第8章:わたしのための世界

 その朝、まなはなつきに手を引かれながら、東京ビッグサイトの入口に立っていた。


 「え、ここ……なんのイベント?」


 「ドールショー。今日、姉さんが出展してるの」


 (ドール? 人形……? いやいや、なんでそんなとこに……)


 案内されたホールの一角には、まるで童話の一場面のようなブースが設えられていた。


 アンティークの花模様カーペット、クリーム色のレースで飾られたセット、ヴィクトリアン調の木製チェア……

 その中央、真っ白なティーテーブルの脇に、ドレスを纏った一体の球体関節人形が座っていた。


 金糸レースに縁取られた、純白のロリィタドレス。

 細く伸びた脚、すらりとした指、やや外を向いたつま先。

 その顔は――まな自身によく似ていた。


 (うちやん……これ、うちがモデルやん……)


 「姉さん、展示物は控えめにって言われてたのに……これ、ほぼ、舞台だね……」


 ブースの中に入っていくと、つばきが愛用の一眼レフを首にかけたまま、微笑んで迎えた。


 「来てくれて嬉しいわ、まなちゃん。今日は――主役だから」


 (うち、主役?)


 「はい、ここ座って。ドールの隣ね」


 指示されるまま椅子に腰掛ける。目の端には、隣に置かれた「まなドール」が見えた。


 会場を歩いていた人々が、次々に足を止めていく。


 「あれ、あの子……本物? いや、人形じゃないよね?」


 「え、本物? 横の子にそっくりじゃない?」


 「実物展示って書いてある!?」


 (……展示……物……やて)


 「じゃあ、もう一段ギア上げるよ〜」


 なつきの声がした。

 振り返ると、なつきはフリルの入ったメイドドレスに着替えており、その手には60cmのメイドドールを抱えていた。


 「これ、まなちゃんの後ろに立てるね」


 なつきはメイドドールを、まなの背後に据え付け、自身もその構図をなぞるように後ろへと立った。


 まなの背後に、メイド人形。

 その背後に、なつき。


 会場の空気が一気に変わった。


 「うわ、完璧すぎる!」「構図えぐい……!」「写真撮っていいですか!?」


 「撮影、どうぞ」とつばきが微笑むと、次々にカメラを構えた人たちがブースに群がり始める。


 (うち、完全に人形枠やん……)


 フラッシュが焚かれる。シャッター音が鳴る。

 なつきの手がそっと、まなの背に添えられた。


 {似合いすぎて笑える。……けど、それってつまり、まなちゃんが、私たちの世界にちゃんと溶け込んだってことだよね}


 まなはため息をついた。


 (……まあ、でも)


 (逃げ場も、もうないし……なんやかんやで、幸せなんやろな)


 展示されるような人生。人形みたいな日々。

 だけど、それは――

 あの夜、泣きながら抱きしめたぬくもりの延長にあるものだった。


 ――この世界は、わたしのための舞台なのかもしれない。


 夕食後のマンションは静かで、窓の外には都心の灯りが滲んでいた。


 まなは、リビングのソファに座っていた。膝にはフリル付きのクッション。前には低いテーブルと、なつきが丁寧に盛り付けた苺のタルトと紅茶。


 (東京の夜って、こんなに……静かで甘いんや……)


 フォークを持ち上げながら、ふと疑問が口をついた。


 「先輩……あの“まなドール”、なんで作ろう思たんですか?」


 つばきは、タルトの上にひとさじのクリームを載せながら、答えずに微笑んでいた。


 しばしの沈黙の後――


 「わたしね、まなちゃん。ずっと、“完璧なモデル”を探してたの」


 [自分の中にある理想を、現実に重ねるなんて傲慢だって思ってた]

 [でも、それでも、どうしても……誰かに着せたくて。飾りたくて。撮りたくて]


 「でもね、それが現実でできるようになると……自分が“やばい側の人間”だって気づいてきたの」


 [このままじゃ、わたし、間違いなく犯罪に手を出すって]

 [だから、その欲望を……“ドール”に全部投影することにしたの]


 (うち、いま、すごい話聞いてる気がするんやけど)


 「それが始まり。気づいたら、有名な人形サークルになってて……ありがたいことにドールの注文も増えて、個展も開けるようになったの」


 つばきは、ティースプーンで紅茶をくるくるかき混ぜる。


 「でもね、まなちゃんに出会って、すべてが崩れた」


 [完璧だったの。ドールじゃない、“人間”の中で、あんなにも美しく、着せる価値のある体型がいるなんて……]


 つばきは頬杖をついて、まなの方へにっこりと微笑んだ。


 「だから我慢できなかったのよ。わたしの我慢、超えちゃったの」


 (うちには、犯罪まがいのことしてもええんかい……)


 「そうよ」


 つばきはさらりとウィンクを送った。


 「あなたは、わたしの理性を破壊した存在。もう、理性とか、限界とか……どうでもよくなるくらいにね」


 (いや、ウィンクで済ませる話ちゃうやろ……)


 紅茶のカップを持ち上げながら、まなは小さく息を吐いた。


 (でも、まあ……うちが許してるし。ええんかな……)


 (ええんか? ええんかい?)


 タルトの上の苺は、やけに輝いて見えた。

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