日曜日8時半からの使者

「待てええええええええいッ!!」




怒号が通路に響く。


クーネルは必死で走っていた。


背後からは鬼の形相のスタッフたちが迫る。


イベントを滅茶苦茶にした張本人を逃がすわけにはいかない。




「おっと。思ったより正気に戻るのがはやかったようじゃな」


「ど、どどど、どうしましょうクーネル様。捕まったらわたくし、一生人間の見世物か、金持ちの家で飼われる運命ですわ…!」




あっという間に追いつかれる。


屈強な男たちにぐるりと囲まれてしまった。


もはや逃げ場はない。




「話を聞かせてもらおうか。クーネル君」




プロデューサーが低い声で問い詰める。


その顔には怒りが浮かんでいた。




「い、いやぁ、これはその……事故じゃ! そう、不可抗力というやつで……!」




クーネルはしどろもどろになる。


その時だった。


スタッフの人垣をかき分けて、一人の少女が前に出た。


ルルである。




彼女の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。


完璧だったメイクは見る影もなく崩れている。


目の周りはパンダのように真っ黒だ。


しかし、その瞳には真摯な怒りの炎が燃えていた。




「……クーネルさん」




震える声。


しかし、口調はなぜかぶりっ子のままだ。




「わたくし……わたくし、たった今、天国のおばあちゃまに会いました」


「ほう。それはよかったのう」


「よくありませえんッ!!!」




ルルが絶叫した。


ぶりっ子口調のままの絶叫。


それはどんな怒声よりも恐ろしかった。




「アイドルは、歌で! みんなを笑顔に幸せにするのがお仕事なんですぅ! それなのにあなたは、みんなを泣かせて! 悲しませて! 死のうとまでさせたんですぅ! そんなのアイドルじゃありません、ただの邪教の教祖様ですぅ!」




極めて正しく怒られた。


一言一句、ぐうの音も出ないほど正しい。


クーネルが味方だと勝手に思っていたルルからの全力の糾弾。




「おばあちゃまは優しかった……! 『ルルはたくさんの人を笑顔にしてる、自慢の孫だよ』って、褒めてくれました…、でも、でもそれは夢の中であるべきですぅ!」




ぐすぐすと鼻をすすりながら、ルルはクーネルをびしっと指さした。


男どもがにじり寄ってくる。


そしてクーネルの細腕を誰かが乱暴に掴んだ。


しかし、それは一番やってはいけない事だった。




「貴様、妾に向かって手をかけるつもりか? 妾が今まで貴様らと遊んでやっていたという恩を忘れたのか」




恩着せがましいどころではない。


腕を掴んだ男も困惑しかできない。


クーネルはメンチを切った。それから心の中で何かがぷつりと切れた。




「面倒じゃ。やってられん」




説教も、言い訳も、涙も、もううんざりだ。


彼女はふぅ、と一つ息を吐くと静かに呟いた。




「『急がば、殴れ』、じゃ」


「……へ?」




「急ぎの時は手っ取り早く、暴力で解決せよ。古より伝わる、賢者の教えじゃ」




そう言い残すや否や、クーネルの体がふわりと宙を舞った。


怒りと面倒くささが臨界点を突破した時、彼女の理性はリミッターが外れるのだ。




ドカッ! バキッ! ゴスッ!




