第5話 かくしごと
「あ、あの! 侑里さん!」
痺れを切らしたであろう堤さんが、侑里にぐいっと詰め寄った。
「わたしの絵、どう思いますか?」
真剣な眼差しを向けられた侑里は真面目な顔になった。だがそれも一瞬で、すぐにいつもの飄々とした笑みを浮かべていた。
「さあ? その答えはお前が一番よくわかってるんじゃないのか?」
「…………はい」
堤さんは黙り込んでしまった。ふたりの会話を俺だけが理解できない。
「腹も減ってるけどさ、その前に千紗都の部屋に案内しろよ。お嬢様ってやっぱり、天蓋付きのベッドで寝てんの?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
自室だったら男の俺が入るのは堤さんも抵抗があるだろうし、この部屋に残って絵を鑑賞していようと思っていたのだが、
「なにしているんですか、小宮さん。電気を消すので早く部屋を出てください」
「え? 俺も?」
「当たり前じゃないですか。わたしが仲間外れをするイジワルな女に見えますか?」
……そういう意味じゃないんだけど。
侑里は言わずもがなだけど……ふたりとも少しだけ普通の女子とは感覚がズレているのかもしれない、と思った。
堤さんの部屋は“お嬢様”なイメージとは違って、モダンとでもいうのか、白と黒を基調とした大人っぽい部屋だった。
「やっぱり、芸術関係の本が多いんだな」
色彩論、西洋美術史入門、創造力の伸ばし方……本棚にあるのは絵に関する本と、高校の参考書と、流行りの小説くらいだった。
それらのラインナップを見ながら、俺は違和感を覚えた。
「あんなに漫画が好きなのに、部屋には一冊もないんだね」
好きな漫画家――南條先生のサイン会にまで足を運ぶくらいのガチファンでも、本棚にはそのことを予想させるものは何もなかったのだ。
「漫画は全部電子書籍で購入していますから。ほら、これを見てください」
堤さんから手渡されたタブレットの中には、電子で購入したという漫画がたくさん入っていた。
少女漫画だけではなく少年漫画や青年漫画も幅広く揃えていて、同じく漫画好きの侑里は「すっげー! これ、読んでいい?」と堤さんの許可を得る前に、流行りのバトル漫画の最新刊を読みはじめていた。
「都会の子は皆、電子書籍で買うのが普通なのか?」
目を瞬かせた堤さんは、おかしそうに笑った。
「わたしのことを世間知らずのお嬢様だって思っているでしょうけど、小宮さんだって田舎者を拗らせていますよね」
「……めちゃくちゃ悪口じゃねーか」
「ふふっ、ごめんなさい。小宮さんと話すとリラックスできるので楽しくて、普段は言わないようなことまで口にしてしまいます」
……そんなことを言われたら、口を閉ざすしかなくなってしまった。
「わたしは電子じゃないと……漫画を紙で買ってしまうと、『こんなものを読んでいる時間があるのか?』と怒った父に捨てられてしまうので。今日いただいた南條先生のサイン本も本当は飾りたいのですけど……隠さなければなりません」
堤さんから親の話を聞く度に、眉間に皺が寄ってしまう。
上手く描けなかった絵を子どもの許可を得ないまま捨てたり、漫画を読むことを良く思わなかったり、堤さんの父親にはどこか詩子の母親と同じにおいを感じる。
詩子のあの、言いたいことを言えずに我慢をしている表情を思い出した俺は、「そうなんだ」で流すことなどできるはずがなかった。
「なんだよそれ。さっきから聞いていれば堤さんの親、結構ひどくないか? 嫌なことは嫌って言わないと、親だって人間なんだから伝わらないぞ」
詩子は勇気を振り絞り、俺たちとの繋がりを許された。
自分で行動しないと変わらないことはある。もし堤さんに行動する勇気がないのなら、できるだけ力になってあげたいと思った。
「小宮さんは誤解していますよ。わたしは両親に何度も漫画の素晴らしさを話しています。ですが、受け入れてもらえないのです。変わらないから、こっそり行動するしかないんです。絵のほうは、まあ……わたしも納得する出来なので仕方がないとは思っていますが」
無意識に詩子を重ねてしまったことは反省しないといけない。堤さんは堤さんなりに反発して、それで納得のできる現在を過ごしているのであれば、下手に俺が口を出すべきではないのかもしれない。
「……でも、俺は嫌だな。そういうの」
そう頭では納得していても、心が追いつかない。そんなガキそのものの俺の発言を聞いていた侑里が、
「宗佑はさあ、昨日会ったばかりの女を口説こうとしてんのか?」
タブレットから目を離さないまま、溜息混じりに口にした。
「茶化すなよ。そんなつもりじゃねえよ」
「お前がどう思うかじゃなくて、千紗都がどう思うかだろ?」
そう言って侑里が視線を俺に移したとき、それはまさに正論な気がして俺は言葉を呑み込んだ。
「千紗都に聞きたいことがあるんだけど」
「は、はい! なんでしょうか?」
急に話を振られた堤さんは、デリカシーに欠けた俺たちの会話のせいか少しだけ顔が赤くなっていた。
「お前はこんなに漫画が大好きなのに、漫画家になろうとは思わなかったのか?」
それはきっと侑里の、いつもの素朴な疑問だっただろう。
俺は別段、何も思わなかった。俺は好きなことと将来の夢がイコールで繋がるタイプだけど、逆に好きなことは仕事にしたくないと語る人も多いことを知っている。
「ええ、わたしは漫画が好きですが、描こうとは……」
どうやら堤さんも後者タイプだったようだ。だが、笑顔でそう答えながらも……彼女は言葉を詰まらせた。
侑里の青い瞳がじっと、堤さんを見据えている。まるで何もかもをお見通しだと、言わんばかりに。
あの瞳に俺は滅法弱いが、それは堤さんにも効果てきめんだったようだ。
「……わたし、ほ、本当は……画家じゃなくて、漫画家になりたいんです」
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