第6話 先輩の家
二十時を過ぎた頃、今日泊めてもらう予定の先輩のマンションにやって来た。
さて、ここで釈明をさせてもらおう。
事前に俺に「ウチに泊まりなよ」と提案したら断られると予想していたのか、先輩は侑里のほうにメッセージを送っていた。侑里は当然あの性格なので「お金が浮いてラッキー!」くらいの感覚で簡単に了承し、俺には「ホテルは私が手配しておくから」と伝えていたのだ。
だから俺が今日泊まる場所が先輩の家だということを知ったのは、数時間前で……やっぱり、言い訳にしかならないな。詩子、ごめん。侑里もいるし、誓って変なことは考えないからな!
マンションはセキュリティが万全で、オートロックもフロントマンも初めて見た俺は今日何度目になるであろう「すげえ」を連呼し、侑里に呆れられた。
「でも、ほんとに事務所的には大丈夫なんですか? 男を家に入れるって……」
エレベーターの中で、改めて尋ねる。今をときめく人気モデルが高校生男子を家に連れ込んだとか、「地元で育んできた純愛?」だとか俺の頭に一瞬にしてありもしない記事の見出しが広がっていく。
戸惑う俺を見た侑里は、呆れたように溜息を吐いた。
「何を心配してんだ。どこの記者が見たところで宗佑が楓の彼氏だと勘違いされる可能性はゼロだ。安心しろ」
「う、うるせえ! そういう問題じゃなくて、俺は先輩のブランドイメージを考えてだな、」
「あはは、大丈夫だよ。そもそも侑里もいるし、写真を撮られても高校の後輩って言えば問題ないよ。ね、そうしよ!」
「……すみません、今日はお世話になります」
「うん、お世話します♡」
エレベーターから降りて玄関ドアの鍵を開ける先輩の後に続いて、俺と侑里も家の中にお邪魔した。
「めちゃくちゃ広いし、綺麗ですね!」
「そう? 事務所が手配してくれたマンションで他の物件を見ていないから、広さとかの相場がよくわかんないんだよね。あ、適当にその辺に座ってね」
「私、早くシャワー浴びたい」
マイペースな侑里が、人の家だろうと自分の欲望を優先しようとしていた。
「じゃあ案内するね。タオルとパジャマは貸すよー」
ふたりが脱衣所のほうに行き、ソファーに腰掛けた俺は息を吐いた。
数ヵ月前まで先輩も舞森に住んでいたっていうのに、今はもうこんなにも生活スタイルが違う。こんな人に絵のモデルを引き受けてもらいながら自分から断るなんて、俺はすげえ我儘で贅沢で失礼なことをしたんだな。
「それにしても、あたしの手料理を食べられるチャンスを逃すなんて残念だったね? また次の機会にってことで、楽しみにしてて」
戻ってきた先輩が俺の隣に座り、ふたり分の体重でソファーが沈んだ。
「泊めていただけるだけで十分にありがたいですよ。でも、先輩の手料理は食べたかったですね」
素直な気持ちを口にすると、先輩は唇を尖らせた。
「んー……そう言われちゃうと、あたしのほうがチャンスを棒に振った気がするー……からかうつもりだったのに~」
「え、そうだったんですか? じゃあそれは俺が少し、成長したってことで」
笑っていると、先輩の手が俺の左手を握った。
「せ、先輩……?」
「あたしがあげたブレスレット、つけてきてくれたんだね?」
先輩は俺の左手首で輝くそれを見て、うれしそうに微笑んだ。
「……せっかく会うのなら、つけない理由はないでしょう」
「大事にしてくれているって、思ってもいいの?」
「先輩に喝を入れられたことを思い出すので、支えられています」
「……あたしが聞きたい言葉と微妙にピントをずらしてくるのは、わざとでしょ? ほんと、宗佑って変わらないね」
「成長したつもりでしたけど、先輩が言うならまだまだなんでしょうね」
このシチュエーションで綺麗な碧眼に見つめられてドキドキしないわけもなかったけれど、ただでさえアウェーなこの状況で平静を装えなければ、先輩の魅力に飲み込まれてしまいそうで怖かった。
先輩は俺から手を離して、「何か飲む?」と腰を上げた。アイスコーヒーを持ってきてくれた先輩は再び俺の隣に座り、今度は軽い感じで尋ねてきた。
「最近どう? なんて、無難な話題は面白くないと思ってたんだけど、宗佑の進路はやっぱり気になっちゃうな」
「相変わらず毎日絵を描いてばかりいますよ。……美大に行きたいので実技を含めた受験勉強は想像以上に大変なんですけど、それなりに充実した日々を送っています。ただ……」
先輩の大きな瞳が、俺を見ている。この瞳を前にすると、俺の中の弱い部分を引き出されてしまう。
「……変わらないといけないとは、思っています。今のままだと俺は、自分の夢を叶えることが難しいと思うので」
俺が今、ぶち当たっている課題。“自由”に絵を描くということ。
自由に描くって一体、なんだろう?
殻を破りたい。侑里が愛し、得意とする“自由”を、俺も表現できなければあいつを超えることはできない気がするのだ。
……こうして頭で考えすぎている時点で、もしかしたら厳しいのかもしれないけれど。
「うん、それでこそあたしの好きな宗佑だ」
優しく頭を撫でられた。
「ウダウダ言って、悩んでいるところがですか?」
「向上心しかないところだよ」
顔を近づけられて、一瞬で体温が上がった気がする。相変わらず綺麗な顔をしていて、情熱的で……魅力的な人だと思う。
「ちなみに今のは、わかりやすいアピールのつもり」
「……またそういうことを言って、俺を悶々とさせるつもりですね?」
分の悪い戦いからわかりやすく逃げようと顔を背ける俺の頬に、先輩からの視線が突き刺さる。だけど先輩は何も言わないまま、背もたれに体を預けた。
その理由は、近づいてくる足音で察した。
「あー、サッパリした。楓、サンキュー」
タオルで頭を巻いた風呂上がりの侑里が、俺が飲んでいたアイスコーヒーのグラスを勝手に呷った。出てくるなり騒々しい奴だ。
「ちょっと侑里ー、ちゃんと髪の毛乾かしなよー。綺麗な髪がもったいないよ」
「えー、面倒じゃん。夏はすぐ乾くからいいだろ」
正反対のふたりだが、俺はそんなふたりのやり取りを見るのが嫌いではなかった。
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