悲鳴を上げる暇もなかった。


プロデューサーも、スタッフも、そして正論を吐いていたルルでさえも、ボーリングのピンのように軽々と吹っ飛ばされていく。


ものの数秒で通路にはうめき声を上げる屍の山が築かれていた。


その一番上にクーネルはすくと立つ。




「面倒事は避けておったが、面倒になってしまえば致し方あるまい」




彼女がぱんぱん、と手の埃を払った、その時だった。


気絶したはずのルルがむくり、と起き上がった。


その瞳はもはや、ただのアイドルのものではない。


クーネルの正体を見抜いた者の鋭い光を宿していた。




「……あなた、人間じゃないわね」




ルルの声から、ぶりっ子口調が消えていた。


冷たく、澄んだ声。




「ほう、さすがは一流アイドル。ただの人ではないと思っていたが」


「その禍々しい気配……。間違いない。あなたはこの世界に災いをもたらす、闇の悪魔…!」


「だとしても、どうするつもりじゃ?」




クーネルはにやりと笑う。


ルルはすっくと立ち上がると高らかに叫んだ。




「みんな、来て! 愛と夢と平和とキラキラを守るため! メルティ・キス・メロディ、集結よ!」




その声に呼応するように。


気絶していたはずのレイラ、ミミ、アヤ、エリナが次々と起き上がる。


彼女たちの瞳にも、ルルと同じ、決意の光が宿っていた。




「「「「了解!」」」」




そしてどこからともなく、奇妙な生き物が現れた。


ウサギのようでもあり、ネコのようでもあり、全身がパステルカラーのふわふわの毛で覆われている。




「大変でちゅ! みんな、早く、変身でちゅ!」




その小動物が甲高い声で叫ぶとメルティ・キス・メロディの五人はこくり、と頷いた。


それぞれの胸元から、マイクの形をした魔法のアイテムが取り出される。




「「「「「メルティ・メイクアップ!!」」」」」




テレテレンテッテレ、テッテテレッテー♪


眩い光が通路を包む。


フェス会場からなのか、強い音楽が鳴り響いた。


突然の展開にクーネルと、そしてこの物語を読んでいるであろう読者も完全に置いてけぼりであった。




「な……、なんじゃ、これは……!?」




光が収まるとそこにいたのは、もはやただのアイドルではなかった。


フリルとレースとリボンで飾り立てられた、色とりどりの戦闘服。


その姿はまさしく、魔法少女。




「愛と情熱の赤い星! メルティ・ルビースター!」




キラーーーン!


最初に名乗りを上げたのはルル。


くるりと華麗にターンを決め、びしっとポーズを取る。




「クールな輝き、青い星! メルティ・サファイアスター!」




シャキーーン!


続いて、レイラ。


流し目がやけに様になっている。




「元気いっぱい、黄色い星! メルティ・トパーズス……ぐふっ!?」




ゴスッ!


