第4話 才能は枯れるもの?
……誰だろう? 俺には心当たりがない。
「侑里さんがオープンキャンパスに来るなんて、意外でした。あなたは型にはまらないタイプだと勝手に思い込んでおりましたので、受験や大学なんて眼中にないものだと」
背が低く、顔の面積に対して瞳の大きい、外見だけなら中学生くらいにも見える童顔な大学生だった。
だが彼女が持つ物怖じしないオーラなのか、堂々とした話し方なのか。俺は彼女にしっかりした人だという印象を抱いた。
「まあ、こいつの付き添いでな。一人じゃ電車も乗れない田舎者なんでね」
侑里に肩を叩かれた俺は、引きつった顔で会釈した。オープンキャンパスに行きたいと言ったのは俺だが、むしろ引率者は俺のほうだろ! ……と、ツッコミたい気持ちをぐっと堪えた俺は偉い。
このふたりの関係性がわからない以上、下手にしゃしゃり出るのは迂闊かもしれないと思ったからだ。
「そうだったのですね。ごめんなさい、侑里さん。芸術に特化された方だと、日常生活ではどこか抜けているタイプではないかという思い込みがありまして……」
やはり、そうだ。至極丁寧な口調だけど、侑里に対してはやけに刺々しい。……この人、もしかしたら過去に侑里に何かされて、恨みを抱えているのではないだろうか?
「光地絵画大賞展では大賞受賞、おめでとうございました。ここ数年はめっきりお名前を聞かないので、才能が枯れてしまったかと思っておりましたが杞憂だったようですね」
無礼な言葉を浴びても侑里は飄々としていたが、噛みついてしまったのは俺のほうだった。
「才能が枯れるっていう表現は、少々失礼なんじゃありませんか?」
彼女たちの四つの瞳が、俺に向けられる。俺のことなんて侑里のおまけくらいにしか思っていなかったであろう女性は、小首を傾げた。
「わたしの個人的な考えですが、どの業界でも才能を切り売りするやり方では、長くは続かないと思っています」
「どういう意味でしょうか?」
「才能は無限に溢れ出てくるものだと思っていませんか? 違います。才能だって枯渇します。何もしなければ砂漠の中のオアシスの水と一緒で、いつかは消えてなくなってしまうのですよ」
彼女の言葉の一つひとつになんで俺がこんなにイラついているのか。悔しいけれど理由はちゃんとわかっている。
「俺の侑里を、そんじょそこらの天才と一緒にしないでください。こいつは絵を描き続ける限り、いつまでも輝き続ける。枯れるなんて言葉、二度と使わないでほしいです」
俺の中で絶対的な目標であり憧れの存在である侑里を侮辱されることは、何よりも耐え難い怒りだったからだ。
彼女は目を瞬かせていた。
「え? なんですかあなたのその、侑里さんに対する絶対的な信頼は。侑里さんは……天才は、神様ではありませんよ? 十八歳の、人間の女の子です。あなたは侑里さんのことを神格化しすぎです」
「なんでそこまで侑里を否定するんですか?」
「どうしてそこまで侑里さんを肯定するのですか?」
目と目が合う。どこまでいっても平行線だ。侑里に関しての意見だけ、この人とはわかり合える気がしない。
「わかったわかった、お前たちが私のことを大好きだってことは、よくわかった。もっと私を取り合ってケンカしていいぞ」
侑里にこう言われてしまうと反論したくなるのは俺だけではなく、この人も同様だったようで、互いに気まずさを覚えながら目を逸らした。
「……それでは、わたしはここで失礼します。それでは侑里さん、いずれ、また」
彼女は侑里に一礼してから、この場を後にした。
「……今の人、誰?」
「あー……
「年下⁉ ど、童顔だけど大学生かと思ってた……で、侑里はあの人と知り合いだったのか? 友達、って感じには見えなかったけど」
「昔から絵で賞を取ったときはさ、大抵あいつが一緒に表彰されていたんだよな。毎回しつこく話しかけられるもんだから、ついに覚えただけ。宗佑は私しか見えていないから千紗都のことは視界に入っていなかっただろうけどな」
淡々と話す侑里の話を平然と聞いている振りをしながら、内心では驚きと動揺を隠せなかった。
人の顔と名前を全然覚えようとしない侑里が、多くても年に数回しか会わないであろう一人の女の子を覚えているだと?
聞かずにはいられなかった質問が、口をついて出た。
「ゆ……侑里は堤さんの絵が上手いと、思うのか?」
「まあ、下手ではないよな」
息が詰まった。侑里に上手いと思わせる絵を、俺も描きたい。
嫉妬心が湧き上がってくる。そしてこの瞬間、堤千紗都という名前とあの童顔は、俺の脳裏にも強く焼き付けられた。
「なんだ、宗佑? 『俺も侑里先生に褒められたいのに! ズルい!』って顔をしているな? 夜ごはんでも奢ってくれたら、いくらでも褒めてやるぞ?」
「そ、そんな顔してるわけないだろ! ……そろそろ帰るぞ。俺らみたいなおのぼりさんは、人の流れに沿って帰らないと駅に辿り着けそうにないからな」
辛うじて突っ込みは入れたものの、混乱と困惑で思考が上手くまとまらない。俺は侑里とちゃんと会話できていたのだろうか?
歩を進めながら、拳を握り締める。
「……なんで、言い返さなかったんだよ。いつもの侑里なら100倍にしてやり返してるだろ」
「怒るところなんてあったか? 他人の嫉妬やら僻みやらはもう、なんとも思わなくなったからな。お前から特大ラブレターを貰ったあの日から」
「ぐっ……それを言うのは卑怯だぞ……!」
あの絵を描いているとき、描き上げたとき、そしてそれを侑里に受け取ってもらうまでは脳から何かが大量放出されていた俺は、侑里に抱く感情のすべてを曝け出したことになんの抵抗も抱かなかった。
しかし時間が経てば経つほどひたすらに恥ずかしくなってきて、穴があったら入りたい心境になってくるのだった。
侑里はそれをわかっているからこそ、定期的に話題にしては俺を恥ずか死させようとしてくるのだ。
「愛される女の余裕ってやつかな?」
「もうそれ以上喋るな……俺が悪かったから」
侑里はニヤリと口角を上げて笑う。……悪魔か、こいつは。
……だが、侑里が俺の絵を大切にしてくれているという事実は、こそばゆいが悪い気はしなかった。
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