第5話 再会
オープンキャンパスの後はせっかくだから東京観光をしようと決めていた俺と侑里に、とても心強い“大先輩”がエスコートしてくれると申し出てくれて、お言葉に甘えることになっていた。
清野が心から行きたがっていた渋谷にて、かの有名なハチ公の近くで俺と侑里は彼女を待っていた。
人の往来が激しすぎて目眩を起こしかけていても、その人のことはすぐにわかった。人混みの中でも、帽子にマスクで顔をほとんど隠していたとしても、彼女だけ纏っている空気が違うからだ。
「久しぶりー! ふたりとも、元気だったあ?」
目の前に現れたのは、発光しているかのごとく輝く美しい人だった。
――菅原楓先輩。今年の三月に舞瑛高校を卒業していった、一つ年上の先輩だ。
今でも信じられないけれど、俺はこの人から恋愛感情の類の好意を告げられたことがあるのだ。
先輩が上京してからも時々、先輩は芸能人として仕事をしながら、忙しい合間を縫っては俺に電話をかけてくれたり、メッセージを送ってくれたりしていた。
写真を送ってくれたり、テレビ電話をしたときもあってどんどん綺麗になっていく先輩を見ては内心ドキドキしていたけれど、画面越しで見るのと実際に見るのとでは全く違った。
やばい、綺麗すぎて顔が見られない。舞森にいたときから圧倒的な美しさとオーラで周囲の視線を占領してきた先輩は、洗練された美しさに磨きをかけていた。
「お、お久しぶりです。先輩もお元気そうで何よりです。ご活躍も――」
しどろもどろになってしまった俺に近づいてきた先輩に、ぎゅっと真正面から抱きつかれて息が止まった。
「んー! 会いたかったよ宗佑!」
頬と頬が触れ合っている。耳元に透き通った声が届く。とてつもない甘い匂いと官能的な痺れで、脳味噌がおかしくなりそうになる。
見事に硬直してしまって動けない俺から引き離すように、侑里が先輩の肩を叩いた。
「東京って外国だったっけ? ハグが挨拶だなんて初耳だな?」
相変わらず生意気な口を利く侑里の手を、先輩はうれしそうに握った。
「侑里も変わらないねー! あ、ちょっと可愛くなった?」
「私は元から絶世の美女だ」
決して仲が良さそうには見えないのに、仲が悪そうにも見えない。
このふたりのそんな距離感や空気感は互いにまんざらでもなく思っているのか、侑里も先輩も顔を見合わせて笑っていた。
「今日は俺たちに東京を案内してくれるなんて、本当にありがとうございます。お忙しいところすみません」
先輩はじっと俺の目を見つめた。……俺、何か変なことでも言ったか?
「ねー宗佑、あたしもう卒業してるわけだし、先輩じゃなくて『楓』って呼んでよ。敬語もなしで!」
「ちょ、ちょっと急にはハードルが高いですよ……」
「えー? 侑里を見習ったらどう? この子は初対面からタメ口だよ?」
「……こいつの図々しさは特殊なレベルなので」
言葉を濁して逃げようとする俺を、先輩は決して許さなかった。
「ダメー♡ おのぼりさんをエスコートしてあげる優しい先輩の頼みを、聞いてくれないのかな?」
甘い声で小首を傾げられたら、どうしたって可愛いと思ってしまう。元々恩がある分、お願いされたら俺は弱いのだ。
「……か……楓…………先輩」
それでも、今はこれが精一杯だった。顔が赤くなっていることを熱で自覚していると、先輩は俺の顔を覗き込んでニコッと笑った。
「はーい♡ まあ、ゆっくりでいいかな。あたしこの半年くらいで結構、待つの得意になっちゃったし」
意味深な視線を俺に向けてから、先輩は先に歩き出した。
「じゃ、行こうか。あたしについてきてね」
「行き先は先輩にお任せしていますけれど、どこに行くつもりですか?」
東京には観光地がたくさんある。光地美術館には絶対行ってみたいし、原宿で流行りのやつも食べてみたい。ちょっと渋いけれど浅草も行ってみたいし、修学旅行では行けなかったスカイツリーとかも一度は見てみたい。
