(六)我討つは命にあらず

「しかし、よく武林たけばやし殿が承知されましたね」

 居間に遅めの昼食ちゅうじきを運んできた五百いおが、呆れたように正直な感想を口にした。先ほど武林邸から戻った璃々江りりえは、弟子の言葉に苦笑を浮かべるほかない。

「一客一亭の書状を書いたのは貴女あなたですよ」

 そう言ってから、璃々江は箸を手に取った。よく考えてみれば、今朝は朝食も採らずに杉平すぎだいら家老の屋敷に参上し、そこで咖哩を飲んだだけだった。一応、先ほどの武林邸でも、彼の咖哩は味わったが……。


「さ、まずはお食事を召し上がってくださいませ」

 五百は屈託のない笑顔を璃々江に向けた。昼食は、士分の主食たるメンマに香の物。そして今朝方とは違う咖哩が、湯呑みに注がれている。


「……そうですね。いただきましょう」

 璃々江は手を合わせてから、丼に添えられた蓮華を手に取り、メンマのスープをひと口すすった。

「鶏の出汁が、よく取れていますね」

 璃々江は正直に感想を口にしてから、メンマを箸でつまんだ。食べやすいように、細切りにされている。今日のメンマは、具に叉焼チャーシューと煮卵、海苔、小麦で打った麺に刻み葱という、ごく普通のメンマだ。スープは、鶏の出汁に醤油を合わせたもの。


「メンマは、樋浦ひうら様に教えていただいたとおり味付けしています」

 五百は、自ら作ったメンマを蓮華レンゲに乗せ、息で冷ました。樋浦家は、代々福羽藩メンマ奉行を務める家柄で、現当主の隼人はやとは、父の早世に伴い若くして家督を継いだにもかかわらず、領内のメンマ生産・流通の責任者という重責をつつがなく果たしている俊英である。

「なるほど。昆布出汁を効かせた、あっさりとした味ですね」

 柔らかい食感を楽しみながら、璃々江はもうひと口メンマを口にした。


「……武林様は、何とおおせられましたか」

 さり気ない口調で、五百が唐突に切り出した。璃々江が無事に帰ってきた以上、一客一亭への誘いに応じたことは分かる。しかし、その他に何か言うべきことがあるはずなのでは……?


 璃々江は蓮華ですくったスープをひと口飲んでから、小さく答えた。

「承知した、と――」

「元日の件も、お世継ぎの件も、火天流奥義の件も、口にされなかったと?」

 メンマの具である叉焼チャーシュースープに浸しながら、五百は気色ばんだ。が、すぐに恥じ、失礼を詫びた。

「申し訳ございません。差し出がましいことを申しました」

「よいのです。……本当は、私もいろいろ尋ねたかった」

 璃々江は、少し寂し気にメンマに視線を落とした。つい一刻いっときほど前の、武林とのやり取りが胸をよぎる。



「一客一亭の座か」

 書状に目を走らせた武林は、それを丁寧に折りたたみ、懐中に入れた。

「承知した。だが、明後日とは気忙きぜわしいことだな」

「申し訳次第もございません。事情が事情でございますゆえ」

 璃々江は深々と頭を下げる。本来なら、もっと余裕をもって客の都合をうかがうべきなのだが、杉平外記から与えられた猶予は五日。明後日というのは、ぎりぎりの日取りだった――二日残るが、外記は何か考えていると璃々江は警戒し、あえて明後日を選んだのだ。


「事情か」武林は、わずかに口元を緩めた。微笑、と呼ぶには皮肉の色が強い。

「そもそも、お前は討っ手ではなかったのか。討つ側と討たれる側が、一対一で咖哩の席とはな」

 そしてきびすを返し、背中ごしに問うた。「俺を討つのは上意のはず。殺さずに咖哩でもてなせ、とでもと命じられたのか?」


「命じられたのではございません」

 璃々江は静かに、しかし、はらに力を込めて答えた。

「私が杉平家老に申し出て、お許しをいただいたのでございます」


 武林は足を止め、目だけで振り返った。

「討たぬ、と申すか」

「討ちます」

 璃々江は黒々とした瞳で、まっすぐ揺るがぬ視線を返した。「討つのは、貴方の心でございます。火天流の奥義を極めること叶わず、すべてを捨てた貴方の、かたくなな心を――」



「璃々江様」

 五百の呼びかけに、璃々江ははっと我に返った。五百は心配そうに、師の顔をのぞき込む。

「メンマが冷めてしまいますよ」

 何事もなくほっとした、という口調で五百は指摘する。さとい彼女のことだ、おそらく武林と会った時のことを思い出しているのだろうと察したに違いない。だが、それを指摘しないだけの気遣いはできる弟子だ。


「そうですね。せっかく作ってもらったメンマ、温かいうちにいただかなくては」

 璃々江は本心からそう言って、メンマと、付け合わせの具である麺を同時に蓮華に乗せ、一緒にすすりこんだ。やわらかなメンマと、意外なほどコシのある麺の触感の違いが、璃々江を楽しませる。

「この麺も、樋浦殿に?」


「はい。ですが、さすがに私が打つのは無理ですので、先日樋浦様が持ってきてくださったものを熟成させました」

 五百も璃々江を真似て、メンマと麺を同時に口に運ぶ。

「何でも、小麦の粉から選び抜き、卵をふんだんに加えてコシを出したとか」


「あの御仁も、相当な数寄者ですね」

 璃々江は、もちもちとした麺の感触を楽しんだ。「メンマ奉行でありながら、具にすぎぬ麺に、ここまでこだわるとは」

「ですが、確かに美味しいです、この麺」

 五百はあっと言う間に麺をすすり込み、最後のひと口を名残惜しそうに、好物の煮卵と共に口に入れた。


「お父君ご存命のみぎり、メンマを減らしてもっと麺を増やしたい、などとおっしゃって、たいそうお叱りを受けられたとか」

 ふふ、と璃々江もつい笑ってしまう。あの青年とは、メンマと咖哩、それぞれの秘訣を交換教授する仲だ。そんな交流を重ねるうち、樋浦なら、メンマの主役になれる麺を作る、などとという大それたことも、いずれやってのけるだろうと感じるようになっている。


 璃々江はしばし、武林も、討っ手のことも忘れて、メンマの食事を楽しんだ。

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