三番手、ミミの変身名乗りの途中だった。


彼女のがら空きのみぞおちに、クーネルの無慈悲な拳がめり込んでいた。


白目を剥き、カエルが潰れたような声を上げて、崩れ落ちるミミ。


余りに苦しいのか、クの字になってもがいていた。


変身の光がはかなく、霧散していく。




「ミミーィイ!」


「う、うげぇ…!」


「卑怯よ! 変身中じゃない!」




白眼をむいて、泡を吹くミミ。




「おぬしら、物騒なものを持っておるな」




クーネルは気絶したミミの手から、その魔法のマイクをひったくった。


それをしげしげと眺める。


どうやら謎の宝玉を上に乗せた、小型ワンドのようなものだった。




「…ほほう。この禍々しくも、神々しい魔力の気配。間違いない。これは契約の聖剣と似た、教会の神の遺物と見た」




彼女はにやり、と口の端を吊り上げた。


クーネルはそのマイクを高々と掲げた。


そして、見よう見まねで叫んでみる。




「ならば妾も使ってみるとするか」


「それはマイクに選ばれた伝説のアイドルにしか――」


「はにー・めいくあっぷ、じゃ!」


『ハニーエンジェルアイドル、クーネル!』




遺物から声がした。


瞬間。


先ほどの魔法少女たちの光とは比べ物にならないほどの禍々しくも、神々しい、黄金の光がクーネルの体を包み込んだ。




光が収まった時、そこに立っていたのは、純白と黄金を基調とした、神々しい純白の羽を背中に生やす一人の天使、いいや、エンジェルアイドルだった。


その姿は誰よりも聖女らしく、誰よりも天使らしい。


あまりの神々しさに、それを見ていたものは涙を流した。


殴られ、投げ飛ばされ、胃液を吐いても、彼女を敬わずにはいられなかった。




「…おぉ、よい。実によい。女神の力が体に満ちてくるぞ」




そんなまさか。


ルル達は最初声が出なかった。




「やめて! ミミのメルティステッキを返して! それは愛と正義のためのアイテムよ!」


「ならばその愛と正義とやらを賭けて挑むが良い。希望を掲げ、頭を動かして策を見せてみろ。妾がその全てが絶望に変わる瞬間を見せてやろうぞ」




しかし天使の顔から放たれる言葉は、魔王のそれであった。


かつて幾度もの勇者と戦ってきた四天王として、慣れた台詞を吐き捨てる。


その圧倒的な威圧感に残されたメルティキュアスターズは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


クーネルは満足げに鼻を鳴らす。




「そのティアラの所有権、改めて決めようではないか」




奇跡のティアラ争奪戦、第二幕。


聖女と魔法少女の奇妙で壮絶な戦いの火蓋が今、切って落とされたのである。




「な、なんて、禍々しいオーラ……! でも、みんな、怯まないで!」


「ミミの仇!」


「ま、まだ私死んでないよ…、ぐえ…」


「あれはきっとダーク・シャドウズの幹部よ!」




ルビースターことルルが叫ぶ。


その声に残された三人の魔法少女ははっと我に返った。


目の前に立つのは天使の姿をした、悪魔。


だが彼女たちには守るべき、愛と夢とキラキラがあるのだ。




「なんじゃ、そのだーくしゃどーずとは……」


「希望の光をこのマイクに! メルティ・シャイニング・アタック!」




四人の魔法少女がそれぞれのステッキをクーネルへと向ける。


その先端から、色とりどりのハートや、星の形をした、キラキラの光線が放たれた。


それは見る者を幸せな気分にする、愛の波動。


悪を浄化し、世界に笑顔を取り戻す、希望の光線。




「フハハハ! それが精一杯なのか?」


「皆の想いの力、受けてみなさい!」




クーネルはその可愛らしい光線を、可愛らしい鼻で笑った。


彼女は迫りくる光の弾幕をあえてギリギリまで引きつけた。


そして当たろうかという直前、ぐっと腰を落とし、奇妙な構えを取った。




「エンジェル暗黒蛇神拳、奥義――!」




クーネルの体が地を這う。


蛇のようにしなやかに、そして圧倒的な速さで動く。


彼女は光の弾幕をすり抜け、懐へと潜り込んだ。


そして、そのままの勢いでサファイアスターことレイラの足元へと滑り込む。




「スネーク・レッグスウィープ(足払い)」




ドサッ、と見事なまでにレイラが背中から、床に叩きつけられる。


受け身も取れずに。




「きゃっ!?」


「レイラ!」




後頭部を強打するレイラ。


仲間がやられたことに動揺する、魔法少女たち。


その一瞬の隙をクーネルは見逃さない。


彼女は起き上がりざま、今度はリーダーである、エリナへと突進する。




「ゴールデン・ヘッドバット(頭突き)!」




ゴツン、と鈍い音。


天使の輪が光り輝くクーネルの頭がエリナの鳩尾にクリーンヒットする。


