任せられないと言い放った。こんな厳しい男の元で実習をしたのかとあの女に聞いたことがあった。


 あの女は「とても優しかったよ」と答えただけだった。


 これを贔屓以外のどう取る。どうせ目の前の男もあのアバズレと寝たんだ。


「あの女は往診も連れていかない! やったのは薬草の選別と調薬だけだ! あんたも俺には調薬は早いなんてふざけたこと言ったよなぁ!」


「その選別と調薬すらまともにできねぇ愚図はてめぇだろうが!」


「あんたもあの女と寝たんだろ? あんな痩せっぽっちじゃヤっても満足できなかったんだろ?」


無理やり手を引き剥がした。目の前の男から怒りが消えた。どうせ図星なのだ。まぁ同じ男として、まだ共感はできる。あんな痩せぎす、女として見る方が難しい。


「ユリウスはそんなことする男じゃない!」


 あの女に寄り添っていたレンの悲痛な叫びだった。あんなちんけな妻乞いで喜ぶ安い女だ。あんなもので大切にされているなんてお笑い草だ。それに――


「残念だったな! お前みたいな病持ち、誰が大事にするんだ!」


「――っ!」


「お前――っ!」


「そもそもまともな子が産まれるとでも思ってんのか! この――」


――バチン! と弾けるような音と共に頬に衝撃が走った。


「いい加減にしなさい! これから子どもを産もうという人になんてこと言うの!」


 殴られた――そう確信して目の前を見据えるとあの、大人しい女が顔を真っ赤にしていた。右手を固く握って涙を浮かべている。


「あなたに医者になる資格はないわ! 今すぐ出て行きなさい!!」


 今まで見たことがない剣幕に後退る。そして一目散に走り出した。あの雰囲気はよく知っている何もできないくせに気だけ強いこの国の女そのものだった。

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