第13話 カフェを狙う黒い影




その夜、カフェに異変が起きた。


「なんだか、寒くない?」


コトハが身震いしながら言った。夏の夜なのに、まるで冬のような冷気が漂っている。


王子も不安そうに周りを見回した。その透明な体が、冷気のせいでさらに儚く見える。


「おかしいね。魔法の森は一年中温暖なはずなのに」


シェルの黒い毛が逆立っていた。猫の本能が、何か危険を察知しているようだった。


突然、カフェの窓ガラスに霜が張り始めた。まるで見えない手が、冷たい息を吹きかけているみたいに。


「これは……」


シェルの表情が険しくなった。




バタン!


カフェのドアが勢いよく開いた。そこに立っていたのは、一人の少女だった。


漆黒のドレスに身を包み、金色の髪を風になびかせている。でも、その瞳には何の感情も宿っていなかった。まるで、精巧に作られた人形のように。


「やっと見つけた」


少女の声は、氷のように冷たかった。視線は真っすぐ王子に向けられている。


「君は……」


王子の顔が青ざめた。いや、透明な体がさらに薄くなったように見えた。


「お久しぶりね、ユアン王子」


少女は唇だけで微笑んだ。でも、その笑みには温かさのかけらもない。




「ミーア……どうしてここに」


王子の声が震えていた。この少女を知っているらしい。


コトハは王子と少女の間に立った。本能的に、王子を守らなければと思った。


「あなた、誰?」


「私?」


少女――ミーアは、コトハを値踏みするような目で見た。


「王子の新しいお友達? ふぅん、つまらなそうな子ね」


侮辱的な言葉だったけれど、ミーアの声には何の感情もこもっていなかった。褒めるのも貶すのも、彼女にとっては同じことのようだった。


「王子の感情を奪ったのは、あなたなの?」


シェルが鋭く問いかけた。




ミーアは肩をすくめた。


「奪った? 違うわ。王子が自分で捨てたのよ」


「嘘だ!」


コトハが叫んだ。でも、王子の表情を見て、言葉を失った。王子は何も否定していなかった。


「本当のことよ」


ミーアが続けた。


「王子は自分から感情を手放したの。私はただ、それを預かっているだけ」


そう言いながら、ミーアは手を上げた。その手の周りに、黒い影がゆらゆらと集まってくる。


「でも、まだ足りないの。王子の最後の感情――それを貰いに来たのよ」




黒い影が、蛇のようにうねりながらカフェの中に侵入してきた。


「みんな、下がって!」


シェルが叫んだ。その瞬間、影がテーブルや椅子を飲み込み始めた。触れたものすべてが、色を失って灰色に変わっていく。


「王子を渡しなさい」


ミーアの要求は単純明快だった。でも、コトハは首を横に振った。


「絶対に渡さない!」


「どうして? あなたには関係ないでしょう」


ミーアの問いかけに、コトハは即答した。


「関係あるよ! 王子は大切な友達だから!」


その言葉に、王子の瞳が揺れた。透明な体の中で、何かが光ったような気がした。




ミーアの無表情な顔に、初めて変化が現れた。眉をひそめて、不快そうな表情を作る。


「友達……そんなもの、何の意味があるの」


黒い影が激しさを増した。カフェの壁を這い、天井から滴り落ちてくる。


コトハは慌ててミントシフォンケーキを取り出した。昨日作っておいたものだ。


「これを食べて! 警戒心を解く効果があるから」


でも、ミーアは鼻で笑った。


「私に感情はないの。だから、そんなもの効かないわ」


影がコトハに襲いかかった。避けようとしたが、間に合わない。


その時――




王子がコトハの前に立ちはだかった。


透明な体で影を受け止める。影は王子の体を通り抜けるかと思われたが、なぜか王子の前で止まった。


「ユアン……」


ミーアの声に、初めて動揺が混じった。


「もうやめて、ミーア」


王子の声は静かだったが、確固とした意志が込められていた。


「君も昔は、笑っていたじゃないか」


「昔のことなんて、どうでもいい」


ミーアは影を操って、さらに攻撃を仕掛けようとした。でも、手が震えている。無感情なはずの少女が、なぜか動揺していた。




「ミーア、君は――」


王子が何か言いかけたとき、ミーアが叫んだ。


「黙って! 私はただ、約束を果たしに来ただけよ!」


影が暴走し始めた。ミーアの制御を離れて、あちこちで暴れ回る。


「まずい、このままじゃカフェが」


シェルが魔法で結界を張ろうとしたが、影の勢いに押されてしまう。


その時、精霊の少女ミリィが現れた。


「みんな、私に任せて!」


ミリィが持っていた鍵のペンダントが、強い光を放った。光は影を押し返し、少しずつカフェを守り始めた。


「今のうちに、ミーアを」


でも、振り返ったときには、ミーアの姿は消えていた。


「無感情の少女って何者!?」――そんな読者の声が聞こえてきそうな、謎の残る夜だった。

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