エリナは「ぐふっ」という、可愛らしからぬ声を上げて、その場に崩れ落ちた。


鼻がひしゃげて、鼻血を流すエリナ。アイドル引退待ったナシの一撃だった。




「ひどいわ、エリナの可愛い顔になんてことを!」


「まさかこれで終わりか? だとすれば、可愛い顔のアイドルクラブと、生きている人間クラブは、今日で脱退せねばなるまいなぁ」


「な、なんて、野蛮な戦い方……!」




ルルが慄然として呟く。


魔法少女の戦いはもっと美しく華麗なもので組み立てられる。


愛の光線で悪を浄化する。それがセオリー。


しかしこんな泥臭い、プロレスのような戦い方をする敵など、対処しようにもやり方がわからなかったのだ。




「さあ死を招く天使が、愚か者を探しておるぞ」




天使の翼を広げ、魔王直属の四天王クーネルは高らかに笑う。


その姿はもはやアイドルではなく、リングの上で観客を煽るヒールレスラーのようであった。




そんな通路の隅でその常軌を逸した戦いを見守っていたメロは、なぜか懐かしい気持ちになっていた。




「ああ。この感じ。昔と全く、変わらないなぁ」




そう、クーネル様はいつだってこうだった。


どんな絶体絶命のピンチでも、どんな格上の相手でも、最後はなんだかんだ、勢いと理不尽な暴力で全てをひっくり返してしまうのだ。


適当な嘘をついて、その場を切り抜けて、誰一人、生きて帰しはしない、悪魔の使者である。




「メロ、何をぼさっと見ておる。貴様も手伝え」


「……え? いや、あのわたくし、もう本日の業務は終了いたしましたので」




クーネルのゲキが飛ぶがメロはぷいっと顔を背けた。




「戦闘や時間外労働は契約に含まれておりません。後はよしなにお願いいたします」




絶対に働きたくない。


その鋼の意思がそこにはあった。




「この役立たずの生魚め……!」




クーネルは悪態をつきながらも、再び、残った魔法少女たちへと向き直る。


もはや、敵はルルとアヤの二人だけだ。




「こうなったら、最後の手よ! 愛と勇気の合体技! メルティ・ツインクル・ハリケーン!」




ルルとアヤが手を取り合う。


二人の体が光に包まれ、巨大な、ピンクと黄色の竜巻となって、クーネルへと襲いかかった。


これぞ、メルティキュアスターズ、最強の必殺技。


この技を受けて、立ち上がれた悪はいない。




だが。




「オロチ・リバース・スープレックス!!」




クーネルはその愛の竜巻を地を這うように避け、地面から信じられないほどの速さで、二人まとめて首を掴んだ。


そしてそのまま自分の背後へと投げ捨てる。


ブリッジを描くように美しい、弧を描いて。




ズドオオオオオオンッ!!




凄まじい、轟音。


通路の壁に巨大な、人型の穴が二つ空いた。


メルティキュアスターズは完全に沈んでいた。




「こんなものか。人には圧倒的じゃが、ガロウに太刀打ちできるほどではないのう」




クーネルは勝利の余韻に浸る間もなく、ゆっくりと立ち上がった。


その時だった。


屍の山の中から、一人の男がよろよろと起き上がった。


プロデューサーである。




彼の顔は恐怖と尊敬とそして、一種の諦観が入り混じった、複雑な色をしていた。


彼は震える足でクーネルの前に進み出ると深々と深々と頭を下げた。




「……す、すごいな、あんた」




その手にはあの『奇跡のティアラ』が恭しく、捧げ持たれている。




「あなたがナンバーワンだ。今まであんたほど、凄まじいアイドルは見たことがない……。いや、アイドルという、枠組みに収まる、存在ではない……!」




彼はもはや、クーネルを人間として見ていなかった。


神か、悪魔か。


とにかく、自分たちの常識が全く通用しない、超越的な何か。


プロデューサーは、ティアラをクーネルへと差し出した。




「だから……! だから、これで勘弁してください! ティアラは差し上げます! もう二度と我々の前に現れないでください……!」




それは懇願だった。


心からの命乞いであった。




クーネルはそのティアラをひったくるように受け取った。


そして勝利の戦利品を味わうように、にやりと笑う。




「うむ。話の分かる男じゃな」




彼女はそのティアラを一口。




ガリッ! ボリボリボリ……!




「んんんんんっ! 美味い、腹が満ちるぞ。この増悪と嫉妬がいくつも折り重なったダイヤの味。ただ綺麗な石では、この味は出せぬ…!」




気絶したアイドルたちと、絶望に打ちひしがれるスタッフたち。


その地獄絵図の中で一人、至福の表情でティアラを食らう金髪の天使。


タヴロッサの夜はこうして、静かに更けていくのであった。

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