Saṃsāra - 第6章 : 終焉

光の中、レイジの心は揺れていた。

思い出が波のように押し寄せ、ミーナの声、村の笑い声、あの日々の温もりが、彼を責めるように流れ込んでくる。

その瞬間――確かに彼は、ミーナの声を聞いた。

それだけではない。

背に飛び抱かれたときの、あの柔らかくも確かな感触。

確かに彼は、ミーナの“存在”をこの手で感じたのだ。

それなのに、どうして――

自分の中に残るのは、ただ深い混乱と喪失感だけだった。

そんな彼の前に、ガーヤが静かに立った。


「……哀れだな」


ガーヤは無表情のまま、冷ややかに言い放った。


「彼女は己の“役目”を放棄し、地球の意思に背いた。その報いとして、存在を保つことすら許されなくなったのだ」

レイジはその言葉に顔を上げる。


「そんなの……そんなのって……っ」


「感情に流され、自ら“個”を選んだ。その結末がこれだ。導き手として最も愚かな選択をした」

その言葉は、突き刺さるようにレイジの胸を貫いた。


「おまえは、彼女を守ったつもりで、消してしまったのだぞ」

その冷たい言葉に、レイジは言葉を失い、膝をついた。



「……嘘だ……っ」

レイジの拳が地面を打つ。怒りと混乱で、視界が滲む。


そのときだった。

『レイジ……』

ふと、静かな声が胸の奥に届いた。

それは、あたたかく、それでいて儚い響きだった。


『もう、泣かないで。……私はここにいるわ!』


レイジは息を呑んだ。

心の中に浮かぶのは、はっきりとしたミーナの姿。

その声は、その姿は、幻ではなく、確かに彼の中に“残っている”存在の証だった。


「ミーナ……お前……」

声にならない声を漏らしながら、レイジの呼吸がいったん落ち着くと同時に、

ガーヤが語りだした。


「……この星はな、長きにわたり“己だけ”を守る生き方を続けてきた。奪い、壊し、

嘆きながらも、変わることを拒んできた。だが、それも終わりに近づいておる」


「……どういうことだ」


レイジの問いに、ガーヤは答えた。


「この星は生きておる。魂を持ち、自らの成長を望んでおる」


「地球が……望んでる?」


「そうだ。変わることを、次の次元へ進むことを。 だがな……そのためには、“人”という存在の在り方が試される」


ガーヤの目がレイジを射抜くように見つめる。

「お前のような魂――記憶を持ち、痛みを知る者。 他者と繋がりながら、個の枠を超えた存在。お前が“鍵”となる」


レイジは苦笑いを浮かべた。


「鍵? 俺みたいな人間が?」


「だからこそ、じゃよ。痛みを知る者にしか、扉は開けぬ」

ガーヤは、レイジの前に眠っているミーナの身体を取り出したのだ。


レイジは目を見開いた。

愛する人と、ミーナと過ごした日々、村で交わした何気ない会話、子どもたちと笑い合った時間。

――それらが、すべて「誰かによって用意された舞台」だったとしたら?

