Per hanc memoriam vivo et morior.

食レポ対決での予想だにしない惨敗。


ルルはステージの袖で、唇を噛み締めていた。


もはや、クーネルに対する感情は単なる「新人潰し」の対象から、得体の知れない「怪物」への畏怖へと変わりつつあった。




「クーネル、恐ろしい子…!」




衣装を破られてもそれを逆手に取る、奇抜な発想。


料理にネズミを入れられてもそれを最高の笑顔で、平らげる異常な精神力。


常識が通じない。


こちらの仕掛けるどんな卑劣な罠も、彼女の前ではなぜか、最高の演出へと変換されてしまう。




「……でも」




ルルはぎゅっと、拳を握りしめた。




「……歌だけは絶対に負けない!」




それこそが彼女がトップアイドルとして、唯一、誰にも負けないと自負する最後の砦。


そして最終対決の演目はその「歌唱対決」だ。




「さあ、いよいよ、最終対決! まずは我らがトップアイドル、ルルちゃんに歌っていただきましょう!」




司会者の高らかな声と共にルルはステージの中央へと、歩みを進める。


彼女がマイクを握り、にっこりと客席に微笑みかけると、会場は割れんばかりの「ルルちゃん」コールに包まれた。


クーネルの衣装を見て、一瞬心を奪われた親衛隊たちも、今度こそと必死に声援を送っている。




「次が讃美歌だなんて、ウケるんですけどぉ♡ アイドルはみんなを楽しませて、笑顔にするのがお仕事なんですぅ♡」




ルルはクーネルをちらりと、挑発するように見やると、高らかに歌い始めた。


それは彼女の十八番。


可愛さと元気さが弾ける、ポップチューン。




「♪どっきどき☆フォーリンラブ! キミの視線に(ずっきゅーん!)


 めっきめき☆マジックラブ! もう、止められない!(Fu Fu!)


 お砂糖よりも甘いキモチ (あげちゃう!)


 夢見る、あたしはシンデレラ! 今夜、迎えに来てねっ♡(L・O・V・E! る・る・ちゃ・ん!)」




完璧な、アイドルソング。


完璧な、振り付け。


完璧な、笑顔。


会場のボルテージは最高潮に達し、一体となって、揺れている。




その光景をステージ袖で見ていたクーネルは正直、感心していた。




「……ほう。さすがはルルちゃん。大した人気じゃな。これは普通にやっても勝ち目はないわい」




クーネルは最初から、歌でまともに勝負する気など、さらさらなかった。


彼女はにやりと、不敵な笑みを浮かべる。




「だが人気だけで勝てると思うなよ、小娘。この世には人気や、実力だけではどうにもならん、理不尽な『力』というものが存在するのじゃ。それをこの天才策略家のクーネル様が直々に教えてやるわ!」




ルルの歌が終わり、クーネルがステージへと呼び出される。


彼女の後ろには緊張した面持ちで、車いすのメロが控えていた。


彼女はシスターグループとして駆り出され、バックコーラス役で参加するのである。




「……クーネル様。本当にあなたも悪ですね」


「案ずるな、メロ。おぬしはいつものように気持ちよく歌えばよい。そうすれば人間どもなぞ、赤子の手をひねるようなものじゃ」


「ふっふっふ、いいんですか。あぁ、こんな大勢を、一度は海に沈めてみたいと思ってたんです。さぁ歌いましょう」




そう、これこそがクーネルの秘策。


人の心を操る、セイレーンの歌声。


この反則級の能力を使えば、審査員であるファンたちを意のままに操り、クーネルに拍手を送らせることなど造作もない。


歌が下手でも絶対に勝つ無敵の戦法。


完璧な作戦であった。




クーネルがマイクの前に立つ。


会場からはアイドルフェスで賛美歌を歌うという展開に、ざわめきが起きていた。


だがクーネルは全く動じない。


彼女は静かに息を吸い込むと、メロと目を合わせた。




そして――歌い始めた。


曲は讃美歌。


しかし実態はレクイエム。


死を歌う悪魔の歌。


静かで、美しく、どこか物悲しい、メロディ。






=====================


Lux Memoriae (記憶の光)

作詞作曲:魔界のニート歌姫・メロ


Kyrieキリエ, corコル meumメウム inイン doloreドローレ estエスト.

~主よ、わが心は悲しみに沈み~

Voxウォクス caraカラ nonノン iamヤム auditurアウディートゥル.

~愛しき声は もはや聞こえず~

Silentiumシレンティウム gravatグラウァット, viaウィア meaメア obscuraオブスクーラ estエスト.

~沈黙は重く わが行く道は暗闇の中~

Inイン lacrimisラクリミス te quaeroクァエロ.

~涙のうちに あなたを求めます~



【リフレイン(コーラス)】


Donaドーナ eiエイ, Kyrieキリエ, requiemレクイエム aeternamエテルナム,

~主よ、愛しき魂に とこしえの安らぎを与え~

Etエット luxルクス tuaトゥア perpetuaペルペトゥア luceatルーチェト eiエイ.