「あたしね、ふたりと一緒に行きたいところって決まってるの」
先輩はかの有名なスクランブル交差点を渡りながら、白い歯を見せた。
「買い物行こ! 宗佑も侑里も、あたしが超可愛くしてあげるから!」
☆
先輩と一緒に訪れたファッションビルは、舞森のショッピングモールが足元にも及ばないのはもちろん、俺が都会だと思っている札幌ですら霞んで見えてしまうほどだった。
普段だったら絶対に入ることのない店に入らされ、先輩が楽しそうに侑里の服を選んでいるところを待機するのは居心地が悪くて、時間が経つのがめちゃくちゃ遅く感じた。
詩子は今、山梨で勉強合宿中だ。集中するだろうし、この三日間はメッセージを送らないと先日やり取りしてしまったことを軽く悔やむ。邪魔したくない気持ちはもちろんあるけど、オープンキャンパスで抱いた気持ちをすぐに詩子に伝えたかった。
「そーすけー! こっち来てー!」
なんて思っていると、いつの間にかテンション高めの先輩が目の前に立っていて、俺の手を引いて試着室の前まで連れていった。
「な、なんですか?」
「じゃーん! 見てみてー!」
俺が言葉を発するよりも先に、先輩によってカーテンが開かれた。
その中にいた少女が、初めは誰なのかわからなかった。
……いや、厳密に言えばわかっていたのだけれど、長年の固定観念というか、脳味噌が認識できなかったというか、バグを起こしたというか。
女の子は服やメイクで印象が変わるのだと清野はよく口にしているが、その言葉の意味を思い知る。
「制服以外でスカートを穿くなんて、小学生のとき以来だ。どうだ? 似合うか?」
十七年間も一緒にいるのに、こんなにお洒落をした侑里を見たのは初めてだった。
「黒のキャミワンピにシャツを合わせてみましたー! キャップを被るとほら、めっちゃ良い感じ!」
ファッションに疎い俺は先輩が説明してくれてもよくわからないのだが、とにかくよく似合っていると思った。普段の侑里と、全然違う。認めたくないけれど、可愛いとしか言いようがない。
「どうだ宗佑、見惚れたか?」
「……先輩の功績が九割だけどな」
「一割は私そのものに惹かれたってことか。素直じゃないな」
どうしてこいつはこう、俺の揚げ足を取ることにこんなに長けているのだろうか。
「よーし、侑里の服は決定! あたしが買ってあげるから、このまま着て帰ろ! そんで次は宗佑だね! お店移動するよー!」
先輩の行動力には見習うべきところがたくさんある。だからこの人と一緒にいると、いつだって前向きなパワーを貰える気がするんだろうな。
俺が描けなくなったときにも、先輩の言動に心から救われた。視界が拓けたのだ。……俺はもっと、この人に感謝しなければならない。借りたままの恩もまだ、返せていないわけだし。
あれよあれよという間に先輩に連れられてメンズ服の店に入り、俺が普段買っているTシャツより〇が一個多い服に目玉を飛び出させていると、着せ替え人形のごとく「これとこれ! 絶対似合うから!」といろんな服を試された。
最終的にはシンプルな黒のセットアップに落ち着き、先輩は満足そうに頷いた。
「やっぱ、宗佑って格好いいよ! あたしの目に狂いはないしね!」
買ったばかりの服を早速着て歩くことになり、ソワソワしている俺の腕に先輩は絡みついてきた。ドキッとする暇もなく、先輩は「じゃあ行こう!」と足取り軽く進んでいく。
高い建物も多すぎる人の数も、普段は全く無縁の世界に生きている俺にとって。
東京の刺激的な空気で十分にはしゃげる田舎の高校生の俺にとって。
先輩と遊んだこの日は、本当に楽しい一日になった。
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