その考えが胸を締めつけた。


「……全部、仕組まれてたってことか……?」


かすれた声が、自然と口から漏れる。

「俺が変わるかどうか、地球がどうとか……そんなのの“ため”に、あの時間があったのか……?」


まるで、誰かの意志で心を動かされていたような――自分の“人生”までもが、誰かの掌の上にあったような気がして、レイジは吐き気すら覚えた。


「……ふざけんなよ……」


歯を食いしばる。

あの日々は、嘘だったのか。

信じかけた想い、温もり、希望。

それらすべてが“試練”の演出だったというのなら、自分はただの駒じゃないか。


「だったら、なんで……!」


怒りと悲しみが爆発するように、レイジは叫んだ。


「なんであんな幸せを感じさせたんだよ! ミーナと笑って、子どもたちとふざけて……。 それが全部、“試すため”だったってことなのかよ!」


拳が、ぶるぶると震える。

悔しくて、哀しくて――そして何より、自分が信じかけたものが偽物のように感じてしまった、その事実が、何よりも耐え難かった。

そのときだった。

魂の奥底から、やわらかな声が響いた。


『――あの日々は、偽物なんかじゃないよ』


ミーナの声だった。

『私も、村の人たちも、あなたとの時間が好きだった。 あなたは……どうだったの?』


その問いに、レイジは驚き、息をのんだ。

でも、すぐに言葉が漏れた。


「……嘘じゃない。あれは、全部……本物だった」


絞り出すような声だった。

そしてその声には、かすかな震えと、強い想いが込められていた。

ガーヤの声は、どこまでも静かだったが、その奥に厳しさが宿っていた。


「お前には、まだ選択の余地がある。たとえば──ミーナと共に、生きる道を選ぶこともできよう」


レイジははっと顔を上げた。


「それは、とても自然で、甘美な願いじゃ。愛する者と生きる。誰もが求める幸福だ。しかし……」

そこからの言葉には、確かな重みがあった。


「それは、“個”としての幸福にすぎぬ。その選択は、多くの魂の目覚めを遅らせ、地球の進化を止めるやもしれぬ。ほんの一雫の甘き選択が、広大な流れを濁らせるのじゃ」


レイジは息をのんだ。


「……そんな大げさな話、俺には……」


「否。お前はすでに“鍵”とされた魂。お前の選択が、未来を変えるのじゃ」

少し間を置いて、ガーヤは続けた。


「今、ミーナの魂はお前と深く共鳴しているが……このままの在り方では、やがてその存在や記憶も消えてしまう。だが、地球が進化を遂げ、すべての魂が本来の形で融け合う世界が訪れるならば──ミーナとお前は、永遠にひとつになれるのじゃ」


「永遠に……」


レイジの胸に、何かが刺さるような痛みが走った。

だが、心の中で、ミーナの笑顔が浮かんだ。

彼女も、導き手という立場を越えて、最後には自分に手を伸ばしてくれた。


ミーナの声が、再びレイジの心に届く。

『 私を選ぶことで、多くの苦しみが生まれるのなら……それは、良いことじゃないと思う。 それに、その選択であなたに大きな罪を背負わせることになるなら、私は……そんなの、嫌 』


『たとえ消えることになっても、それは誰かに命じられたことじゃない。私自身が決めたこと。 私は……“人間として”、あなたと向き合ったの。だからそれは、私が生きた証なんだよ』


レイジは、ゆっくりと顔を上げた。 その眼には涙と共に、かすかな笑みが浮かんでいた。

「——うるせぇんだよ、全部!」 突然、レイジが怒鳴った。

「進化だの、誰かの為だの……知ったことじゃね!この地球がどうなろうと、俺はミーナが居ないといみがねぇんだよ!」

どこか懐かしさのあるその叫び。


過去のレイジと今のレイジが、ひとつに重なった瞬間だった。


「……ふふっ」

心の中から聞こえるミーナの笑い声。


「なんか昔のあなたに戻ったみたい」

「うるせーよ!!俺は最初からこうだ!」


二人の魂が輝き合うような、やりとりがレイジの心の中で響き渡っていた。

その響きが終わるころ、レイジは深呼吸するといつもの調子を取り戻したかのようにガーヤに向けて静かに語りだした。


「なあ、ガーヤ。偉そうなこと言ってるけどさ、結局てめぇも、この世界の歯車の一部だろ?俺はそんなものになりたくねえ。 なあ、あんたはミーナを見て何も感じなかったのか?」


ガーヤは静かに目を伏せた。

さらにレイジは空を見上げ、2人の想いを載せて啖呵を切った。

「俺の道は、俺が決める。誰にも指図されねぇ。ましてや、お前なんかにな!」

レイジは、石碑に向かって走り出した。


その顔は、過去でもなく未来でもない

――“今”を生きる者の顔だった。

誰かのためでも、何かの正しさのためでもない。

自分が選びたいから選ぶ。

その意志が、全身を貫いていた。


「俺が、選ぶんだ!」


心の中でそうつぶやくと、石碑の前で立ち止まった。

風が吹いた。冷たくて、でもどこかやさしい風だった。

レイジはまっすぐに石碑を見つめる。


「過去に操られるのも、誰かに救われるのも、もうごめんだ」

「俺は、俺の意志で前に進む」

「……ミーナと“ともに生きる”ために、ここに立ってんだよ」


その瞬間、石碑に刻まれた“文字”が淡く光り始めた。

レイジの意志に呼応するように、空気が振動し、森全体が息を飲むような静寂に包まれる。

だがレイジは、動じない。


「来いよ、地球。俺は、お前に従わねえ」


その声は、もはや誰の影も宿していなかった。

“選ばれた者”でも、“操られてきた者”でもない――

ただ、“自分自身で在る者”の声だった。

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