~あなたの絶えぬ光で 照らしたまえ~

Inイン paradisoパラディーソ tuoトゥオ, inイン paceパーチェ quiescatクィエスカット

~御国(みくに)の楽園にて 平和のうちに憩わんことを~


=====================






クーネルの凛とした歌声と、メロの透き通るようなコーラスが重なり合う。


世界はクーネルの声以外の音を失った。


しかして、それは声ではなかった。


天上から降り注ぐ光のようであった。


あるいは静かな森の奥深くで、響く泉のせせらぎ。


清らかで、どこまでも透明で、そして魂の一番深い場所にまで染み渡るような響き。


この神秘に晒されて、抗える魂などない。




その美しいハーモニーが会場に響き渡った瞬間。


奇跡は起こった。


いや、クーネルの想定を遥かに超えた、とんでもないバグが発生した。






=====================


Memoriaメモリア eiusエイウス, panisパーニス etエット felフェル mihiミヒ.

~その思い出は 我が糧にして 我が苦杯~

Dulcisドゥルキス consolatioコンソラーティオ, acutusアクートゥス stimulusスティムルス.

~甘き慰めにして 鋭き痛み~

Perペル hancハンク memoriamメモリアム vivoウィーウォ etエット moriorモリオル.

~思い出に生かされ 思い出に身は裂かれる~

Oオー Kyrieキリエ, animamアニマム meamメアム sanaサナ.

~おお主よ、この心を癒したまえ~



Tuトゥ esエス viaウィア, veritasウェーリタース, etエット vitaウィータ.

~あなたこそ道、まこと、そして命~

Quiクィ inイン te creditクレーディット, nonノン morieturモリエートゥル.

~あなたを信じる者は 死ぬことなし~

Kyrieキリエ, Kyrieキリエ, Kyrieキリエ,

~主よ、主よ、主よ~

Tuトゥ scisスキース hasハース lacrimasラクリマース, etエット inイン gaudiumガウディウム vertesウェルテース

~この涙を知るあなたは、これを喜びに変えてくださる~


=====================






しん、と。


あれほど騒がしかった会場が水を打ったように静まり返る。


野次を飛ばしていたファンもサイリウムを振っていたオタクも全員が動きを止め、呆然とステージを見つめていた。


それはもはや、歌ではなかった。


人の理性を麻痺させる、神聖な儀式。




クーネルのウロボロスの輪に魂を乗せ、冥界を繋ぐ特異な体質。


メロの人の心を海の底へと誘う、セイレーンの歌声。


二つの力が予期せぬ形で、共鳴し、混じり合った結果――。






=====================




【リフレイン(コーラス)】

Donaドーナ eiエイ, Kyrieキリエ, requiemレクイエム aeternamエテルナム,

~主よ、その魂に とこしえの安らぎを与え~

Etエット luxルクス tuaトゥア perpetuaペルペトゥア luceatルーチェト eiエイ.

~あなたの絶えぬ光で 照らしたまえ~

Gratiasグラーティアス tibiティビ, fonsフォンス omnisオムニス consolationisコンソラーティオーニス.

~すべての慰めの泉なる主よ、感謝します~




=====================





最後の2人だけのコーラスが終わった瞬間だった。


この世と、あの世の境界線を融解させてしまったのである。




会場にいる、全ての観客の目に幻が見え始めた。




「……お、おじいちゃん……?」




最前列にいた、ルルの親衛隊長が虚空に向かって、呟く。


彼の目には数年前に病気で亡くした、大好きだった祖父の姿がはっきりと、見えていた。




「ポチ……! お前、まだ虹の橋で待っててくれたのね……!」




ある女性客は子供の頃に死んだ、愛犬の幻を見て涙を流している。




死んだ恋人。


先に逝ってしまった親友。


もう二度と会えないと思っていた、大切な家族。




一人、また一人と、亡き人々との束の間の再会を果たす観客たち。


やがてその静かな感動は嗚咽へと変わり、そして会場全体を巻き込む大号泣へと発展していった。




「うわあああああん! 父ちゃああああん!」


「ミケえええええ! また、会いたかったよおおおおお!」




阿鼻叫喚。


もはや、それはライブ会場ではなく、巨大な集団カウンセリングの現場のようであった。


審査どころではない。




「な、なんじゃ、これは……!?」




クーネル自身、この異常事態に、全くついていけていなかった。


彼女の作戦では観客は、もっとこう多幸感に包まれ、うっとりと自分に拍手を送るはずだったのに。




「待っててくれ……! 今、俺もそっちへ行くからな……!」




一人の男がそう叫びながら、ステージによじ登ろうとし始めた。


その目は完全にイッてしまっている。


愛する人の幻影を追い、自ら命を絶とうとしているのだ。




「「「俺も!」「私も!」」」




次々と現れる後追い希望者たち。


会場は感動から一転、狂気と混乱のつるぼと化した。




「う~む。思っとったのと、ちと違うのう」


「あぁすばらしい。ご覧になってください、あちらではあんなにたくさんの人が水路に飛び込んでますよ。わたくし、感動すら覚えます」


「まぁよい。過程は違えど、結果を同じにすれば良い。今のうち頂くとしよう。ルルの楽屋にゆくぞ」


「はい」




クーネルはメロの車椅子を押すと、大混乱に陥っているステージを後にしたのであった。

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