第9話 妖精郵便と迷いの便り
ドタドタと慌ただしい羽音とともに、小さな影が月読茶房に飛び込んできた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! また道に迷っちゃって!」
それは手のひらサイズの妖精だった。透明な羽に郵便配達員の帽子、そして大きすぎる郵便鞄を必死に抱えている。
「落ち着いて」
巫が優しく声をかけると、妖精は涙目で顔を上げた。
「あ、あの、ここは月読茶房で合ってますか? 地図では分かるんですけど、実際に飛ぶと全然違う場所に着いちゃって」
クウが興味深そうに近づく。
「ちっちゃいっすね! おいらの手より小さい!」
「ピノと言います。妖精郵便局の新米配達員です」
ピノは小さくお辞儀をした。その拍子に郵便鞄から手紙が数通こぼれ落ちる。
「ああっ! また散らかしちゃった!」
慌てて拾い集めるピノを、アカリが優しく手伝う。
「大変なお仕事ですわね」
「はい……でも、私、配達が下手で。今日だけで三通も配達し損ねて」
ピノの小さな肩が震えた。
「届けたい気持ちはあるのに、いつも場所を間違えたり、時間に遅れたり。私、配達員に向いてないのかも」
巫はピノを手のひらに乗せ、カウンターに座らせた。
「まず、一息つきましょう。特別な花蜜茶を淹れますね」
小さな妖精用の、指ぬきほどの茶碗を用意する。花の蜜を薄めた甘い茶だ。
「わあ、いい香り」
ピノが小さな手で茶碗を抱える姿は、なんとも愛らしかった。
「ピノさんは、なぜ郵便配達員になったのですか?」
巫の問いに、ピノは少し恥ずかしそうに答えた。
「手紙って、想いを運ぶものでしょう? 離れている人と人を繋ぐ、大切な役目。それに憧れて」
郵便鞄から一通の手紙を取り出す。
「でも、今日も届けられなかった手紙があって。宛先不明で戻ってきちゃったんです」
巫は手紙を見た。宛名は擦れて読めないが、差出人の名前がかすかに見える。
「月……」
その一文字を見た瞬間、巫の胸が高鳴った。
月から届く手紙。
昔、誰かからそんな手紙をもらったような。
「巫さん?」
ピノの声で我に返る。
「申し訳ありません。この手紙、少し見せていただいても?」
「はい。どうせ届け先が分からないので」
巫は慎重に封を開けた。中には、震える文字でこう書かれていた。
『お姉ちゃんへ
元気にしていますか。
私は月の上で、ずっとお姉ちゃんを待っています。
約束、覚えていますか?
いつか必ず、迎えに来てくれるって。
お姉ちゃんの大好きなジャスミン茶を用意して待っています。
月より』
巫の手が震えた。
これは。
これは、自分宛の手紙だ。
「巫さん!」
アカリが支える。巫は崩れ落ちそうになっていた。
「妹が……月にいる」
記憶が津波のように押し寄せる。
月の巫の最後の任務。世界を救うために、一人を犠牲にする選択。
その一人が、自分の妹だった。
「私は……妹を……」
ピノが心配そうに飛び回る。
「ど、どうしよう! 私、変な手紙を持ってきちゃった?」
「いいえ」
巫は涙を拭いながら微笑んだ。
「ピノさんのおかげで、大切な手紙が届きました」
震える手で、返事を書き始める。
『月にいる大切な人へ
手紙をありがとう。
お姉ちゃんは、今、茶房を営んでいます。
あなたの好きなジャスミン茶も、毎日淹れています。
約束は覚えています。
必ず、迎えに行きます。
でも、もう少し時間をください。
すべての記憶を取り戻すまで。
本当のことを思い出すまで。
待っていてください。
愛するお姉ちゃんより』
手紙を書き終えると、巫はピノに渡した。
「これを、月に届けてもらえますか?」
「月に!?」
ピノは驚いて羽をばたつかせた。
「で、でも、私、そんな遠くまで飛んだことないし、きっとまた迷子になっちゃうし」
「大丈夫です」
巫は優しくピノの頭を撫でた。
「想いがあれば、必ず届きます。それが、本当の郵便配達員の力です」
ピノの瞳が輝いた。
「想いの力……」
「ええ。場所や時間じゃない。届けたいという想いこそが、手紙を運ぶのです」
銀糸が現れ、月へ続く銀の糸を一本、ピノの前に垂らした。
「この糸を辿れば、月へ行けます」
ピノは決意を込めて郵便鞄に手紙をしまった。
「分かりました! 必ず届けます! これが私の、初めての『絶対に届ける手紙』です!」
小さな体に大きな使命を背負って、ピノは飛び立った。銀の糸を辿りながら、月へ向かって。
茶房に静寂が戻る。
「巫さん」
クウが不安そうに寄り添う。
「妹さん、月にいるんすか? どうして?」
巫は窓の外の月を見上げた。
「月の巫の使命で……私は選択を迫られました。世界を救うために、最も大切な人を月に封印する選択を」
アカリが息を呑む。
「それで、妹さんを……」
「はい。でも、約束したんです。必ず迎えに行くと」
巫は拳を握りしめた。
「だから、すべてを思い出さなければ。封印を解く方法も、きっと記憶の中にあるはずです」
その時、小さな光が窓から飛び込んできた。
ピノだった。
「届けました!」
誇らしげに胸を張る。
「銀の糸のおかげで迷わずに行けました! そして、返事も預かってきました!」
震える手で、巫は返信を受け取った。
『お姉ちゃんへ
返事、嬉しかった。
私はここで元気にしています。
月の庭園でお花を育てながら、お姉ちゃんを待っています。
急がなくていいよ。
私は時間の流れない場所にいるから。
でも、約束だけは忘れないで。
いつか必ず、会いに来てくれること。
お姉ちゃんの淹れるジャスミン茶を
もう一度飲みたいな。
月で待つ妹より』
涙が、止まらなかった。
ピノが心配そうに飛び回る。
「あの、私、ちゃんと届けられましたよね? 喜んでもらえましたよね?」
「はい」
巫は涙の中で微笑んだ。
「最高の配達でした。ありがとう、ピノさん」
ピノの顔が、花のように輝いた。
「やった! 初めて『ありがとう』って言われた!」
その後、ピノは何度も茶房を訪れるようになった。月と地上を繋ぐ、特別な郵便配達員として。
手紙は想いを運ぶ。
離れていても、心は繋がっている。
巫は妹からの手紙を大切に仕舞った。
必ず迎えに行く。
すべてを思い出して、本当の自分を取り戻して。
その日まで、手紙が二人を繋いでいてくれる。
ジャスミンの香りが、優しく店内を包んでいた。
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