第4話 目指すのは自由だろ?
閑静な住宅街に、庭付きの豪邸がそびえ立っている。……東京の地価を考えると、やはり堤さんってとんでもないお金持ちなのではないだろうか?
「家族は皆不在ですし、どうぞお気兼ねなくお過ごしくださいね」
そう言って案内された家の中はとにかく、広かった。リビングルームまでの廊下は長く、通された高そうな調度品しかないリビングルームは、すでに俺の家の全部屋を足しても足りないくらいの広さだった。
今までの言動から予想はしていたものの、確信した。
堤千紗都は、超のつくお嬢様だ。
「侑里、はしゃいでモノを壊すなよ。俺らの親が白目向いて倒れるくらいの金額を弁償しないといけなくなるぞ」
「お前は私を五歳児だと思ってるのか? あ、見ろよ。あの花瓶とかきっとすげえ高いんだろうな」
「言ったそばからフラグを立てるんじゃねえ!」
侑里という危険物をハラハラしながら見守りつつも、何よりも気になっていた疑問を堤さんに尋ねた。
「ここに飾られている絵って、ご家族の?」
壁に飾られている油彩画の表現に統一性があり、それでいて俺の知らない絵ばかりだったから身内が描いたものだと推測した。
でも、なんだろ……見たことのある画風のような……。
「はい。父が描いたものです。ウチは父が画家で、母はピアニストなんです。兄は藝大を出てから彫刻の道に進みました。皆この家とは別にアトリエを所有していますし、地方での講演や展覧会も多いので家にいないことのほうが多いのです」
「うわ、すげえ。芸術一家ってやつだ」
その後父親の名前を聞いてみたら、グリザイユ画法に精通し国内のあちこちで講義もしている画家の「堤
身内に画家がいるってどんな感じなんだろう。ごく一般的なサラリーマンの父親を持つ俺には、皆目見当もつかない。
壁にかけられた絵画のなかで、一番俺の目を引いた絵を鑑賞する。
故意的に曲げられた懐中時計や不穏な色使いから、一見はおそらく時代の流れをテーマに描かれたサルバドール・ダリの『記憶の固執』を想起させた。
堤さんが隣で「父の自信作なんですけど、評価されなくて憤慨していた絵です」と苦笑しながら口にした。
誰かの目を惹きつけても、評価に直結するとか限らないのが芸術の世界だ。わかっていても、拳を握り締めてしまう。こんなにいい絵なのに。
「堤さんも将来は絵の道に進むの?」
「ええ。昨日オープンキャンパスに行った栄美は滑り止めで、本命は兄と同じ藝大です。それからゆくゆくは……と考えています」
「そっか。じゃあいずれどこかの画壇で会うかもしれないな」
「え?」
「俺も画家になりたいって思ってるから」
俺にとっては当たり前でしかない宣言だというのに、堤さんは心底驚いたような顔をしていた。
「わたしが言うのもアレですが、狭き門ですよ……?」
「知ってるよ。それでも、目指すのは自由だろ?」
きっと自信過剰のイタい男に見えているのだろうなと思いながらも、この夢に関してだけは臆さないし逃げ道を用意したりもしない。
それをしてしまうような奴は、柏崎侑里を追い超すことなんてできやしないから。
「千紗都が描いた絵が、見たい」
俺と堤さんが話しているところに、侑里の声が差し込まれた。
「わ……わたしの絵、ですか?」
堤さんの顔が明らかに強張った。……侑里にも認められる絵を描けるっていうのに、こんなに不安そうになるのか?
「堤さんが良ければ、俺にも見せてほしい。ダメか?」
侑里をフォローしたわけではなく、単純に俺も興味があった。堤さんは少しだけ逡巡した様子を見せてから、覚悟を決めたように口を開いた。
「……いいですよ。別室に保管してありますので、ついてきてください」
それから口数が減ったどころか何も喋らなくなった堤さんの後ろを歩き、俺と侑里は地下の一室に到着した。
電気が点けられる。おびただしい量のキャンバスが俺たちを出迎えた。
保管するためだけの部屋が用意されているなんて驚きだ。展示室というわけでもないから保管状態はいいとは言えないものの、きょろきょろと部屋の中を見回して絵の道を志す同志の努力の結晶を眺める。
ただ、気になったのは……リビングルームと違って、ほとんどのキャンバスが室内の至るところに乱雑に置かれていることだった。
一作ごとに心血注いで絵を仕上げる俺にとっては考えられないほどに、彼女は自分の絵をぞんざいに扱っている。いくら他人事といえども、絵を愛する俺は不快感を抱いていた。
「もっと自作を大切にしたほうがいいよ。これじゃ、堤さんに生み出された絵がかわいそうだ」
「大切にしていないわけではないです。……床の上の絵は全部、父に認めてもらえず飾ることを許されなかった作品なんですよ。もっと出来が悪いものはすぐに捨てられていますから、これでも少ないほうですね」
コンクールで賞を取ったという絵は額縁に入れられて壁面に飾られてはいるものの、それ以外の落選した絵や練習で描いた絵のすべてが、まるでゴミであるかのような扱いを受けているようだった。
俺は床の上に置かれていた一枚のキャンバスを手に取った。……普通に、上手い。構図もいいし、デッサンにも狂いがない。
他の絵も二枚、三枚と次々に手に取ってみた。コンクールに入賞していたってなんら不思議じゃない作品ばかりなのに、堤慎吾のお眼鏡に適うのはどうやらとても困難らしい。
「……親だからって、子どもが描いた絵の尊厳を傷つけていいわけじゃない。堤さんが描いた絵は、堤さんだけのものだろ?」
堤さんは口元に笑みを湛えたまま、何も反論することはなかった。
「わたしの事情はまあ、置いておいて。……それより小宮さん、侑里さん、絵の感想を教えてください」
俺と侑里を交互に見て微笑んだ堤さんだったが、明らかに侑里の様子を気にしている。
まあ、気持ちはわかる。侑里は人の絵を見て感想も批評も言うことはしないけれど、絵の天才に内心でどう思われているのかはどうしたって気になるもんな。
「めちゃくちゃ上手いなって思ったよ。この服のレースの陰影のつけ方とか、どうやって描いたの?」
俺は俺で思ったままの感想を口にした。一つ歳下だから聞くのが恥ずかしいとか、そういう概念は俺にはない。せっかくの機会だ。彼女の技術を教えてもらいたいと思った。
堤さんはもったいぶらずに、幼い頃から受けてきたであろう知識と技法を丁寧に解説してくれた。素直に感謝だ。
「ありがとう! ほんとに助かる!」
「小宮さんのお役に立てたならよかったです」
「なあ、千紗都」
俺たちのやり取りを他人事のように聞いていた侑里が、ついに口を開いた。
「は、はい!」
堤さんの体が一瞬にして硬直した。その顔は明らかに緊張している。俺にまでその緊張が伝わってくるかのようだ。
「ずっと気になってたんだけど」
気がつけば俺の鼓動まで早くなっている。堤さんの鼓動はきっと、俺の倍くらいになっているのだろう。
そしていよいよ、侑里はその唇を開いて――。
「夕ごはんはどうすんの? 私、超お腹減ってんだけど」
「……ええ……?」
俺と堤さんのふたりを一気に脱力させた。……何を言うかと思えば、相変わらずなんて図々しい奴だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます